5点ラジオを好きな理由

わたしの母は見栄っ張りだった。彼女はお世辞にも勉強ができるとは言えず、高校を卒業して定職に就かないまま結婚し、わたしを産んだ。
わたしが中学生のとき、学校の保護者面談で、母は近隣高校の名前をいくつか挙げて「あんなバカな学校に通うなんて有り得ないでしょう」と大笑いしながら言った。そのときの彼女の意地悪な顔を今でも思い出す。彼女が口にした高校は、彼女が昔卒業した高校より遙かに難関だった。そういった中堅の学校を馬鹿にした発言を、保護者面談のたびに繰り返した。きっと彼女は賢く見られたかったのだと思う。聡明で、キャリアがあって、自立した女。そういう風に見られるように、彼女は外面だけを飾ろうとして、ほとんど空回りしていた。
授業で「両親の仕事について聞いてみよう」という課題があった。母は当時介護の仕事をしていた。事実の通り、母親の仕事は介護であることを課題の用紙に書き、仕事の詳細を聞きに行くと、彼女は顔を真っ赤にして怒ってわたしを殴った。書いた内容は消すように命じられ、母の仕事は「ライフコーディネーター」だかなんだかと書かされた。殴られながら、こんなに消しゴムで消した跡が汚い課題を提出するの嫌だなぁ…と思っていた。
わたしがバイトで貯めたお金は、ほとんど母に取られて若い男へのプレゼントに変わっていた。彼女は、女友達を作らず、勤務先で頻繁に喧嘩することにより「自立した女」を演出していたが、本当は不特定多数の男性から性的対象になっていることを確かめないと不安そうだった。彼女は「生活費が足りない」という口実でわたしのバイトの給料を取り上げ、そのお金で男からの関心を得るために贈り物を購入した。
ここまで書いてきたことはほんの一部で、母は暴力や金銭的トラブル等多くの問題を抱えていた。それらの問題のほとんどは彼女の肥大化した見栄が関係していたと思う。しかも、生憎、彼女は見栄を自覚せず親となってしまったため、子供だったわたしを傷つけた。もう彼女の見栄を受け止めきれなかったのに、わたしは子供だったので逃げることができなかった。大人になって実家を出た今でも、他人の大きな見栄を察してしまうと、わたしは暗い気分になって塞ぎ込んでしまう。
「母は見栄っ張りだった」と書いたが、わたしも見栄っ張りだ。程度の差があるだけで、ひとは皆んな外側だけを飾って良く見せようとすることがあると思う。わたしが5点ラジオを好きな理由は、見栄が小さいうちに小馬鹿にして笑いに変えてくれるから。これだけで救われる。見栄を張っている人のことを、一緒に「愚かだなぁ」と笑ってくれるだけで、また傷付けられることへの恐怖から少し解放される。自分の見栄も、他人を傷つける程大きくならないように戒められる。
5点ラジオに出会っていなければ、今でも、わたしは独りで自分や他人の見栄に敏感に反応してしまい、飲み込まれたように気持ちが底に沈んで、しばらく身動きができなくなってしまっていたと思う。


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