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【完結】【前編】さよなら、僕の愛風

   
「さよなら、僕の愛風」


【あらすじ】

 6年前、中学の入学式の3日前、親友の愛風百は死んだ。ところが、6年後、高校生になった「私」の前に彼女は転校生として現れる。 愛風百は悪の組織による世界征服を目指す、意味不明でめちゃくちゃで世界で一番カッコいい女の子で、「私」の憧れだった。それなのに、転校してきた愛風はどこにでもいる普通の女の子で、「私」は不満を募らせていく。 そんな中、「私」宛てにあるメールが届く。そこには「転校生の愛風百は世界征服をもくろんでいる」「止めたければ私に協力をしろ」と言うものだった。

 転校生愛風百は何者なのか、メールは誰が送っているのか、過去軸と現在軸を交互にわたる中で、少しずつ真実は明かされていく。


宇佐崎しろ先生のお題イラストをもとに、物語を書いてください。(プロ、アマ不問)|JUMP j BOOKS (note.com)


【本文】

 中学に入学する3日前、愛風は死んだ。

彼女は何者だったのか。ならば愉快で悪辣。そんなことを言う人が多いかもしれない。誰もが彼女に関わりたくないと言っていたが、きっと心のどこかで彼女に憧れていた。そんな人だった。

私は、どう思っていたのだろう。愛風を。彼女を。あの嵐のような人を。友を。畏怖していたのか、あるいは憧憬をいだいていたのか。私はもうあの時の気持ちを正しく思い出せない。


黒板に描きつけられる文字。4年前に成長が止まったはずの彼女の背丈は、思い出より少しだけ高い。内側にピンクの毛束を混ぜてかわいらしくハーフアップにまとめられた髪。


「愛風百です」


 彼女は「愛風が死ななかったら、きっとこうであっただろうな」と何度も夢想した姿にそっくりだった。意地の悪い笑い方も、話すときに少し肩を傾ける癖も、少し上がるような語尾も、まぎれもない「愛風」だった。

 でも、彼女は死んだ。生前に一度も袖を通すことがなかった、作ったばかりのあの中学の制服を着せて、私は彼女が炎に焼かれて小さな骨になったのを、家族とともに見送った。確かに、「愛風百」と言う人は、死んだのだ。それなのに彼女は今、あの制服を着てここにいる。

「私、みんなといっぱい仲良くして、素敵な思い出を作りたいです。よろしくお願いします」

 愛風が、いや愛風によく似た何かが笑った。それに続いて、愛風を知らない人たちが笑いだす。

 私にはその光景がたまらなく気持ちが悪いものに思えた。



     ―6年前「1」―


 

 私と愛風の出会いは、私があの辺境の田舎の小学校に転入した日だった。あれは、小学4年生くらいだったと思う。

 スクールとは、何もかもが違った。まずクラスが1つしかなかった。本当はそれでみんな、黒い髪と黒い瞳を持っていた。アメリカで1年だけいた学校とは、何もかもが違ってドキドキした。みんなと仲良くなれるかなとか、日本語はおかしくないかなとかそんなことを考えて、前日に一生懸命練習した自分の名前を黒板に書いた。「発音、練習しよう」とお母さんが何度も付き合ってくれた挨拶の言葉を思い出して、一生懸命話した。

「アサイって、なんでアサイなの? ガイジンなのに」

 あの小学校で初めてした会話は今でも覚えている。一列目の真ん中に座った黒い髪の男の子は、私の髪と瞳を交互に見つめていた。

「お父さんがアサイだから」

「じゃあ母ちゃんがガイジンなんだ」

「おばあちゃんがアメリカ人なの。だから、私は外国人じゃなくて、クォーター」

 その返事を聞くと、男の子は立ち上がって「アメリカだ!」と叫んだ。私は意味が分からなかった。確かに私のおばあちゃんはアメリカの人だ。それを大声で指摘して、何が楽しいのか分からなかったから。でも、周りの人は違った。「アメリカ?」「アメリカなんだって」と側にいる人と囁き合って、無遠慮に私を見た。じろじろ、じろじろと、どこに目を逃がしても、視線が追いかけてくる。

「なあ、エイゴしゃべれんの? アップルって言ってみて」

 俯いて手を握って、そのまま何も言えなかった。家族が教えてくれた言葉が、すごく恥ずかしいもののように感じられて、そう思ってしまったことも恥ずかしくて、顔が赤く染まる。アップルって何? リンゴ。発音をあっちの言葉でってこと? 先生が何か男の子に注意したようだったが、騒めきは収まらなくて、席にも座れなくて、私はずっと黒板の前に立ち続けていた。もうずっと、おばあちゃんになるまで教室の前で立ってなきゃいけないのかな、とかそんな突拍子もないことを思った。

 

 「助けて、ウィンドマン」


 前の国で見たアニメのヒーロー。どんな時でも悪者が現れたら風のようにやって来て、やっつけてくれる憧れのスーパーマン。前はあんなに大好きだったのに、今はお父さんが買ってきてくれても「いらない」って返してた、あのアニメの中にしかいないヒーロー。

 もう逃げたい。そう思った時に、その声は聞こえた。


「僕は愛風!」


 はっと顔を上げる。背の低い。髪を鎖骨くらいまで伸ばした女の子が立ち上がって、それでまっすぐ手を挙げている。周りは驚いたのか、口を開いたまま固まっており、教室はしんと静かになった。それを見て、満足したのか、その女の子はごくごく自然な様子で机の上に靴のまま上がって立ち上がる。

「僕は愛風。父は戸籍上は日本人、母は戸籍上は日本人。私も戸籍上は日本人だ!」

 皆が彼女の方を見ながら「こせき?」と首を傾げる。私もその時はそんな言葉知らなかったから、この子は何を言ってるんだろうって思っていた。

「こら、愛風さん、危ないでしょう。机から降りて」

「私は日本人、だが、心は“愛風国”のものにあり! 我が国はいつでも新たなる国民を探している」

「ちょ、もう……」

 愛風は何やら抵抗していたが、小柄なためかあっさり下ろされて、その後怒られて、不服そうな顔で布巾で机の上を拭いていた。しかし、その顔は反省しきったものではなく、むしろ「なぜ、分からないのか」と言う怒りに満ちており、なんだかおかしかった。

 混乱に乗じて、こそこそと準備された席に座って、荷物を整理していた時、隣の女の子に話しかけられた。

「あの、大丈夫?」

「え?」

「あの、お母さんがね、外国の子が来てもね、からかっちゃだめって言ってて」

「あ、うん、平気」

 さっきまで「ウィンドマン」に助けを求めていたのに、不思議なことに私はすっかり平気だった。むしろふわふわと心が浮き上がってくるような気さえした。

「あのね、さっきの子、えっとももちゃんって言うんだけど」

「あいかぜさん、のこと?」

「そうそう、いっつもあんな感じだから気にしなくていいよ。お父さんもね、ずっと変なケンキューをしてるらしくて、村にユードクなガスが出るんだって、吸うとガンになるから近づくなってママがね――」

