創作大賞の執筆で図書館員の皆さんに助けられた話
先日まで、私は山梨県・勝沼を舞台にした物語を書いていた。
勝沼には何度も訪れたことはあるが、その目的は小説の舞台にするつもりではなく、ワインを浴びるほど飲むためだった。
当時は、自分がまた物を書き始めるとは思いもしなかったので、記憶に残そう、という気概がなかった。残っている記憶といえば、
ワインワインワイン。そればかり……。
アルコールをまとった記憶というものは、どうしたって曖昧になりがちだ。
あの道にはぶどうがなっていただろうか。
あそこのコンビニはの駐車場はどんな感じだっただろう。
小説に描かれることと、勝沼の風景に大きな違いがあってはいけない。
自分の記憶だけではどうにもならず、書きながらネットで検索し、修正するを繰り返して書いていた。
ネットに上がっている動画なども検索しつつ、できる限り違和感を取り払う作業をしていく。そんな中、最後まで残った違和感があった。
今回、私の書いた物語の中には、主人公がたった一言だけ、甲州弁を発するシーンがある。
ネットには様々な情報が掲載されている。
その情報を頼りに、自分で調べて方言のセリフを書き込んでみた。そのときは、これで大丈夫かな、と思っていたのだが、投稿を続けるにつれ、やはり心配になってきた。
私は、もう一度甲州弁について調べるべく、再度ネットの海を彷徨った。だが、やはり、確信が持てない。
そんなとき、ある甲州弁の資料を調べていたら、その末尾に、
《このページに関するお問い合わせ先》
という欄があり、電話番号が掲載されていた。
今すぐにでもお問合せしたい気分だった。
でも、なんて言えばいいのだろう。
「この言葉を甲州弁に変換していただけませんか?」
そうやって、ただ訊くのも不躾だ。恥ずかしかったが、電話をした際、
「自作の小説に一言だけ甲州弁を入れたいので、教えていただけませんか?」
と、正直に話した。
ちなみに、私がこのとき、甲州弁にしたかった言葉は、以下の言葉だ。
「おまえ、いい加減にしろ! 早く行け!」
私はこれを、自分なりに調べてこう書いていた。
「おまん、ええからげんにしろ! ぱっぱと行けし!」
我ながら甲州弁っぽいと満足していた。だが、正解かどうか、地元の方のお墨付きが欲しかったのだ。
「これで合ってますか?」
と訊いてみたら、電話に出てくださった職員の方は「うーん」と唸り、こちらでは正確に回答できないので、山梨県立図書館のレファレンスサービスに頼ってみてほしい、ということで電話番号を教えてくださった。
ありがとうございますと、電話を切り、早速、山梨県立図書館に電話をし、「自作の小説に……」と先程と同じく事情を説明すると、電話に出てくださった女性の職員の方が、
「あー、私は勝沼のほうの出身ではないんです。でも私のほうでは、そういう場合は『ぱっぱ』は言いませんねえ」
と話してくださった。
ちなみに《早く》を甲州弁ではどういうか、ネットの情報だけで調べてみると、出てくるのは
の三つだ。
これをそのまま当てはめてみたのだが、地元の方からすると違和感があるようだ。
「うちの地域では『はんで行け!』っていうかなぁ……」
職員の女性が誰に話すでもなく言う。電話の向こうで、頭をひねっているのが見えるようだ。
すると、
「あ、今、近くに峡東地域出身の者がいるので代わりますね」
と言い、電話口から保留音が流れた。
ちなみに、山梨県の地域区分は以下の通り。
勝沼は甲州市にあたる。
それにしても、長い保留音だった。
こういう人から電話が来て、こうで、こうで、と、受話器の向こうで説明しているのだろう、お仕事中に申し訳ないと思いながらも保留音を聞いていると、
「お電話代わりました」
今度は男性が出てきた。事情は伝わっているようで、
「そうですねぇ……。うーん」
と、悩んでいる。
「実は私は、笛吹市のほうなんですよ。勝沼とは言い方が少し違うかもしれないんです。うーん、でも、『おまん、ええからげんにしろし』は言うかもしれないなぁ。うーん」
