海神と深海の姫【蛸ミ】
「ミト様ぁ〜」
セーラー服姿の溌剌とした女性(?)が社長室と書かれた扉を勢いよく開ける。
「うわっ!!」
現場の視察に行こうとしていた船乗りの制服のようなものを着た気品漂う男、ミトは、勢いよく開いた扉に腕を弾き飛ばされ、痛そうに抑えながら笑顔を作る。
「ああ、蛸八さんか。ミト様はやめてって、会社では一律『社長』呼びで通すようにみんなに言ってるでしょ?」
「でもミト様はミト様ですよぅ!」
「いや、あのそうじゃなくてね…」
蛸八と呼ばれた女性(?)はミトの言葉を聞かず、パーソナルスペースを無視してどんどん近づいていく。
「蛸八さん、近い近い。距離感は守ろ…「ミト様の言ってた『異常に潮の流れが早い海峡』、うまく航海できましたよぉ!あそこは潮の流れに一定の法則性があって、それがわかれば船を走らせられますぅ!いや、もちろん船長になりたての人や技術力のない人は無理ですし、他の人が航海してみて行けるかどうかの判断が必要ですけどぉ…でも海流の流れは船長になる前の前のもっと前の入隊時の試験でやった基本中の基本だから多分みんなわかると思いますし、それにぃ…」
「蛸八さん、蛸八さん。」
蛸八は自分の実績を彼の反応も見ないまま矢継ぎ早に話してしまったことに思わず赤面する。
「ご、ごめんなさい、ワタシってばつい…」
「仕事熱心だね。君の航海技術は社員の中で1,2を争うほどだ、新しい海域に船を出せるかもしれない、助かるよ」
ミトは社長室のテーブルに瓶詰めで置かれていたマカロンを一つつまみ、蛸八の手に優しく乗せる。
「でも、それは君ほどの航海技術が必要じゃないかい?旅行企画部の社員さんと相談した?他の船長さんに行けるかの確認は取った?お客さんは船酔いしない?干潮、満潮の時刻は?」
ミトの的確な質問に蛸八は思わず黙り込んでしまう。
「でも…」
蛸八の頭にふわりと優しく掌を乗せ、撫でる。
「貴重な意見、助かるよ。君の頑張りで会社が成り立っていることに感謝してる。困ったことがあったら相談に乗るし、気軽に遊びに来るといい。」
「この間居なかったですぅ」
「この間…?」
「部屋入ったら…「な、なんで社長室入れるの?」
「その…」
髪の毛の裏からニュッと生え蠢くタコの吸盤がついた触手で開けたらしいことをミトは察して苦笑いする。
社員は妖怪も人間も幅広く受け入れている。セキュリティを強化しないとなとミトは改めて思っていた。
『タコは狭い壺から抜けられるんだったかな』
などと思いながら。
「じゃ、僕は行くから」
「まだ話したいですぅ」
「!!」
ミトを触手で思わず掴んでしまい、互いにバランスが崩れ、蛸八が押し倒すような形でミトに覆いかぶさる。
吸盤の吸着力は凄まじく、離れようとした瞬間、ミトの高価そうな制服の上着が破けてしまった。
「わぁ!ごめんなさい!でもこうしてみると意外と鍛えてますね、ミト様。」
細身で華奢だと思っていたミトの体は、服が破れて少し見えた腹筋から、かなり鍛えていることがわかる。
莫大な資金のある乃亜造船の金庫に忍び込もうとする不逞の輩は年に数人はいるが、ミトはその剣技をもって軽々とそういった人々を撃退したという噂は本当らしい。
蛸八はミトの上に乗ったままどこか不満げに唇を尖らせる。
「う〜…ミト様何でもできすぎですぅ…あんまり筋力とかないイメージだったのにぃ」
「はは、会社やる前は普通に船乗りもやってたからね。多少鍛えたのさ。ところで、蛸八さん…」
「…?」
「この服のままこの体制は非常にまずい…それこそ下手したら会社がなくなるくらいまずいかな…察してもらえると助かるんだけどね。」
無抵抗を示すように両手を上げ、蛸八に今の状況をしっかり見るように冷静に促す。
蛸八はその状況を客観視し、真っ赤に照れた後、とてつもない無礼を働いたと青ざめた顔で慌ててミトの体から飛び退く。
「はわわっ…こ、この制服って…確か大きめの町が買えるとか言う特注品の…ミ、ミト様!弁償…はできないけど、今まで以上に一生懸命働きます!だからクビにだけは…でもミト様の素肌に直に触れちゃったぁ…」
「最後で少し本音が漏れてるよ。でも、服を破ったくらいじゃ怒らないさ。僕はそういう人間に見えてるのかな…?」
「そ、そんなコト無いで…え?」
ミトは自身の会社で優秀な船長にのみ与えられる帽子を被せ、優しく微笑む。
「君の働きはいつもいつも感心するばかりさ。それに…僕も社長である前に一人の人間だ、君の好意に気づいてないとでも思うかい?いつも伝わってる。」
「い、いえ!そ、そんな!そういうのだと立場がよくないことも知ってますから!忘れてください!気にしないで!!ホントにホントに無理しないでください!ワタシなんて一方的にアピールしてるだけですから!迷惑ばかり掛けてますし!あの…っ!」
蛸八の騒がしい言い訳を気にすること無く、ゆっくりと近づきその額にゆっくりと唇を落とす。
そして燃えるように顔を赤らめたその顔に目線を合わせ、人差し指を唇につけて言う。
「他の人にはナイショだよ」
「は…はぃ…」
「あ、もう一つ。明日僕は公休だからね、君に特別な勤務をお願いしたい。初めて君が船を動かした港を二人で見に行こう。当然、『他の人にはナイショ』だよ」
『ど、どうしよう…プレゼント…給料で買えるほどの豪華な花束とかがいいのかな?ミト様に合うものなんてわからないよぉ…』
「フフフ…きっと君は言いふらしたくなくなるさ、『永遠に』ね」
ミトは今まで見せたことがない笑顔で社長室を後にするのだった。
海神と深海の姫
〜おわり〜
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