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Music and Sound Quality -2 音楽への共感

「音楽が持つエモーションをきっかけに、あと少し音楽へ近づくこと。そして、その音楽のエモーションの受け取りが、あと少しでも多く出来る再生音質の実現について、日ごろもろもろと思うところを書いていきます。第2回目です。」

(最初の投稿から1年が過ぎ、内容の見直しと加筆修正をしています)


新しい音楽と出会うために

人が新しい情報を受け取る時は、過去の記憶(スキーマ)に照らし合わせて理解を行います。直接結びつく記憶がない時は、新たな判断軸となる記憶が作られ、経験値が豊かになっていきます。しかし、全く脈略がない情報に対しては、ほとんどの場合は関心を失い排除しようとします。

このことは音楽にも当てはまります。今までよりも、もっと広く音楽を楽しみたいと思った時、あるいは仕事などで音楽に接する機会がある時は、初めて出会う音楽表現に対して起こる拒否反応をコントロールして、聴き続ける上で求められる経験値を作り出すことが求められます。

音楽での表現は、そもそも新しい可能性と自由な表現を常に求めるものです。もしも特定の好きなアーティストやジャンル以外では、何を聴けばいいのか分からないというのであれば、まずはこのことを少し意識して、徐々に範囲を広げていけばいいでしょう。


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谷を越える

拒否反応からくる違和感は、深く険しい断崖の谷のように、楽曲とリスナーの間に現れます。特に個性的なアーティストの場合、その谷は来るものを拒むように、むき出しのまま存在していることもあります。

その様な谷を何の手立ても無く渡ることは、実際かなり困難なのですが、多くのアーティストは歌声の響きや歌詞表現、あるいはリズムやメロディや演奏などで、谷を超えるための安全ネットを張り、リスナーに手を差し伸べてくれています。

そして、一人の人間としてのアーティストが曲に込めた心情を思い、歌詞やメロディや演奏に耳を傾けて、その谷を思い切って越えた時には、時には小さな気づきが、あるいはもしかするともっと大きな共感が待っているかもしれません。

もちろん、どうしても合わないタイプの音楽に、つらい思いをして向き合う必要はないのですが、もしも少しでも何かを感じたのであれば、ニュートラルな気持ちで心を開いて、少しでも寄り添う気持ちを持って谷越えにチャレンジしてみましょう。

音楽を受け取る時に、どのような音質で音楽を鳴らしたとしても、そこから伝わるものは必ずあります。しかし、聴く者の心が開かれていなければ、何も伝わらないのです。



個性の共鳴

近年の著しいIT進歩により、パソコンで楽曲制作を行うDTM (Desk Top Music)も、大きな進歩を遂げ広く普及しました。更にレコーディング・編集・ミキシングなども、比較的容易に個人で行なえるようになり、また、さまざまな配信プラットフォームが生まれたことで、楽曲流通やライブ配信のハードルも以前に比べ、とても低くなりました。

そのために、製作者の嗜好がより濃く表現されたエモーショナルな音楽が、一般リスナーの手元にまで、直接流通するようになりました。

またイヤホンやDAP(デジタル・オーディオ・プレイヤー)などの再生機器の性能向上に伴い、パーソナルでありながら高音質な再生環境を、手軽に実現出来るようにもなりました。


このように、音楽を取り巻くさまざまな環境の自由度は、かつてない程に高まってきました。個性を尊重する時代の、千差万別な感性に寄り添う音楽が多く作られ、それにアクセスできる環境があり、そしてその音楽を楽しむ再生環境のレベルも、かつてないほどに高まっているということではないでしょうか。


個性の輪郭

このように、音楽の多様化が著しい状況であっても、広く受け入れられ「誰もが良いと思う曲」は、人間が基本的に持っている共通的価値観に訴えかけるもの、と言えるかもしれません。

しかし「誰もが良いと思う曲」という言い方は、ある種の同調圧力的な表現なのかもしれず、本当は肌に合わないという人も多くいるはずです。


人は基本的な共通価値観の上に個性という棘を持っていて、その棘の部分に寄り添う音楽は必ずどこかに存在しているはずなのです。そして一つ一つの棘は特別変わってはいなくても、いくつもの棘が作り出す個性の全体像は、唯一無二で貴重なものなのだと思います。

どのような音楽が良いと一言では言うことは出来ませんが、さまざまな音楽に接することには、まだ気付いていない自分の個性の、新たな面を再発見するためのきっかけが、あるのではないかと思っています。


音楽と向き合うということ

誰でも聴くべき音楽が何か、どの音楽に価値があるのか、などと迷い考えるときがあります。

そして、音楽をより広く深く楽しみたいと思いながらも、実は音楽の好みが、音楽への関心がそれほど高くない層と同じ、基本的共通価値観の部分に留まっている、という場合も案外と多くあるのかもしれません。