……変な電話をして、本当にすみません。
小さくなりながら、お話を伺っていると、その方は言った。
「いつも何気なく使っている話し言葉なので、いざ、甲州弁に訳してください、と言われると、なかなか難しいものですねぇ」
改めて気づいた、という感じで、その難しさを語ってくださった。
なるほど、そういうものなのか……と思っていると、
「あ、勝沼の図書館なら、わかるかもしれません」
と言われ、また、電話番号を教えて頂いた。
本当に有難うございます。
私は電話を切り、すぐに勝沼図書館に電話をし、これまでの経緯を話した。
「ああ、なるほど……そうですねぇ」
女性の職員の方だった。しかし今回もやはり、考え込んでいらっしゃる。標準語を、方言に言い換えるのは、想像以上に難しいことのようだ。
「『行けし』になると、提案するようなニュアンスが入るんですよね」
提案……。と、いうことは、
「つまり、子供が受験しようとしていて『おまん、あそこの大学行けし』って親が言うみたいな感じですか?」
「そうです、そうです。そんな感じです。 あの、もしよろしければ、調べて折り返しご連絡しますので、お名前とお電話番号を教えて頂けますか?」
なんと、調べるだけではなく、電話までしてくださるという。
見えない相手に私は何度も頭を下げ、「宜しくお願いします」と繰り返し、電話を切った。
そして二時間ほどが経過し、着信音が鳴った。
文字通り、私は飛びつくようにして電話に出た。
「はいっ!」
「勝沼図書館です」
先程とは別の職員の方で、この方も女性だった。
「甲州弁の件、調べてみて、わかりました!」
朗らかな口調にホッとする。周囲の方にも、いろいろ訊いて回ってくださったらしい。
「ただですね。《行け》という言い方についてなんですけれども、行って戻ってくるのか、行きっぱなしなのかで、言い方が変わるんです」
「そうなんですか!」
「行って戻ってくる感じだと、《行ってこうし》で、行きっぱなしだと《行け》になるんです」
とのこと。
甲州弁といえば、「行け《し》」などで使われる、語尾の《し》が有名だが、完全な命令形の場合は《し》を語尾につけることは、あまりないそうだ。今回、私の書いた小説では、状況的に《行きっぱなし》であると判断し、「行け!」がいいのではないか、という話になった。
《早く》のほうも、ネットに掲載されていた《ぱっぱ》《ぱんぱん》《はんで》ではなく、勝沼のほうでは《はあく》と言うらしい。
と、いうわけで、
「おまえ、いい加減にしろ! 早く行け!」
という言葉を、峡東地域(特に勝沼・塩山あたり)の方言に言い換えた場合、
「おまん、ええからげんにしろな! はあく行け!」
が、いいのではないか、という回答を頂いた。
このセリフが飛び出す状況を説明し、それに耳を傾けていただき、導びかれたセリフである。図書館員の皆さんのお力のよって、言葉に甲州の命が吹き込まれた。
最後にお話した勝沼図書館の方に、note創作大賞のこと、そこに応募すべく小説を連載中だとお話しすると、パーッと花が咲いたような明るい声で、
「うわぁ! すごいっ! 頑張ってくださいね!!」
と言ってくださった。
心からの言葉だというのが伝わってきて、胸打たれた。(今思い出しても、胸がキュンとする)。電話を切った後も、感謝の気持ちがあふれ出し、ありがたくて、しばらく受話器から手を離せなかった。
時間をかけて調べていただいた上に、応援までしてくださった。本当にありがたい。嬉しい。思い切って電話してみてよかった。心からそう思った。
図書館は知識の窓口だ。
人々の《知りたい》を助けてくれる、ありがたい場所だ。今回の経験は、それを強く実感した出来事となった。
職員のみなさん、お仕事中、失礼しました。
本当にありがとうございました。
創作大賞2024ファンタジー小説部門応募作品です。
こちらの物語の第14話に甲州弁が登場します。
今回、ご協力いただいた図書館です。