「ああ、ももちゃんの話? あの、この間とかねやばいんだよ。変な色の水を家の前でまいてて」

「俺、ももがゲーム機ばらばらにしてるの見た! あれでロボット作って学校襲うんだって!」

 その後も、私を置き去りにして、皆は愛風の話をした。愛風が人といかに変わっているのか、いかに理解が出来ないのか。

 愛風はあの小さな世界における異物だった。異国の地からやって来た私よりもずっとずっと。髪や目の色よりも、それは相容れないものだったらしく、私がだんだんクラスに馴染んで「クラスメイト」となっていく中で「愛風と言う存在はずっと「愛風」だった。




「うちのお父さんね、研究者。人工、いや、心を作る方法を探してるの」

 

 愛風と初めてまともな会話をしたのは、転校して3か月くらい経ってからだったと思う。

 3か月、私は愛風とずっと話したかった。ただ彼女はいつも自由な風のようで、休み時間も、帰りもすぐにどこかに消えてしまって叶わなかった。

 その日は少しだけ家に戻るのが嫌で、遠回りして帰った。いつもは通らない、河原の遊歩道を、夕焼けを眺めながら、ずるずると出来るだけ時間をかけて歩いていたら、川沿いに見覚えのある2つ髪を見つけたのだ。

「愛風さん」

「■■!」

 愛風はてっきり人には関心がないものだと思っていたけれど、話したこともない私の下の名前を親し気に呼んだ。遠くから手を振っていると、こっちと手招きをされたので、土手をゆっくりと慎重に降りて彼女の側に行く。

「どうした? 学校慣れた?」

「あ、うん、みんな、よくしてくれるし。あ、急に声かけてごめんね」

「ふーん」

 彼女は面白くも、つまらなくもなさそうな返事をした。私はなんだか焦って、会話を面白いものにして、彼女の関心を引きたくて、なんとか口を開いた。

「あ、愛風さん、お、お父さん。科学者? なんだよね。山のふもとの大きい建物、愛風さんの家だって、聞いたよ」

「ああ、うん、そう。まあほぼ研究施設で、住むとこなんてちょっとだけどね」

「研究?」

「うちのお父さんね、研究者。人工、いや、こう言った方がいいか。心を作る方法を探してるの」

 彼女は途中、私にも分かるように言葉を言い換えたように感じた。横顔を見る。涼しい顔をしている。愛風は、学校のテストもいつも100点だった。どんなテストでも間違えないから、それはみんな認めていた。それで先生はちょっぴりプライドが傷つけられていた。実感はなかったけど、なんとなく、私のために言葉を選んでくれるところが、本当に賢い人なんだと漠然と思った。

「ほら、猫型ロボットいるでしょ。あれみたいな。自分で考えて、自分で動く、そういうロボットを作るための研究。心を作るんだ」

「す、すごい」

「だろ?」

 その時、愛風はこちらを見て、胸をつんつんと指さす。にいっといたずらっ子のように笑った。それを待っていたように河原には風が吹いて柔らかい草の匂いを運んでくる。

「全然、そういうの分かんないけど、私、すごいって、思った」

「ありがと」

「でも心を作る研究ってさ、ガスとか出るの? なんかみんなが愛風さんの家はいつも変な色のガス出てて怖いって――あ」

 言ってから後悔する。今の、絶対嫌な気持ちになった。どうして世界には一つ戻るボタンがないんだろう。こうやって間違えてしまった時、やり直すことが許されないんだろう。

「ご、ごめんなさい」

 謝る。でも、私が言った事実は消えない。私が愛風をおかしい子だと周りと笑っていたと思われる。言わなかったら、バレることはなかったのに。

「何が?」

 愛風から戻って来た言葉はそれだけだった。私が青い顔をしている意味なんてまるで理解していない顔だった。

「裏で、何か言われてたって思われたら、嫌でしょう」

「あー別にいい。聞こえてるし、嫌な気持ちしないし」

「で、でも」

「子どもはさ、悪くないんだよ」

 愛風は小さな顔をこちらに向けてにいっと笑った。小さな悪魔みたいな笑顔だった。

「子どもはね、親から言われたことで出来てるんだって。七色に光るガスも、子どもだけの世界にあったらきっと憧れの存在になれる。でも、大人は知ってる。ガスにおかしな色がついているのは危険だ。何かの病気になるかもしれない。ガンになるかもしれない。そう思って、子どもの前で『あの変な色のガスを吸うとガンになるから離れなさい』って言うんだ。本当はね、あのガス、ガスでもない」

「へ、へえ愛風さんは大人っぽいんだね」

「大人っぽいかぁ」

「あ、ごめん、愛風さん」

「愛風でいい」

「いいの?」

 愛風はもちろん~と手をひらひらさせた後に「それとさ」と付け足す。

「私に空気読んでごめんって言わなくていい」

「空気を、読む?」

「もしかしたら傷つけたかも、嫌な気持ちさせたかもって時さ。私には謝らなくていいよ。傷ついた時は傷ついたって言うから、そうしたら『ごめん』って言って欲しい」

 愛風は、本当に不思議な子だった。桃色に近い目をずっと見ていると、体が浮き上がるような気持ちになった。

「『ごめん』たくさん言うと、安くなるから。だから、大事にしよう。高い『ごめん』だけ、僕には頂戴」

「わ、分かった」

 ごめんは言わなくていい。なんとなくでいつも謝ってばかりの自分にはよく分からない言葉だった。その言葉でその場が片付くなら、私はいっぱい「ごめん」を使う。そうだ、昨日両親が私の将来で揉めていた時も、「このままじゃ受験に失敗する」ってお父さんに怒られた時も、よく分からなくて、逃げたくて「ごめん」って言ったんだ。

「意味もなく『ごめん』を繰り返したら、本当に伝えたい時、伝わらない。受け取れない。僕はそれが嫌なんだ」

「あ、ごめ――じゃなかった、そっか」

 同じ年数生きていても、愛風は大人びていた。私が何も考えずに生きている中で、ずっとそうやって来た。

「ねえ、僕って大人っぽい?」

「うん、もちろん! すっごく、すっごくかっこいいと思う」

「そっかぁ」

「ごめ――もしかして言われて嫌な言葉だった?」

「ううん、違う。僕はさ、早く大人になりたんだ。大人っぽいってさ、大人という定義に近いってことだから、大人に言わないだろ。だから、まだ先は遠いなと思って」

 私は目をぱちくりとさせた。大人っぽい。なるほど、大人らしい。らしいということは、大人ではないと言うことだ。大人の女性に対して「大人っぽいファッション」とか言うことがあるような気もするが……彼女の真剣な目を見ていると指摘もしづらい。