特に音楽への意識が高ければ高い程、「果たしていまのままでいいのか?」という疑問が、出てくることも多いでしょう。

一つの例ですが、ビートルズを知らないでロック・ポップ音楽を聴くことについて、意見を言う人をたまに見かけます。でもそのような人も、電磁気学の理論を知らずに電子レンジを使っていたりするものです。歴史や学問として音楽に接するためには、この例で言えばビートルズは知らなければいけませんが、自分自身のために音楽を楽しむ時に、歴史を背負い込む必要は全くありません。


そのように迷ったときにこそ自分からアプローチして、自分の感覚で素直に良いと感じたものに、自信を持つことが重要なはずです。なぜなら、それはすなわち自分自身を認め、自分を大切にするという事であり、音楽や再生機器に対するこだわりもそこから生まれてくるのです。


ピンとくる音楽と出会った時には

日常のさまざまな場面で、気になる音楽と出会うことがあります。例えば、いつかどこかで経験した匂いや感覚などが、曲を聴いているときにふと蘇ることがあります。

そのような共鳴は音楽の好みとは関係なく、初めて聴くアーティストの曲でも起こることで、それはもしかするとそのアーティストの個性や表現と、無意識下の何らかの要素が反応している、ということなのかもしれません。

気になる楽曲やアーティストと出会ったときは、他の曲も聴いてみたり、あるいはアーティストや楽曲の、バックグラウンド情報をチェックしたりして、出会って生まれたその共感を深めるきっかけにしてみてください。


そしてその次は、今の世の中の状況では少し難しいかもしれませんが、時が来て機会があれば、生のパフォーマンスを見にライブハウスへ行ってみて下さい。

ライブパフォーマンスは、必ずしも音源やTV放送やMVなどのように、整えられた形の表現ではありません。もしかすると運が悪く、アーティストの調子の悪い日に当たってしまうことさえあります。でもそこには、生身の人間が表現する音楽が本来持つ、リアリティを伴った表現が必ずあるのです。

例えば、アーティストが体を動かした結果としての声や演奏音、そして表情や仕草に直接触れることで、アーティストの意思で音楽が生み出されることを、直接的な体験として感じることが出来ます。このリアリティを肌感覚で持たずに、音響機器の再生音だけからリアリティを感じることは、とても難しいことなのかもしれません。

そしてこれを一度体験すれば、その後に聴く音源の音でもそのリアリティが蘇り、それまでとは違って聴こえてくるはずです。


生でライブパフォーマンスを見たことがない、あるいはホールやアリーナやスタジアムなどの大きな会場にしか行かない、というのであれば、距離感の近いライブハウスで直接伝わってくるリアリティを、ぜひ体感しに行ってみてください。


「音楽」という言葉の意味

次に音楽と言う言葉について、少し考えていきたいと思います。「音楽」という言葉の意味は何かと聞かれると、多くの人は「音を楽しむこと」と、半自動的に答えるのではないでしょうか。

確かに音を楽しむ場面も多々ありますが、楽しむものは決して音だけではありません。「音楽」という言葉が、英語のMUSICに相当する意味で使われだしたのは、明治になってからのことです。

それ以前では「音楽」という単語は、囃子などの庶民的な音楽とは異なった、雅楽のように楽器で奏でる特別な曲を指しており、「楽」の字は元々楽しむという事ではなく、音楽を演奏する道具である「楽器」を意味していました。


絵画鑑賞の意味を、「色あるいは反射光を楽しむ」と言う場合を考えると、「音を楽しむ」という答えがあまりにも部分的で、ざっくりとしたものだということに気づくと思います。あるいは、観光で目にする自然の景観や歴史的な建物には、自然の造形の力や背後にある歴史的な物語など、それらが存在する理由が必ずあり、意識・無意識に関わらずそのことを前提として見ています。

その時に決して「反射光を楽しむ」とは言わないように、音楽の場合も音/音質を意識するだけではなく、その背景にある楽曲の意図や感情とそれを表現する様子を、なんとなくでも構いませんので意識してみることで、更に味わい深く楽しむことが出来るのではないでしょうか。そしてそのことが、音質を認識するうえでも大変大きな意味を持ってきます。


感情表現という音楽的世界と、音特性に軸足を置いたオーディオ的世界にはそれぞれ独自の価値がありますが、同時に簡単に切り離す事は出来ない共通の価値も持っていますので、それらのバランスを取って向き合う事が大事になります。



今回は「音楽への共感」というテーマで、主観的な感覚で音楽表現にリアリティを感じること、そこから生まれる共鳴をもとに楽曲やアーティストへ近づくこと、そのような音楽の受け取り体験について、話を進めてきました。

少しでも、読んでいただいた皆さんの、気付きに繋がるものがあったのなら嬉しいです。



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