松ちゃんとヨシダさんと私とあなたと
「世の中には食べられない人だっているんだから残しちゃダメ」と言われて、
「その子らも腹一杯になったら残すてぇ」とダウンタウンの松ちゃんが返した場面が、もうずうっと前のことなのに頭の片隅に残っている。
食べられない人と比べて、恵まれている自分の中に生まれる罪悪感が、ふいにその重さを変えたような気がしたからだ。
「同級生の〇〇ちゃんは夏休みの宿題もう終わってるってよ」とハッパをかけられる一方で、「〇〇ちゃんも持ってるんだからアレ買ってぇ」とねだっても、「よそはよそ、ウチはウチ!」と取り合ってもらえず、大人の理不尽さに腹を立てたのは私だけじゃないだろう。
でも、それって世の中を渡っていく上での方便なんだろうと思う。
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このところ、寒くて朝なかなか起きられない。目覚ましを止めて二度寝してしまう日々が続いている。
この体たらくを恥じる一方で、自分は通常運転で日々を過ごせているんだなとぼんやり思う。
もう何年も前のことだが、冬の早朝にウォーキングをしていたことがある。
朝日を浴びてセロトニンを増やすとポジティブになれると何かで読んだからである。
生来怠け者の私が、ぬくぬくした布団を抜け出し、寒空の下を毎朝毎朝テクテクと歩き続けるなんて、はっきりいって尋常ではなかった。
人生のどん底で、壊れかけた状態から立ち直ろうと必死だったのだ。
そんな私と違って快活な人は世の中いるもので、よくウォーキングやランニングをしていてる人とすれ違った。
ヨシダさんもそのひとりだった。
毎日すれ違いざまに会釈するだけのその人の名を知っているのは、一度だけ言葉を交わしたことがあるからだ。
何がきっかけだったか、10分にも満たなかったであろうその間に何をどこまで話したのか、細かいことは覚えていない。
ただ、誰かに優しい言葉をかけてもらうだけで涙があふれてしまうような危うい時期だった。
世の中には、被災して大変な思いをしている人たちがたくさんいた時期だった。
「すみません。もっと苦しい思いをしている人たちがいるのに」と涙をこらえる私に、ヨシダさんは言ってくれたのだった。
「それって、人と比べるものじゃないのよ。あなたがつらい時は、つらいでいいのよ。あなたが頑張ってきた人だってことは、見ただけでわかるもの。自分で認めてあげなくちゃ」
私と同じくらいの息子がいて、彼も私と同じような経験をして、つらい思いをしているのだと話してくれた。
次の日からまた、私たちは会釈するだけの関係に戻った。
少しとっつきにくそうで、他人に興味などないように黙々と歩くその人がかけてくれた言葉に、私は救われた。
少しずつ元気になって、本来のレイジーな自分を取り戻した私は、やがて朝のウォーキングをしなくなった。
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コロナの終息が見えなくて、みんなが疲れていて、なんだか世の中がギスギスしているのを肌に感じる。つらい思いをしている人がたくさんいると思う。
自分より大変な人たちがいるんだもの。こんなんで負けていられない、と自分を鼓舞できるのだったら、それはそれで素晴らしいことだ。
でも、大変な人がいるのに自分はつらいなんて言ってはいけないと我慢してしまっているのだとしたら。
ヨシダさんが私に言ってくれたみたいに、それは人と比べることじゃない。
つらかったら、その気持ちを自分で認めてやっていいんじゃないかと思う。