「愛風さ、愛風は、どうして早く大人になりたいの?」

 夕日はいつの間にか沈みかけている。夜が近い。もう帰る時間が近づいている。愛風も同じことを思ったのか、ランドセルを持って立ち上がった。私も慌ててそれに続く。

「決まってるだろ」


「世界征服したいからだ」


 その時、愛風は本当にそう言った。

 子どもみたいな夢を笑おうとしたけど、出来なかった。こちらに微笑みかける愛風の目には少しも冗談の色がなかったから。



    ***



 高校に愛風百が転校してきてから1週間。確信していた。愛風は私を避けている。

 愛風が転校してきたその日、私は愛風に群がるクラスメイトを押しのけて、「誰だよ」と迫った。なんて言われたかったのかは分からない。ただ、愛風の顔を被って動くこの謎の存在が許せなかった。

「誰って……えと、転校してきた愛風百だよ」

「何、その話し方。しかも何その制服。頭おかしいの。そんな話し方しないでしょ」

「ちょ、ちょっとアサイさん止めなよ」

 何も知らないクラスメイトは私を止めようと袖を引いて来る。でも私は絶対に引くわけには行かなかった。こいつが着ているのは、愛風が着ることがなかった「私たちの中学校」の制服だった。他人の空似とかそういうのじゃない。こいつは「分かっていて」やっている。ここは地元から離れた高校だ。だから私以外に、そのことに気づける人はいない。

「これ、中学の時の制服で。この学校は制服ないって聞いてたから、これにしたんだけど、駄目だったかな?」

「違うでしょ。あんた何しに来たの? わざとそんな服着て、私のこと――」

「もう止めなよ」

 背中をぐいっと引かれて、やっと私ははっと顔を上げる。クラスメイトの目が、私をじっと見ていた。汗がだらだらと零れる。説明を、説明をしなければ。愛風は死んでいて、こいつは紛い物なのだと。

「違うよ、だって、愛風は死んでるんだよ。もうずっと前に。葬式だって出た」

「は? あんたいくらなんでもそれはひどすぎ」

「違う。本当に、本当なんだよ。愛風はそんな話し方しなかったし、中学校の制服だって着れなかったんだ。一緒に着るって言ったのに、着れなかったんだ。愛風は死んだんだ」

「えっと、アサイさん、私、アサイさんに何か気に障るようなこと――」

「百ちゃんはいいよ、アサイ、あんたいい加減にしろよ。だいだい――ちょ、おい!」

 耐えられなかった。私はクラスメイトたちをかき分けて、トイレを目指して走り出す。周りに呼ばれた気がしたけど、耐えられなかった。あそこでみじめに泣きだしたら、もう思い出さえ消えてしまうような気がした。



 あれから、愛風とは話していない。と言うより、話せていない。私の気持ちはもちろん、周りのクラスメイトがいつも愛風を私と言う「敵」から守るように立っていたからだ。

 愛風百は、何もかもがあの頃とは違った。愛想がよくて、よく笑う、期間限定のチョコレートフラペチーノが大好きな、どこにでもいる高校生だった。流行りものが大好きで、クラスの目立つ女の子たちとよく私の知らない話をしていた。愛風はクラスの異物でもなんでもなく、ただの人気者で、その人気者に食って掛かった私こそが本当の異物だった。

 元々浮いていた癖に、私はもっと浮いた。教室の天井を突き抜けて、空も飛べそうなくらいだ。


 そのメールが届いたのは、それから1か月も経たない内だったか。

 いつもメールなんて開かないけど、適当に登録したアプリの認証のために開いたら、そのメールは届いていた。日付は3日前。


『世界征服計画 第一弾』


 世界征服。その言葉に無意識にメールを開封していた。こういうのは開くのもいけないとか、そんなことを薄ぼんやりと考えながら。寝返りを打って、あくびをして、ゆっくりを画面の更新を待つ。


『死んだ人間そっくりな怪物を組織に侵入させる』


 真っ白な衝撃。その後、体は飛び上がるように起き上がっていた。

 死んだ人間。愛風。怪物。あのニコニコと笑う、どこにでもいる女。誰が? 誰が知っている? そもそも、世界征服計画なんて、そんなことを言い出す人は世界で1人しか知らない。

 アドレスを見ると「HeelSyndrome」とある。直訳するなら悪役の病気。確かヒーローコンプレックスなんて言葉があったから、その反対と言うこと。ヒールコンプレックス。ドキドキと心臓の音がする。


『誰?』


 3日前のメール。すぐに返って来るなんて思っていなかったのに、すぐに返って来た。まるで私のことを監視しているみたいだと思って、カーテンを閉めてからメールを開いた。


『Re.世界征服計画 第一弾』


 震える手で中身を見る。


『僕は君の敵』


「愛、風?」

 私はへなへなとその場に座り込んだ。「僕は君の敵」そうだ。愛風だ。愛風はこういうんだ。愛風は私の「敵」なのだ。涙が零れる。形だけがそっくりな偽物じゃない。本当の、本当の愛風がこの向こうにいる。死んでしまったけど、どういう原理か分からないけれど、愛風は連絡をくれた。私はすぐさまメールを打った。


『愛風? どうやってメールしてるの? あの転校生は何?』


 返事はしばらく来なかった。

 その間何も手につかなくて、ただそわそわとベッドに座って時が過ぎるのを待った。そうして何度も何度もメールの更新ボタンを押す。

「来た!」

 前のメールから15分後。私は慎重にReが2つ連なるメールを開ける。


『僕は動けない。だからあの転校生を探って欲しい。彼女は何かを隠している。他の人間と比べて何かおかしいことがないか調べてくれ。また連絡する』


「おかしいことって」

 おかしいことしかない。愛風と同じ声、同じ顔。それで同じ喋り方。それなのに性格がまるっきり違う。あそこまで正反対だと何かの作為を感じるほどだ。

「隠してるって、それはそうでしょう」

 調べようにも私は愛風とその「友人」とやらに避けられている。2人で話すのもなんだか恐ろしい。さてどうしたものか。

ゆっくりと文面を読み返してみる。「彼女は何かを隠している。他の人間と比べて何かおかしいことがないか調べてくれ」何度もそこを読み返していて、私はやっと気づく。

「他の人間と比べて……?」

 前の愛風との違いを調べろと言っているのではない。あくまでも人間との違いを探せと言われているのだ。人間との違い? まさか――

「あの愛風は、人間じゃない?」

 信じられない。私は食事をとっているのも見たし、体育だって普通に参加している愛風を見ている。それに写真だって友達と撮り合っていて、それで何か起きたという話は聞かない。

「人間じゃない……幽霊、怨霊――――ロボット、人工、知能」

 愛風の父親は、確か人工知能の研究者ではなかったか。生前、愛風は自慢げに話していたではないか。自分の父はドラえもんを作る研究をしているのだと。

「生前の愛風を再現した人工知能、そんなもの、作れるの?」

 人工知能、AI、少しずつ浸透しつつある技術。私のスマホにもAIと話せるアプリがついているが、それもどことなくちぐはぐだし、間違っていることが多い。でも、あの愛風は誰も違和感を指摘できないくらい「よく」出来ている。

