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Music and Sound Quality -4 歌詞の力

「音楽が持つエモーションをきっかけに、あと少し音楽へ近づくこと。そして、その音楽のエモーションの受け取りが、あと少しでも多く出来る再生音質の実現について、日ごろもろもろと思うところを書いていきます。第4回目です。」

(最初の投稿から1年が過ぎ、内容の見直しと加筆修正をしています)


歌詞を改めて意識してみる

これを読んで頂いている皆さんは、どの程度歌詞を意識して、普段音楽を聴いているのでしょうか?


歌われている内容を深く理解しようとする人もいれば、印象的なフレーズを拾って聞く人もいるでしょう。また、カラオケで歌うために歌詞を覚える、という人も多いのではないでしょうか。

と同時に、歌詞はあまり意識して聞かないと言う人も、実は意外と多い気がしています。


個人が趣味で聴くエンタテイメントとしての音楽では、インストゥルメンタル楽曲よりもボーカルが歌詞を歌う、歌唱曲が楽しまれるケースが圧倒的に多いでしょう。そのようなボーカルの声質や発声表現には、誰もが直観的に好みを感じることが出来ます。

しかし、そのボーカルが伝えている歌詞に対しての直観的判断は、声質に比べればそれほどでもなく、聞き流されてしまうことも多くなります。歌詞はより意識的に組み立てられ、受け取られる部分が多いことが、その理由の一つだと思います。

しかし、歌詞も音楽表現の中の重要な要素の一つです。今回は、オーディオ的に重要な価値である音や音質と同様に、ボーカルと切り離すことが出来ない歌詞をトリガーとした、音楽表現の受け取りについて書いていきたいと思います。


言葉の文脈依存性

最初に歌詞に使われる言語によって、歌詞の役割も変わってくる、ということに触れたいと思います。


世界の共通言語となっている英語によるコミュニケーションの特徴の一つとして、言語依存度の高さがあります。そこでは、伝達される情報は全て言葉で表され、語られない部分には意思が存在しません。これは直接的で明快な表現と、シンプルな理論でコミュニケーションする、ローコンテクスト(低文脈依存)文化の特徴です。

そのために英語楽曲の歌詞の内容も、単純明快な事実説明に使われる場合が比較的多くなります。ちなみに、世界一ローコンテクストな言語はドイツ語で、日本語は世界一ハイコンテクストな言語として分類されているようです。

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化のコミュニケーションの違いを、Wikipediaに書かれている簡単な例で比較してみましょう。

日本語では電話を受けて「xxさんいらっしゃいますか」と聞かれた時に、「はい、おります」とだけの返事はしません。最初の問いかけの背後には「xxさんと話がしたいので、電話を替わってもらえますか」という文脈が存在しているからです。
一方、英語では、最初から「Can I speak to Mr.xx?」と直接的に尋ねます。

確かに、根本的な発想が違うのではないでしょうか?


英語歌詞の役割

西洋音楽の基本的構成要素は、リズム・メロディ・ハーモニーであると言われています。歌詞を歌うことには、この三要素の中で特に重要なリズムでの感情伝達を、音として補う役割があります。

特に英語は豊富な発音バリエーションを用いて伝達が行われる言葉であり、そのことが言葉によるリズム表現にも向くことに繋がってきます。さらには、シンプルで直接的な表現を尊ぶローコンテクスト文化であることも相まって、洋楽では歌詞内容によるニュアンス表現が、日本語に比べて相対的に少なくなる傾向があります。

ただし、英語で情緒的表現がされないという訳ではなく、そのような部分はポエムが得意な領域になります。

例えばバイデン大統領就任式においてもポエムが披露されたように、アメリカではポエムは深く日常に受け入られており、多くの人が座右の銘のように自分の好きなポエムの一節を持っています。そのために、「This is my favorite poem.」というようなフレーズも、日常会話の中でもよく聞かれるのです。


