気の向くまま読書note ツユクサナツコの一生
益田ミリさん初の長編
今回は漫画。益田ミリさんの本です。
益田ミリさんのエッセイや漫画はひとりの時間を謳歌するのにぴったり。
お気に入りの喫茶店で過ごすとき、ひとり旅のときにそっと本を開きます。
ひとりの時間は自分との対話の時間。
自分の中にいる、小さな自分。素のままの自分と一緒にミリさんの言葉にうんうん、そうだよねと頷く。
とてもぜいたくな時間です。
今回はそんなミリさんの初の長編本。
本屋でふと手に取り、ちらっと読んで買おうかどうか迷って。
(文庫本が出るのを待ってもいいのかな、と・・・)
でもやっぱり買いたいなとカゴに入れたのは主人公とわたしが同じ名前だったからという単純な理由からです。
でも買ってよかった。
わすれられない、大切な1冊になりました。
ちょっとでも分かり合えるって嬉しい。
これはミリさんの作品の一番のテーマなのではないかと思います。
ちょっとしたことでモヤっとすることもある。
でもほんの少しのやさしさやラッキーでモヤモヤが晴れたり。
もちろんその逆だってある。
いいことも悪いこともある。
それが毎日。
ミリさんの漫画のキャラクターは等身大で、そうそうそうなんだよね〜
と共感できる部分がたくさん。
決して清らかじゃない、モヤッとした黒い自分も自分だけじゃないんだ、とホッとできる。
分かり合えること。ほんのちょっとでも。
それが嬉しい。
この”ツユクサナツコの一生”もそんなことが大きなテーマになっています。
朝咲いて夕方にはしぼむツユクサのように
ツユクサナツコは32歳。
時はコロナ禍。お父さんと二人暮らし。
ドーナッツ屋さんでバイトしながら日々起こったあれこれを漫画に落とし込み、SNSに投稿する日々。
ナツコの毎日を通して、ナツコの漫画というフィルターを通してコロナに翻弄されたわたしたちの”あの頃”が描かれています。
コロナ禍でも普通に人は日々の営みを続けている。いろんなことを感じて過ごしている。
そんな当たり前のことが普通に描かれています。
普通なんだけど、今となっては少し懐かしい感じも・・・
”あの頃”はすでに過去の話になりつつあることに改めてびっくり。
今もコロナは存在して、今も変わらず感染する人がいるのにね。
振り返ると、コロナ禍ほど”人との繋がり”に思いを馳せた時期はなかったかもしれません。
緊急事態宣言やらソーシャルディスタンスで人とリアルで触れ合う機会が極端に減った分、多くの人がネットの世界に繋がりを求めていったと思います。
多くの人が繋がりに飢えたのは確か。
そんな時もナツコは漫画を通して淡々と家族やバイト先で出会った人たちを描いていきます。
それは決して大げさな人間ドラマではなく。
日常の小さなこと。
ちょっとしたことでも繋がれるって、分かり合えるって素敵だね。
人はそんなちょっとしたことに救われ、今日を生きているのかもしれません。
朝さいて夕方にはしぼむ可憐なツユクサのように
ささやかなこと。
ミリさんのいつものテーマがコロナ禍を通してさらにグッと響いてきます。
そしてこの先の展開に繋がっていくのです・・・
いつもの日々のあれこれ話と思いきや・・・やられた!
ある意味安定の、いつもの日々のあれこれ話と思って読み進めてったのですが・・・
途中、急展開が起こります。
ネタバレはしたくないので書きませんが。
それによって、ツユクサナツコという女の子の日々がもっとかけがえなく、
よりいとおしく感じられます。
ありふれた日々が一番大事。
なんて言葉自体が本当にありふれた陳腐な表現なのですが。
それを深く感じずにはいられません。
コロナ禍でもコロナ禍じゃなくても。普通の日が一番。
周りの人たちとのつながりを大切に、毎日を大事に生きよう。
最後はボロボロ号泣でした。
小さなはかないツユクサの花。
これからツユクサを見るたびにツユクサナツコのことを思い出すでしょう。
(読んでない人はなんのこっちゃ?でしょうけど・・・機会があったらぜひ読んでみてください)
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