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私が日本初のキャリアコンサルタントになった訳---その2  人脈づくり

 写真は私の前職の会社員時代の写真で、20代後半のころ1980年代後半のものです。お恥ずかしい!  髪型がまだサーファーっぽいですね!  なぜモノクロ? という突っ込みもあり。。。 この写真、5年くらい前に雑誌『JJ(ジェイジェイ)』に載せてもらいました。昔の「JJガール」?が今のJJ世代にキャリアアドバイスするという特集です。女子学生のころの私は『JJ』に写真が載るようなイケてる女子ではありませんでしたよ。
   私が多くのマスコミに取り上げていただき、時にはテレビにも出たりするようになったのは、この仕事キャリアコンサルタントとして独立してからのことです。
 私がこの仕事を始めたのは1993年。まだ世の中に「キャリアコンサルタント」と名のる人はいませんでした。いなかったどころか、そんな仕事自体、日本には存在しなかった。
 「昔話に興味はない!」と思われる方も多いかと思いますので、極力、昔を懐かしむ懐古趣味な話は控えるようにしますが、もしかしたら、私が仕事を始めたストーリーの中に、あなたの仕事に対する考え方、副業、起業のヒントがあるかもしれません。何かのお役に立てればと思い、綴ってみます。

YAHOOもGoogleもなかった時代

 なぜ日本初と言えるのか、について前回簡単に書きましたが、ではその「僕が日本で2番目です」と言ってくれた良い人、関西のPさんの他にはいなかったのか?という疑問が当然あると思います。「ググッて調べたのか?」というとそうではありません。Googleはなかった。もちろんYAHOOも。(Googleの設立が1998年。YAHOOの方が古くて1995年設立です) 。パソコンはありましたが、むしろまだワープロ時代。メールも特別な人しか利用していませんでした。
 聞いたことありませんか?「就活の時、企業に資料請求ハガキを100枚出した!」とか。 メールがなかったので、電話と郵便が主な連絡手段だったんですね。
 当然、携帯電話はありませんでした。
 ではどうやって調べたのか。新聞記者、雑誌の編集、マスコミの知り合いが多かったため、その皆さん約50人に聞きまくりました。調べました。今も連載「就活のリアル」を持たせてもらっている日本経済新聞や 朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日刊工業新聞、日本繊維新聞、繊研新聞、ストアーズ社(作家の椎名誠さんがいらっしゃいました)さんなどなど。
 「私、今度、こういう仕事をしようと思っているんですが、どうでしょぅか?」と相談に行くと、全員がこう言ってくださいました。
 「それはいいね! まだ誰もやっていないから、やってみたら? 応援するよ! 」と。
 全員ですよ! 誰一人反対なさらないのです。背中を押してくださるんです。
   今でいう、ブルーオーシャンです。
 私は目の前の扉がどんどん開いていくのを感じました。
 今なら私はネットを使って、いろいろと調べまくるでしょう。それがなかった当時は、直接、人に聞きに行くしかなかった。ですが、それがかえって功を奏したと言えます。その後、みなさんが応援してくださるという幸運に恵まれたのですから。
「事務所なんて持っちゃだめだよ、固定費がかかるからね」などのアドバイスも数々いただきました。

ご祝儀代わりに記事を書いてあげるよ

 人に会いに行くのは大事なことですね。元シャネルのマーケッター、リサーチの専門家の光成章さんが『エビデンス仕事術』の中で書かれていますが、「調査で重要なのはインタビュー」だそうです。リサーチは母数が多ければ多いほどいいというものでもないのですね。その目的によります。
 私は会社員時代10年の中で広報を5年間経験し、マスコミの取材対応をしており、そこでマスコミ人脈ができました。それを駆使して話を聞いて回ったのです。中でも親しくしていたマスコミの皆さんにお聞きして回り、背中を押してもらって、退社し、独立起業する決意をしました。ネットだけではなかなか背中を押されないかもしれませんね。ネットはリサーチであり、きっかけであり、拡散です。それでも充分に助かりますが、真の応援団というのは、そこからリアルで知り合いにならないと無理ではないでしょうか? 
    今でも夜な夜なビジネスマンが接待に時間を費やすのはそこでしょうね。
 そして、私は起業。マスコミ関係の方に200通、その他の企業の関係者の方に200通。合計400通のあいさつ状を出しました。すると中には親切な方がいらっしゃって「面白そうだから、ご祝儀代わりに記事を書いてあげるよ」とか「うちで本を出さない?」と声をかけてくださったんです。
 はじめに連載を持たせてくださった「日経アドレ」(日経BP社)の編集長のFさん、女子学生セミナーの無料記事を掲載してくださった朝日新聞のTさん、SOHOスタイル(small offis home offis)  女性の起業という切り口でいろいろと取材してくださったNHKはじめ、多くのマスコミのみなさんには感謝してもしきれません。
 話題性があったのか、とにかく運が良かった。
 ただ「運が良かった」というだけでは再現性がなく、皆さんのお役に立たないので、少しだけ私が会社員時代に心がけていたことを書いてみます。