 それにまだおかしいところはある。あの愛風はどう考えても愛風ではない。人に合わせ、人と馴染むことが出来る、愛風はそんな子じゃなかった。愛風の父か関係者が、「あれ」を作ったとしたら、なぜあんな性格にしたのだろう。

「分かんないけど、やってみるしか、ない」

 突拍子もない話だ。誰かに話しても笑われるだけだ。だからこれは私一人でやり遂げる。必ずあの転校生の正体を暴いて見せる。



   -6年前「2」-



「私は将来、公務員になりたいです。理由は2つあります。まず――」


 ありきたりな夢をなんとか話して座れば、パラパラと拍手が鳴る。次の子は立ち上がると「プログラマーになりたいです」と話し出す。公務員、プログラマー、会社員、看護師、次々に夢が教室に落とされていく。

 幼稚園にいた時、もっと夢はカラフルだった。アイドルとか、アニメのキャラとか、お金持ちとか、お医者さんとか、途方もない夢を恥ずかしがりもせずに語れた。


「公務員はね、『安定』してるの。それにね『退職金』もたくさん出るから。『地方公務員』になればね、『転勤』もないから実家の近くで『結婚』して『子育て』できるでしょう?」


 お母さんは最近そればかり言う。前はもっとのびのびとした人で、私がテレビの先を指さしながら「あれになりたい!」と言ったら、「なれるよ」って笑ってくれる優しい人だったのに。


「子どもはね、親から言われたことで出来てるんだって」


 愛風はあの日、河原でそう言った。そうだね。公務員になれば安定してて、退職金がもらえて、転勤も少なくて、お母さんを安心させてあげられる。私はさっきそれをあたかも自分の考えみたいに言った。安定も、退職金も、転勤も、知らないのに、何を言うのがいいのかだけ分かっていた。

 ゆっくりと後ろを向く。席順に発表しているから次は愛風の番だ。

 前に河原で愛風は「大人になって世界征服をしたい」と言っていた。あの時はびっくりして何も言えずにいたら、「それじゃあ」と走って行ってしまって詳しいことは何も聞けなかったけど、あれはどういう意味だったんだろう。まあでも、流石に小学後半にもなって世界征服なんて作文に書かないか。そう油断していた時、その声は響いて来た。


「将来の夢。愛風百。私は将来、悪の組織のボスになりたいです」


 眠気眼だった全員が、驚愕の表情を浮かべて愛風を見ていた。先生は、あまりの衝撃で行動を起こせていない。愛風はそれをいいことに、妙に朗々とした声で続けた。

「悪の組織のボスになりたい理由は、世界を征服して、世界を変えたいからです。まず、世界中のTVをジャックし、宣戦布告を行います。その次に各国の象徴となる建物を巨大兵器で爆撃し――」

 凍り付いていた教室は一人が笑い声を漏らすと、それに続くように一人二人と笑いだし、溶けだしていく。そして愛風が「こうして組織のアジトを構え、世界を手中に収めた僕は世界中に恐れられる伝説の大魔王となるのでした」と締めくくると、それまで下を向いてぷるぷると震えていた先生が前を向き「あーいかーぜー」と怒りを声に滲ませた。クラスメイトはずっと腹を抱えて笑っている。

「いいですか。これは授業参観前の練習です。ふざけて書いて来ないでください」

「ふざけてません。僕は本当に世界を征服します」

「その僕と言うのも、普段はいいけど、こういう時はやめなさい。私、と言いなさい。ふざけているように見えます」

「僕は『下僕』という言葉があるように、もとは男の召使いを表す謙譲語です。自らをへりくだった言い方をするのは悪くないと思います。あと――」

 そこからの先生の行動は早かった。愛風を軽く一発小突くと首根っこを掴んで、教室外に連れて行った。「戻ってくるまで自習」と言う言葉を残して。

「世界征服か」

 周りは集まって話し始めていたが、私はその輪に混ざる気になれなくて机に座ったままぼんやりを外を見ていた。

「あいつまじで馬鹿じゃねえの」

「いつまで言い続けるんだろうね、あれ」

「お父さんに怒られないのかな」

「もうそういうの卒業する年なのにな」

 世界征服をしたい。愛風と初めて話した日に言われたこと。あれから愛風と話していない。相変わらず休み時間になればどこかに行ってしまうし、放課後に河原に行ってもいない。

「頭いいんだから医者とかになればいいのにな」

「百が医者になるの嫌すぎる。変な薬打ってきそうじゃん。ガンになるよ、ガン」

 頭が良かったら、医者になるのか。なんとなく思う。私がもし頭が良かったら、医者になれって言われたのかな。愛風は頭がいいから医者になりたいって言わなきゃいけなくて、私は普通だから公務員にならなきゃいけないのかな。

 小さいとき、私たちはどんな夢も許された。でも、どこからかおかしくなって、医者になりたいって言った子は「もっと勉強を頑張らないと」と言われて会社員を目指すようになって、女優になりたいと言った子も「美人じゃないからやめた」と別の職業を目指した。

 夢を見るだけなのに。た心の中の問題なのに、どうして自由でいられないんだろう。どうして夢は、大人になったら現実の隣にいることしか許されないんだろう。それが大人になるということなら、なんて息が詰まるんだろう。

 世界征服をする。愛風の朗々とした声が聞こえた気がして、そうしたら少しだけ息が吸いやすくなった。



 下校のチャイムが鳴る。帰りの会の終了と共に、愛風はひったくるようにランドセルを持って走り出す。しかし、私だって今日は違う。足は速い方だ。廊下のコーナーを少し減速した愛風を見ながら、私はフルスピードでコーナーを曲がる。

「愛風ぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」

 周りの生徒がぎょっとした目でこちらを見ていた。それでも足は止めない。私は今日、愛風と話さなきゃいけない。そんな気持ちが高まっていた。

 昇降口につく。あとは急いで靴を履き替えて、校門までに見失わなければ――そう思ったところで気づく。

「あ、愛風?」

「どうしたの、急にそんな追いかけて来て」

 愛風の顔を見たらほっとして、私はその場にへなへなと座り込んでしまった。そんな私を、愛風は頭をぎゅむぎゅむと押しながら待っていてくれた。



 私の話を聞いた愛風はなるほどと言いつつ腕を組む。そして口をへの字に結んで言葉を発さなくなった。河原には青々とした背の高い歯が生えている。

 言ってから後悔はした。現実的な夢を見るのが怖い。息が詰まる。そんな話を聞かされても、愛風にとってはきっと困惑するし、「何言ってんのこいつ」としかならない。「ごめん、忘れて」その言葉が出かけたけど、その時愛風とした「軽いごめん」は使わないという約束を思い返して止まった。愛風と話すために、私には守らなければいけないことがある。