歌詞の更なる役割

歌詞には、もう一つの重要な役割があります。

それは、マイノリティが権威に抗う主張(カウンターカルチャー)を発信し、マジョリティがそれを理解するという、社会的システムとしての意義です。

日本では「エンタテイメント」というと、「娯楽」や「副次的なもの」というニュアンスが依然として、ある程度付いて回ると感じています。しかし、非伝統的、或いは荒々しい表現を社会が受け入れるという、文化的バックグラウンドが根付いている欧米では、音楽が単なる娯楽やビジネス以上の価値を持っているのです。

そしてこのことが、莫大な資金を投入し全世界に音楽を発信するというビジネスモデルの、大義名分にもなっているのではないかと思います。


このように、アートとしてのエンタテイメントとは、主流に対する主張という意味も持っています。しかし、協調性を重視したハイコンテクスト社会の日本では、そこまでの表現は難しく、個人レベルの感情世界に留まる傾向があることも事実です。

洋楽の歌詞の和訳を見て、その内容のたわいなさに拍子抜けしたり、激しさにおどろいたりしたという経験がある人も多いと思います。そのような時は、そもそも歌詞に求められるものが日本と西洋では異なるケースが多いという事を知っていると、洋楽にもより楽しく接することが出来るかもしれません。


歌詞はリズム表現・メッセージ性の他にも、楽曲イメージの補強・意思の表明・心象風景の描写など、曲により様々な意図をもって作られています。このような歌詞の意図を意識して聴くことで、楽曲への理解も一層深まるのだと思います。


日本語歌詞での表現

では次に、邦楽の歌詞について述べていきます。とてもざっくりと言うならば、2000年初頭までの邦楽では、洋楽が持つリズムや演奏表現技術に追いつくことが、至上命題だったのではないでしょうか。

前回でも触れましたが、日本語は言葉の構造として、リズム感の表現が苦手です。そのような中、例えば桑田佳祐の巻き舌・小室哲哉のダンスサウンド・宇多田ヒカルのR&B・その後のヒップホップやラップなど、様々なジャンルで日本語によるリズム表現への挑戦が行われてきました。

またハイコンテクスト社会の日本では、歌詞の内容は洋楽で一般的な社会的でパブリックな内容ではなく、パーソナルなレベルで既成概念に抗うなど、協調性を重視する日本人の感性に合った表現されます。

その時に、日本語の特徴であるニュアンスが微妙に異なる豊富な語彙を用いた、ハイコンテクストな表現が行われ、国民性に合うニュアンスが滲みだすような情緒的な歌詞が尊ばれます。

そして、現在では邦楽としてのオリジナリティが、かなり実現されてきているのかもしれません。リズム表現が苦手であっても、豊かな語彙による表現やその言葉を乗せる美しいメロディーラインなど、今も多くのアーティストが日本語での可能性追求に取り組んでいます。


日本語歌詞の強み

洋楽と邦楽、それぞれにそれぞれの良さがあることには、誰もが頷くことができると思います。しかしこれほど音楽が多様化している現在でも、楽曲への相性を感じる前に、洋楽か邦楽かという部分でフィルターしてしまうこともあります。

西洋文化をベースに近代化してきた日本では、マクロでみれば、今でも欧米の後追いをしているという側面は存在します。しかし邦楽は文化的バックグラウンドの共通性、物理的・精神的距離の近さ、言語理解によるエモーションの細やかな伝達などに、大きなアドバンテージがあります。


そのような粒度の細かなエモーションや音楽表現の受け取りを、気楽に味わい深く楽しむことが出来る邦楽は、音質や音楽を考えていく上においても、とても相性が良い物ではないかと思います。

また、よりパーソナルな音楽が増えてきている中、このような強みを持つ邦楽の価値は、ますます高まってきているのではないでしょうか。



今回も、最後まで読んで頂きありがとうございました。

次回も、よろしくお願いします。





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