人脈づくりで大事な3つのこと

私が会社員時代、気を付けていた人脈づくりのコツは、僭越ではありますが、下記の3つにまとめられそうです。

1. スピード感 (20000歩のフットワーク) 
 例えば、取引先である新聞記者の方から依頼されたことは「すぐやる」「倍やる」をモットーにしていました。今でいえば「倍返し」ですね。
新聞記者の方から取材依頼の電話を受けるとメモをもってすぐに立ち上がり、担当部署にあたりを付けに取材に行きます。隣の建物だったり、少し離れたビルもありました。500メートル先の店舗にもすぐ駆けつける。その頃はやり始めていた「万歩計」を上司が持っていたのを借りてつけてみたら、会社内にしかいなかった日にも関わらず20000歩 歩いていたことを覚えています。とにかく新聞記者の人は〆切があり、お急ぎなので、こちらも急がなくてはなりません。「担当部署に行ったらこんな状況のようなのですが、どうでしょうか?」と後から上司に相談です。取材は自分が答えるのではなく、社長をはじめ、部長や担当バイヤーにアポを取り、記者との取材をセッティングして、フォローをします。相手が不在でセッティングが途中の時もその日のうちに状況のお返事しておきます。今でいう「ホウレンソウ」ですね。若いころはしっかりやっていました! 今の部下のみなさんゴメンナサイ。言い訳めいていますね。

2. おみやげ精神 (サプライズ)
 速いだけではダメで、聞かれていないことも取材して、倍以上の情報を伝えます。期待以上の「おみやげ精神」です。ここまでやるか!とサプライズのおみやげを提供する。その時、私は単なる一般女子社員なのに、自分で独自にニユースリリースを作り「最近のはやりもの」というトレンドニュースペーパー(A4ぺら)を作って記者の人に手渡ししていました。そのうち記者の人から「最近何か面白いことはない?」と書くものがなくなったときなどに、電話してもらえるようになりました。その記者の人のニュースソースとしてリストに入ったのでしょうね。あ、思い出した! 繊研新聞(ファッションの専門紙)には本当に連載コラムを書かせてもらっていましたね。旅行に行った時のことをまとめて「トレンド通信・今ニューヨークではスニーカー通勤が大流行!」という具合に。
 つい最近、おみやげ精神を目の当たりにしました。先日、ある33歳のネット関係に詳しい知り合いSくんに「SNSとYouTubeについて相談にのってほしい」と頼んで事務所に来てもらったら、バッチリ資料を作って、SNS関連の本までくれました。その本にはなんと、重要箇所に付箋が貼られていました! その本は別にもう一冊持っているそうで、決して古本をくれたわけではなく、良かったのでわざわざ買って、しかも付箋まで入れてすぐに説明できるようにしてくれたのです。私たちはせいぜい「この本はいいよ」とリンクをメールしてあげるくらいではないですか? それでも充分親切なのに、サプライズ! すごいおみやげ精神でした。Sくんありがとう! 
 
3. 筆まめ (年賀状1000通越え)
 もちろんパソコンソフトの名前ではなく、頻繁に手紙を書くという本来の「筆まめ」です。メール、SNSの時代になって、私はなんて幸せ者かと思います。手軽に無料でお手紙がジャンジャン書けるんですからね。
 子供のころから私は本を読み、文章を書くのが好きで、将来は作家になろうと夢見ていました。それで大学は最も多くの作家を輩出している早稲田大学に進んだわけです。まだその志は半ばですね。一応ビジネス書は21冊書いてきましたが、もっと書きたい!  とにかく小さいころから日記、手紙、小説、と書く書くでした。手紙を書くというと若いみなさんは引くかもしれませんね。重たいですね。 さすがに今は手紙は書きませんよ。郵便で出すのは年賀状くらいです。ただしこれは膨大です。いつ止めようかと思ってきましたが、止められずに今日に至っています。
 20代の会社員時代から600通の年賀状を出し、起業してからは1000通になり、今はそれを超えてしまって2000通に迫る勢いです。JPのお得意様ですね。
 それは会社員時代に上司に言われたことがきっかけです。
「たった切手代62円でまた1年その人とつながれるんだよ」と。確かにそうです。1000通となるとそれだけで62000円ですが、一人の人とは62円です。切手代、値上げしないでほしいなあ。

お陰で「あの時お世話になったから」と言って多くの記者、編集の方が私の起業を応援してくださいました。今の仕事で倍返しする。それがきっとあなたに返ってきますよ。

こうして、キャリアコンサルタントの海をブルーオーシャンと信じて漕ぎ出した私。それではそもそもなぜキャリアコンサルタントを思いついたのか、次の回では前職での仕事を辞めた訳について書きたいと思います。

お読みくださり、ありがとうございました。まだ慣れませんが、引き続きよろしくお願い申しあげます。

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