「現実とか夢とか、考えたことなかった」

 愛風が沈黙の後に言ったのは、その言葉だった。え? と返すと、愛風はこちらも見ずに続ける。

「世界征服。めちゃめちゃ笑われるのも怒られるのも知ってる。でも、僕にとっては普通のことだから。普通に成し遂げることだから。夢と言うか予定だから。今笑ってる奴らもさ、どこかで僕の脅威に気づいて笑うのやめるよ」

「愛風は強いね」

「具体的プランは勉強していく途中で変わるかもしれないけど、でも、悪のボスになりたい。なる。今ね、ちゃんと決めた」

「でも、どうして悪のボス? なの?」

「好きなんだよねぇ」

 愛風はそのままアスファルトの上に寝そべって、「空、青」と呟く。だから私も恐る恐る真似をしてみた。服を汚したとかで怒られそうな気もしたけど、校庭で転んだとか言えば誤魔化せるだろう。

「ヒーローが出で来る漫画とか、アニメ、好きなんだ。見た時、これだって思った」

「わ、私も好き」

 寝そべったまま、顔だけ向けると、愛風はこちらを見てくれてにっといたずらっ子のように笑った。

「あの、私ね、昔、ヒーローに、ウィンドマンになりたかったんだ」

「ウィンドマン……アメコミのヒーローか」

「そう。あっちではよくアニメがやってて、怪人が現れたらさ、すぐ助けに行くの。風みたいに、どこにでも。かっこいいなって」

「ウィンドマンは機動力がすごい。あとダメージ受けても、胸元の風車を回すと復活できるから、そこを最初に潰すのが大事」

「なんで倒す前提なんだよ」

 2人で顔を合わせて笑った。久しぶりに、人と会話が出来た気がした。

「でも、なんでヒーローじゃなくて悪役になりたいの? 愛風ならヒーロー、似合うけどな」

 愛風は曲げない。それにへこたれない。どれだけ周りに否定されても、自分の正しさのために努力できる。いつも諦めて折れてしまう私にとっては、愛風はヒーローだった。

「ヒーローは待ってるだけだから嫌」

「待ってるだけ?」

 思いもよらない言葉に聞き返す。待ってるだけ。ピンと来なくて空をじっと眺めた。

「怪人がさ、街を破壊しようとするでしょ。『全部壊して新しい怪人が住みやすい街を作るんだ』って。ヒーローはそれを後から聞いて追いかけて止めるだけ。悪い奴が何かしようとしてるのを止めるだけ。いつも誰かが何かするのを待ってる。かっこいいけど、僕のやりたいこととは違う」

「なる、ほど?」

「僕は自分で、自分から世界を変えたい。それで周りから否定されて敵を向けられても、『この雑魚どもめ』って言ってビームで薙ぎ払ってやりたい。そうしたらさ――」

「そうしたら?」

 愛風はそこまで言うと急に起き上がった。私もそれに続く。

「……今は内緒」

「えーなんで」

「悪の計画なんだから、理由もなく人に漏らすわけには行かないのだ」

「教えてよぉ」

 私が愛風を小突けば、「なにぉ」と愛風も私に優しくチョップを食らわせる。

「よし、■■、今からウィンドマンやって」

「え、ええ?」

「私は悪のボス、愛風! さあ、ウィンドマン、私を止めてみろ!」

 全く、訳が分からない。分からないままに日が暮れるまでじゃれ合って、それから家に帰って私は汚れた服についてこってり怒られたけど、心は晴れやかだった。


 あの日私は愛風と小さな約束をした。それは私が愛風にスーパーウィンドマンパンチを決めた直後のことだった。


「やっぱりさ、正義の味方、いた方がいい。世界征服には、ヒーローがいる」

「愛風、ヒーローになるの?」

「違う。僕が最強の悪のボスになるから、■■はそれを止めに来て。最強の悪のボスにふさわしい最強のヒーローになってくれ」


 愛風が悪のボスになったら、私はそれにふさわしい正義のヒーローになること。


「僕と■■は最強の敵同士になろう。これからずっと、約束だ」


 あの日、私と愛風はたぶん親友になった。



    ***



 机に突っ伏しているふりをしながら、私はその瞳をずっと愛風、いや愛風もどきに向けていた。

「ここの最後の振りさ、みんなでハート作ろ!」

 動画サイトやらに何やらみんなで踊った動画を出すらしい。クラスの中で日に当たるような「今どき」の子はみんなやっていることだ。前に誘われたことがあったけど、本気で無理だと断ったら、それから声をかけられたこともない。声をかけられても困るし、ある意味クラスのあの子たちはいい子なのだと思う。

 イチゴ牛乳を飲みながら、じっと愛風を見る。少し振りを間違えながらも、ニコニコとスマホを向いてダンスを踊る。なんだか悪質なコラ画像でも見ている気分だ。

「人間と違うところねぇ」

 独り呟いても、誰にも気づかれることはない。教室は喧騒に包まれており、私の声なんて誰にも聞こえていない。

 動き。最初に思ったことだ。もし愛風がロボットなら、人と同じ動きが出来ない可能性があると思った。でも、体育の時間も、休み時間も、給食の時間も、何もおかしなことはない。他の人間みたいに動いて、他の人間みたいにご飯を食べる。ロボットだとしたらこんなハイテク機器存在するのだろうか。

 ロボットではなく、幽霊なのではないだろうか。これも考えた。でもそれも信じ切るには材料がない。そもそも私は幽霊を見たことがないんだから、判断のしようがない。


 最強の敵になること。


 あの時、愛風とした約束だ。あれは私にとって愛風とずっと一緒に居られる約束みたいなものだと思っていた。メールの愛風は「僕は君の敵」と私にしか分からない言葉を送って来た。でも、私が退治するべきはあの意味の分からない「偽愛風」で。でも、私の敵は「愛風」だけなのだ。

「てか、そもそも退治ってなんだよ」

 今の愛風はどう見ても、ただの人だ。人が一人いなくなれば大騒ぎになる。と言うかいなくなるって、私は「あれ」をどうするつもりなのか。

「とりあえず監視。監視」

 アンパン片手にスマホを触る振りをしながら、踊る愛風を眺める。愛風が笑っているだけで、理由は分からないけど胸が苦しかった。



 一日愛風を見ていて分かったこと。

 それは彼女がどう見ても人間だということ。それから私の知る愛風とは似ても似つかないこと。

 夕日が差し込む昇降口。靴を履き替えながら昔を思い出す。将来の夢の作文を読んだ日。ただの「クラスメイト」だった私が愛風に会いたくて走って、それで昇降口で風のような彼女を捕まえた。愛風と敵になった。

 愛風がいると、胸が痛い。違うと分かっていても、あの頃を重ねてしまう。何も分からなくなる時がある。私の知っている、望む愛風ではないからと彼女を否定するのは良いことなのか。彼女がどんな形であれ生きていてくれたら、それは私がこの6年間思い続けたことではなかったのか。

