コロナウイルス奮闘記 #9
前回に引き続き、連続で書いています。
ゴッドファーザー part2!!!
初代ゴッドファーザーがゴットファーザーになるまでの物語と、現在の二代目ゴッドファーザーがいかにしてファミリーを守っているかがクロスカットされていきます。
どちらの物語も非常に面白いので、「そっちの話いらないんだけど!」なことはありませんでした。
みんなが惚れる男、初代ゴッドファーザーの成り上がりは、想像を絶する、とかではありませんでした。第一部の最初のシーンでゴッドファーザーが相談に乗るようなことを、昔からやっていたんだな。大して変わらないじゃないか。
と思いました。また、非常に優しくて、他人思いな人なんだな、と。
ゴッドファーザー達はどんどんと殺人をしていきます。その点で言えば新旧ゴッドファーザーはどちらも悪党です。恐ろしい人たちです。
でも、その理由は家族を守るためであったり友人を守るためであったりです。殺してしまう人たちもまた悪党ですから、複雑です。殺さなければどうにもならずに苦しむか或いは自分が死ぬことになったかもしれないのですから。
マイケルの物語では、一家を守るための奮闘が続いていきます。その中でマイケルは変わっていきます。残虐になり、冷酷になり、短気になり。
第一部での度胸があって冷静で優しい青年とは違ってしまいます。
そしてとうとう、自分の身内までも手にかけてしまうんです。
家族を守るための奮闘が、家族を殺すハメになる。
なんのために戦っているのか、わからない。
マイケルは何を守っているのかわかりません。
マイケル目指した先には、孤独と空虚しか待ち受けていませんでした。
幸せを目指し、家族や友人を守ろう奮闘とした新旧ゴッドファーザー達の結末は、まるで正反対なのです。
家族や友人を失ったマイケルと、全てを手に入れたビト。
何が違ったのだろう、自然と考えさせられてしまいます。
ビトは「相手の立場になって考えるんだ」と言っていました。
生前のビトのところには、多くの相談者がやってきていました。
彼はその相談の多くに応じていたのだと思います。
恩を売っていたと捉えればそれまでですが、本当にそれだけなんだろうかと思います。ビトは、本当の幸せとは何かを知っていたのだと思います。だから、相談相手を満足させることができた。相手の立場になって、何が相手を一番幸せにするかを知っていた。
しかし、マイケルのところには相談に来る人はいません。
マイケルの時代は相談というよりもビジネスに来る人が多いのです。
人間に心から接した初代ゴッドファーザーは、その恩恵を受けていました。マイケルは、人間の心に触れることはありませんでした。ただ、お金やビジネスと触れ合っていただけでした。
単に時代が違ったからでしょうか。どうでしょう。
でも、二人の違い、幸不幸の分かれ目は、人間の心に接していたかどうかにかかっていたような気がしてならないのです。
人間は、自分の幸せには気づけない愚かな生き物なのでしょうか。
人間は、箱の重みの変化に気づかないで、大事に抱え続けるような愚かな生き物なのでしょうか。どうして、気づけないんだろうと不思議に思います。でも、人間のどうしようもないところなのでしょう。どうしても、愚かな部分なのでしょう。
自分一人の本当の幸せにすら気づけない。
でも、初代ゴッドファーザーは他人を幸せにさせることで、満足させることで、自分の幸福を手にしました。
自分の幸せがわからなくても、自分が危険に陥っても、誰かを幸せにすることが、自分の幸せへの一歩なのかもしれない。
空からお金の雨が降る奇跡は起きないけれど、
家に帰ったら、大好きな人がご飯を作って待ってる奇跡は起こるかもしれません。家に帰ったら、「パパーだいちゅきー」と子供がハグしてくれる奇跡も起こるかもしれません。
人間に奇跡をもたらすのは、人間なのです。
人間に幸せをもたらすのは、人間なのです。
自分ではない他の人間の心に直接触れない限り、ぼくたちは幸せの定義に迷い続けるのかもしれません。