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息苦しい世の中で、深く息を吸うために
つくづく思う。
過剰な世の中だなぁ、と。
例えば、モノ。
街には、ネットの世界には、モノが溢れている。
サービス。
ここ数年、オリジナルのサービスがどんどん増え、溢れかえっている。
情報。
これも然り。もはや何が正解かなんてわからない時代である。
娯楽。
それらに伴い、増えに増えている。旅行、グルメ、エンタメ…消費が仕切れないほどに、欲を掻き立てる娯楽が溢れている。
食事。
つまりは、カロリー、栄養ともいえるだろう。調味料、時短モノ、添加物なんかも増え、その結果、脂肪となり、病気となる。
資本主義経済下にあるこの世界は、そうならざるを得ない。
売らなきゃ成り立たないからである。
みんな必死に買って欲しいと、あの手この手で消費者の悩みを解決しようと、欲を満たそうと、努力をする。
人の悩みというのは、元を辿ればお金、健康、恋愛の三つだそうだ。もう少しライトな部分でいくと、ここ最近は時短もキーワードだろう。
人はこの過剰な世の中で忙しない毎日を過ごしていると、選択からそれを使うところまでラクしたくなるものだ。
あの手この手で産み出す社会と、時短してでも、無理してでも、早送りしてでも、ラクしてでも、病気になっても、何としてでもそれに応えようと頑張る消費者。
産み出しまくり、過剰となった世の中で、人は必死に息をするために、必死に幸せになりたくて、金を稼ぐ。
金を稼ぐところの根元には、何か過剰なものを売る、という仕組みが大抵は存在するのだ。
なんだこのラットレース。
なんだ、この訳のわからない、目がまわるような世界。
回し車から今すぐ降りろとは言わない。
ちょっと一度、立ち止まってみてもいいんしゃないだろうか。
SDGSでそう号令をかけられてはいるのだろうが、これは政治の策略から生まれたことである。
結局は資本主義社会を維持するために踊らされているだけなのである。
環境に配慮することはもちろん大切なことだけれど、もっともっとその奥にあることまで考えている人はどれほどいるのだろうか。
自然と共に、今もうすでにあるシンプルな世界で日々小さな幸せに気がつける人が増えれば、必然的に過剰に産み出す必要はなく、過剰に働く必要はなく、地球に負担をかけることなんてない。
地球環境に配慮しながら産み出しまくります。地球環境に配慮しながら買いまくります、稼ぎまくります。
って、全くもって意味不明なのである。
この世界で大人になっていく子どもたちには、どんな未来が待っているのだろうか。
シンプルな幸せに気がつける、感じられる、そんな子はいるのだろうか。
少子化も確かに問題かもしれない。
なんか他にも色々、問題かもしれない。
でも私は、これこそが危機なんじゃないかと思う。
小さな幸せを感じ、気づき、そこで小さな価値を循環しあえたら。
誰も無理することなく、自然体で、ささやかな幸せを応援しあえたら。
みんな、きっとたっぷり呼吸できるよ。
やさしくなれるよ。
毎日、ただ生きてるだけで幸せだよ。
2023年の上半期
小さな価値循環でスローライフを送る実験をしながら感じていたこと、確信したことです。