「愛風は、もういない」

 言ってみる。胸がやはり痛い。私は、まだ愛風がいなくなったことを受け止められない。それとも「あれ」を心のどこかで愛風だと思っているのか。

「……………」


 彼女のお葬式は、すごく小さなものだった。愛風のお父さんは愛風が言っていた通り人嫌いな人で、クラスメイトで参加できたのはお母さんに必死でお願いした私だけだった。棺は、見ない方がいいからと言ってずっと閉じられたままで、だから私はあの中に入っているのは本当は愛風じゃないんじゃないかとか、これは全部愛風の悪の組織を作る計画の一部なんじゃないかって何度も思った。

「百」

 愛風のお父さんは、ずーっと不機嫌そうにしていたのに、出棺の時、急に名前を呼んで泣き崩れた。頭を掻きむしり、周りに止められても必死で棺に手を伸ばす姿を見て、そうか愛風は本当に死んだんだと私は理解した。


 愛風のお父さんと会ったのは、確かあの1回、いやあともう一度は会った気がするが、とにかくそれきりだ。

 ただ、愛風が私のことを家で話したことがあったようで、葬式の後に「百と仲良くしてくれてありがとう」と話しかけられたから、何か話した気がする。

「そうだ、愛風の家」

 どうして思いつかなかったのだろう。あの「偽愛風」を作った人物がいるとするなら、それは愛風の父親としか考えられない。そもそも人工知能と言う発想に至ったのも、愛風から彼女の父親のことを聞いていたからだ。

 昇降口から走って出て、自転車置き場に向かう。そこからいつもの自転車を強引に引っ張り上げて片足をかけてまたがった。その瞬間、スマホが振動した。ただ、私はそれを無視して愛風の家の方向に走る。どうせメールかメッセージアプリだろうと言う判断だったからだ。だがおかしい。スマホは鳴り続けている。電話なのかと思い直した私は、一度自転車を止めてスマホの画面を見た。ヒツウチ。こんな時に誰だろう。気にはなるが、電話を切る。もう一度自転車に乗ろうとしたその時、また電話がかかって来た。まるで、私の行動を監視しているかのように。

「ヒツウチって、絶対ロクなのじゃないでしょ」

 ゆっくり、ゆっくりと画面を横にスライドして、応答ボタンを押す。そして耳に押し当てて、「もしもし」と最低限のことを言った。


「ああ、僕、僕だよ。愛風」


 スマホを落とさなかったのは、衝撃で全身の筋肉が固まってしまったからだ。「僕」この愛風は愛風の声でそう言っている。

「誰、あんた転校生でしょ」

「やだな。僕は僕だって。愛風。君の最高の敵さ」

 思わず押し黙る。この愛風は、私と愛風しか知りえないことを知っている。深呼吸をする。手が震え出した。愛風の声。6年前に死んだ、彼女の声。

「何の用」

「いや、ヒーローが大変そうだから、ヒントを上げようと思って。あの偽物の愛風百について」

 心臓がドクリとなる。「偽物」そう言った。では、やはり、愛風はあの転校生と今話している2人が存在するのだ。

「あの愛風百はね、充電が必要なんだよ」

「やっぱり、あいつロボットなのね」

「おお、気づいてた? ヒーローもこれくらいはやってくれないとね」

 けらけらと笑う声。長らく聞いていない笑い声だった。

「今、■■のパソコンに、やつの秘密を送った」

「パソコンって、スマホに送ってよ」

「いや、データが膨大なんだよ、何しろ設計図みたいなものだからさ」

 設計図。作り物の証明。弱点だってこれで分かるかもしれない。

「分かった。すぐ帰って確認する」

「ふむ、検討を祈るよ、ヒーロー」

 電話は切れて、ツーツーとした音だけが残る。パソコン。愛風は私の自室にあるものを言っているのだろう。携帯アドレスまで知っているのだからそれくらい造作もないはずだ。

 私は自転車を方向転換させて自宅を目指す。これで、奴の秘密に一歩近づけるはずだ。



    ―5年前―



 悪のボスと正義のヒーローの談合は週に2度ほど、河原で開かれる。ちなみに週に3回はトレーニングと言う名の勉強会や公園遊びだ。

 4年生から5年生に上がっても、愛風は変わらなかった。本当に悪の組織のボスを目指していて、私をヒーローに仕立て上げようとしていた。

「ヒーローは体力が必要だ。悪役はすぐ逃げるからな。よって、■■は走り込みだ」

 そんな理不尽なことを言われても、私は健気にも走っていた。愛風は走らないのかと言えば「悪の組織のボスが肉体派なのは嫌だろ」「僕はテクノロジーで戦う」と難しそうな科学書を読まれながら答えられたから諦めた。


「そういや、私、愛風の家、行ったことない」


 私が急にそんなことを言い出したのは、休み時間、教室の向こう側で「今日●●んち集合ね」なんて会話が聞こえたからだ。

 愛風と遊ぶのはいつだって河原か自転車で向かう商店街で、家で大人しく遊ぶなんてことをしたことがなかった。愛風以外に友だちらしい友だちもいなかった私は、引越してきてから誰かの家で遊ぶということがなくて、無意識のうちに少しだけ憧れていた。

「ああ、うちは駄目」

「駄目かぁ」

「お父さんいるから。ずっと」

 愛風はその時、見たこともないような顔をしていた。愛風の目はいつも光を宿していたのに、その光が急に消えてなくなったみたいな、そんな顔をしていたのだ。

「愛風ってお父さんと仲悪いの?」

「悪の組織たるもの身内は大事にするの」

「なんじゃそれ」

 愛風は意味の分からないことを言ってはぐらかした。だから私はそれっきり愛風の家に行きたいとは言わなかった。

 愛風はなんだってやる子だった。公園でいじめっ子がいたら懐から謎のスプレーを取り出して噴射させに行って彼らを絶叫させていた。私が「算数分かんない」と言ったら、「数式組んで来た」とか訳の分からないことを言って掛け算に正解するとランプが光る謎のゲーム機を渡して来た。犬が飼いたいとかぽろっと零そうものならプラスチックで次の日には模型を作って来た。そのくらい私のやりたいこととか、そう言うのをもういいと言うくらい叶えてくれる子だった。その愛風がやりたくないと言うなら、それはきっとすごく嫌なことなのだ。私はそう思った。

「まーそうだね。なんていうか、いつか時が来たら話す。重大な計画があるからな」

「はいはい、待ってますよ」

 本当は愛風のことなら、何だって知りたかった。でも、私は努めて何でもない顔をした。

「そうだ、じゃあ今日久々に商店街行こうよ。最近行ってないし」

「確かに最近プラ板が足りなくなってきて……」

「それもそうだけど! かわいい文房具とか買おうよ、たまにはさ」

 自転車で30分くらいかかるところにある商店街は、シャッターまみれで古ぼけていたけど、奥に小さくてかわいい文具屋さんがあった。私はそこがお気に入りで、「中学になったら使う」とか言って青色のシャーペンを買ったり、匂い付きの消しゴムを買ったりしていた。愛風と言えば、プラモデルの店で大きな板とか接着剤を買うばかりで私の買い物には付き合ってくれたことがない。私は愛風が興味がないものと思っていたが、なんとなく今日はいつもと違うことがしたい日だったのだ。

「まあ、たまにはいいけど」

「よーし! 決定! 絶対だから! 学校終わったら自転車取りに行って、バス停に集合しよ」

 この頃、私は母から中学受験について言われることがめっきり減っていた。と言うのも、父と離婚するとかなんとかで揉めているらしく経済的に塾に入れるのが難しくなったからとかそんなことだったらしい。最初こそショックは受けたが、愛風にそのことを話したら「そんなことより世界征服を止める方法でも考えてよ」と笑われて、すごく楽になって、受験とやらをしなくていい代わりに、愛風と遊んでいられるのがすごく幸せに感じた。



 商店街の奥の小さな店。木目調の小さな小屋の中で私はずっと唸っていた。

「こっちのマリン系もいいし、でも中学に入ったら子どもっぽいって言われるよね? 愛風はどう?」

「いやペンとか書ければいいじゃん」

「もーやる気の問題なの。分かってないんだから」

 ペンを両手に持って睨めっこする私を愛風は不思議そうに見ている。退屈そうにも見える顔だが、退屈ではないことを私は知っている。本当に退屈な時、愛風は迷わず「帰る」と言い出すからだ。

「てか、愛風のも買いに来たんだからね、今日。ちゃんとどれがいいか選んでよ」

「そー言われてもね」

 愛風は店内をじっと眺めて、それから一点に目を止めた。その後、「あれいい」と私を見つめてくる。

「あれかわいいじゃん」

 愛風が手を引いて来るので、手に持っていた文具を慌てて棚に戻す。愛風の文具はいつもシンプルそのもので「使えればいい」と言う彼女の心情を如実に表していた。その愛風がかわいいと言ったのだ。気にならない訳がない。

「これ」

 愛風が手に取っていたのは悪魔の羽みたいな変わったデザインのストラップだった。いわゆる「小悪魔系グッズ」と言うところに置かれたもので、愛風はそれがいたく気に入ったらしい。

「かわいい。ずっとあったのかな。気づかなかった」

 大切そうに手に持って、値段を確認して、愛風は何度も頷く。そんな姿を見たのは初めてだったから、私は思わず笑ってしまった。

「愛風、そういうのが好きなんだ」

「かわいいじゃん、悪魔。悪のボスって感じ」

「それ小悪魔系でしょ」

「小悪魔じゃない。悪魔」

 愛風はそう言うと、レジに一つストラップを持って行った。私はと言えば、そんな愛風の変わった姿を見られただけでお腹がいっぱいになって、自分のものを買うのも忘れていた。


 愛風は次の日、早速ランドセルに「悪魔」の羽を付けて来た。すぐに気づいた私が声をかけると、嬉しそうに笑っていた。

「お父さんもね、かわいいって、言ってた」

 愛風が珍しく、えらく気の抜けた笑顔をしていたものだから驚いた。指摘するとすぐにいつもの不敵な笑顔に戻ったが、あの表情はまるで別の人物でも見ているようだったから、しばらく忘れられなかった。



    ***



 愛風からの電話で自宅に戻ると、言われた通りにメールが一通届いていた。リンクが一つだけ貼られていて、それを踏むとデータ便のサイトにアクセスできた。

「これなら携帯に送っても問題なかったじゃん」

 データが大きいからスマホには送れなかった。確かにそう言った愛風を思い出して独り言ちる。その時、部屋のドアが控えめに叩かれる音がした。

「■■、夕ご飯準備、出来たよ」

「あ、今行く」

 ドアを開けると母はもう階段を下っていくところだった。6年前、こちらに来たばかりの頃と比べると随分と小さくなった。あれから、父と離婚して、おじいちゃんもおばあちゃんも亡くなって、それから新しい父親が出来かけたけどいなくなって、母も随分と苦労をしていた。そのせいなのかは分からないけど、私に何かを言う気力がないようで、高校を決めた時も「そう」としか言わなかったし、高卒で働きたいと言った時も「家にお金入れてね」としか言わなかった。そうだ、人は時間で変わってしまう生き物なのだ。

 食卓は、静かだ。いつもこの静寂が嫌でいつも無駄に遠回りをしていたのだ。別に興味もないのに、テレビをつけて適当にザッピングする。一番賑やかで音が大きそうな番組に決めて、あたかもそれに興味があるようにそちらをずっと見ながらご飯を食べた。

「お母さん、愛風って覚えてる?」

 私が急にそう発したものだから、母は驚いたようだった。それはそうだ。私たちはもう何年も雑談らしい雑談をしていない。

「……中学に入る前に、亡くなった子、よね。お葬式、行ってた」

「そう。私、仲良かったんだ」

 母は手を止めて驚いていた。生前、愛風と仲が良かったことを、母はたぶん知らなかった。私が一度も彼女の話をしなかったのだから間違いない。葬式に行きたいのも「クラスメイトが誰もいかないのはかわいそうだから」とかそんな言い訳をして行ったのだ。

「知らなかった」

「毎日友だちと遊んでるって言ってたの覚えてる?」

「うん、覚えてる」

「あれ、愛風だったんだ。ずっと、毎日、遊んでた」

「そう」

 母はそれだけ言うとまた手を動かして、もそもそと食事を再開した。

 母に愛風の話を今までしなかったのは、愛風が私にとってあまりにも「光」だったからだ。母親と言う現実に取り込まれて「変な子」「現実を見れない子」とレッテルを押されて、私の憧れが汚されるのを見たくなかったからだ。でも、どうだろう。もっと私は誰かに、あの頃の愛風の話をするべきではなかったのか。私以外「あの」愛風を知らないから、愛風は今ああなっているのではないか。そうだ、例えば――。

「6年生の授業参観覚えてる?」

「え」

「私、公務員になりたいって言ったんだ」

 私はずっと何年間も作文に公務員になりたいと書きつけていた。誰にも文句がつけられない夢で周りを必死で囲って、愛風が大人になって最強の存在になって、それの対になる存在をして私を引っ張り上げてくれる本当の夢を、守り続けていた。

「あれの前の日ね、愛風と話したんだ。河原で」

 母の反応を見るのが嫌で、私はテレビを見ながらなんてことはないみたいに続けた。

「『ゴジラがやって来たらいいのに』『ゴジラがやって来て、将来も税金も難しい建前も全部なくなればいいのに』って、言ってたんだ」

 涙で滲みかける視界を鼻をかむふりをしてふき取る。なぜ忘れていたのだろう。あの時の愛風の顔を。ただあどけない、今にも泣きだしそうなあの顔を。


「ゴジラがさ、全部壊しちゃうの。難しいこと。勉強も税金も働くのもさ、全部なくなるんだ」

「そしたら、みんな生きるために生きることしか出来なくなるんだ」

「みんな支え合って、明日ゴジラからどうやって逃げるか、何を食べるか、そういうシンプルなことしか言わなくなるんだ」

「世界が、そうなったら、いいのに」


 私はそれをいつもの冗談だと思った。だから「それをあんたがするんでしょ」と言った。そうしたら愛風はいつものいたずらっ子みたいな表情に戻って「当然」と笑った。私はあの時、何かを「押し付けて」しまったのではないか。

「…………お母さん、なんか、その子が言いたかったこと、分かるな」

「え」

「ご飯を食べるためにお金が必要でお金を稼ぐためには働かなきゃいけなくて、働くって言うのはパソコンによく分からない文字を打つことで、文字を打つと世界のどこかで誰かが得をして。働くと税金がとられて、それから働くためには身だしなみを整えなきゃいけなくて。昔、原始時代にマンモスを一生懸命探していた時代ってもっともっと、明日食べるためにご飯を探す、とか世界はシンプルだったと思う」

 母がこんなに話したのは久しぶりのことで、テレビから目を離して、私は母を見ていた。母はおかずに目を落としたまま続ける。

「生きることに直結していないことを考えるのはね、疲れるのよ。どうしてか分からないけど、『本当にするべきこと』が遠くにあるとね、どんどん自分の気持ちが分からなくなるの」

 変なこと言ったねと笑うと、母はまた喋らなくなって食事に戻った。

 初めて、愛風とのことをちゃんと話せた気がした。そして、遠くにいたはずの愛風を少しだけ「分かってしまった」気がした。



 お風呂に入った私は、恐る恐るデータ便からダウンロードしたファイルを開く。紙をスキャンした膨大な白黒データの中に一枚だけ赤で字入れされた箇所があった。


「リュック型外付けハードディスク。背中に触れることで接続できる」


 少しだけ左下がりのせっかちでひったくったような文字、愛風の字だった。リュック。それは気が付かない訳だ。私はそのあたりの設計図を睨みつけた。ただ、一介の高校生に100枚以上の図面を見ても理解する脳みそはなかったし、ところどころ専門用語のようなものが書かれているせいで頭を抱えるしかない。

 そうしていると、スマホが小さく震えた。予感があった。愛風だ。

 見るとメールが届いていて、「リュックは外付けハードディスク。横にUSBをさせるようになってるよ♪」と書かれていた。私が今図面を見ていて、しかもそれを理解出来ていないのを見ていたみたいな完璧なタイミングだった。私が立ち上がろうとすると、またもやスマホが振動した。


「偽物の愛風百は国家転覆を企んでいる。人工知能である偽愛風百は日本中のスマートフォンにアクセスし、それを見た人間を気絶させる『電子兵器』を開発した」


 その下にはリンクが貼られていたので、私は何の気なしに開く。その時だった。


「――――!!!」

 急に地面が回転した感覚に襲われた。どちらが地面なのか分からない。頭がぐちゃぐちゃにかき回されているようで頭痛が収まらない。意識が遠のく。その瞬間、全てが収まった。

「な、なにこれ」

 画面には真っ白な背景に「どうだった?」とだけ書かれたページがある。電子兵器。意味が分からない。あまりに唐突な展開に唖然とする。するとまたメールが届く。


「今のはお試し。画面も10秒だけ。ヒーローには危険性を理解しておいて欲しかったから。あれを3日後、偽愛風百は日本中のスマホ、電子機器にばらまくつもりだ」


 くらくらとする頭を抑えながら「そんなこと出来るわけがない」と返した。日本中の電子機器にアクセスする。それがいかに途方もないことなのか流石に理解していた。


「じゃあ、信じてもらうために、ちょっとだけいたずらするね」


 テレビ見て? そう続いたメールを確認した私は、半信半疑で階段を下りた。母がぼんやりとテレビを見ていたようだが、私を確認すると少しだけこちらを見てまた元に戻ってしまった。


「テレビ、見に来たけど何?」


 メールに返事は来なかった。変わりに返って来たのは「3日後、この世界を征服いたします」と言う言葉。そしてそれは――。

「今の、何? ドラマ? 演出かしら。蝙蝠の羽? みたいなマーク映った?」

 母が不思議そうに首を傾げる。背筋にぞっとしたものが走った。蝙蝠の羽。愛風の大好きだったストラップ。3日後。頭をぐるぐると駆け回る。私の家だけ? 慌てて私はSNSを開いた。


『ドラマ見てたら変なの映ったwww』

『演出? 放送事故?』

『蝙蝠のマークってなんかドラマに伏線あった?』


 少しずつそんなツイートは膨れ上がり、次第に「トレンド」と言う形で実際に見ていない人間にもその衝撃は波及していく。数時間も経つとテレビ局が「演出ではない」と正式に声明を出して、さらに混乱は加速していった。


『世界征服って小学生か?』

『話題作りのための演出だろ』


 馬鹿にする人間を見ながら、私は震えが止まらなかった。愛風が、愛風が何かをしようとしている。私の恐怖を十分に煽り、次のメールは届いた。


「偽物の愛風百の計画を止めるためのウイルスを制作した。自宅のポストに入れておいたから、早めに愛風百に差し込みたまえ」


 おかしい。どう考えてもおかしい。偽物の愛風。本物の愛風。もう分からないのに、このメールの相手がおかしなことを言っているのをやっと理解した。


「あんた、私のこと見てるでしょ。私のこと見て、あの変な画面を見せた。偽愛風だって変だけど、あんたが世界征服しようとしてるんじゃないの?」

「分かっていても、君に、USBを差す以外選択肢はあるのかな?」


すぐに来た返事の意味が、私には分からなかった。USBを差す以外の選択? 私にはない? その混乱を煽るように相手は続ける。


「僕は、いつだってあの電子兵器を世界中にばら撒けるんだよ。君がどんな行動をとっても」


 そうだ。なぜ気づかなかったのだろう。私が何をしようと、世界はもう終わるのだ。最強の悪の組織のそのボス「愛風百」によって。


「君があれにUSBを差し込めたら、人類を助けるためのチャンスをあげる。さあ、頑張れ、僕のヒーロー」


 私は急いで玄関に向かって駆けだした。母が何か言っていたが、それどころではなかった。玄関の扉を開けて、ポストの中を覗き込む。奥の方に、紙袋に入った確かな塊があった。

「ほんとに、ある」

 誰かが、あのメールの送り主が確かにここに来たのだ。紙袋を恐る恐る開けた。蝙蝠の羽の先に、見覚えのあるジャックが付いている。USBメモリに間違いなかった。メールの主はこれをあのリュックに差し込めと言っている。

私は――やるしかないと思った。どうせ世界が終わるなら、せめて何かしなければと思った。何をしてもいいと思った。仕方ないことなのだと思った。あのメールの主が、愛風がそう望むのだから。



【後編】さよなら、僕の愛風|はなまる (note.com)


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