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創作と現実を切り離す思想はいつかなにかを間違えるのかな

・追記(2024.4.9.):1年経って間違ってる気がしてきました。書いてることは間違ってないかもだけど、創作と現実は切り離したらダメだと思うようになりました。これ書いててよかった。

・『ちひろさん』観た。

・観終わっていつも通りレビューやTwittterで他のひとの感想をみてまわっていたら、Twitterの一部で「ミソジニー映画だ」と批判されていた。LEONがロリコン映画だと言われることを知ったときもだったけど、ちょっと悲しくなる。

・ほんとうに『ちひろさん』はミソジニー映画なのか。

・そもそもミソジニーとは、「女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視の事」らしい。

・ちひろさんに「元風俗嬢」としてのキャラクター、役回りを押し付けているようにみえると所謂フェミ界隈で燃えていた。

・わたしは元々の性格なのか、好きなアーティストの思想なのか、女子校出身だからなのか、まわりの友達の考え方なのか、何が影響したかはわからないけども、女性の権利とか性差別とかに興味を持ってきた、(とまでは言えないかもだけれども)ある程度はアンテナを張ってきたほうだと思う。知るとわかるは全然違うからこの文章だって結局全部感情論ですが。

・感情論ということで、感じたことを話しますが『ちひろさん』を観ても、わたしは特に違和感は感じられなかった。そういう要素がゼロだとは言い切れないけど、別にこの映画が焦点を当ててるのはそこではないし、あの映画をみて不愉快になるひとと救われるひとだったら、きっと後者の方が多いんだろうな。

・こんなこと大きい声じゃ言えないけど、いつも何かに対して批判をしているひとはいるよね。今回『ちひろさん』を批判しているひとは、その人自身が風俗嬢に対して偏見を持っているか、女性であることで今まですごく嫌な思いをしてきたかなんじゃないか。ちひろさんが女性じゃなくて、元風俗嬢じゃなかったとしても、ちひろさんはちひろさんだったと思うし。

・多少そういう要素が含まれていたとして、やっぱり創作物と現実の境目はむずかしい。

・たまに思うのは、一映画、一キャラクターに、すこしの歪みも許されないのか。
たとえば、今回ならちひろさんが男の理想を詰め込んでいると言われているけど、ちひろさんみたいな生き方とか考え方が許されないわけはないと思うんだけど、そう思うのはわたしが子供すぎるんだろうか。創作物だから時代の流れに沿えってこと?

・「癒しとか許容の幻想を女性に押し付けるな」っていうのも、たしかに話の流れだけをみたら当てはまる。でも、ちゃんとちひろさんのことを見てたら、そういうことじゃない、それが彼女の生き方なんだってすぐにわかる。良いか悪いかは別として、そうやってしか生きられない、またはそうやって生きていきたいひとはたしかにいるんだと思う。

・いろいろ突っ込むべきところはあるかもしれないけど、現実もこんなものだからフィクションだって歪んでてもおかしくないのに。
こうやって「創作物だから」という言葉を切り札にして、フワフワ物事を捉えるわたしの思想は、いつかなにかを間違えるのかなとちょっと怖くなる。



よく覚えている台詞と好きなところ

・「気づいたんだよね。人の心は独り占めなんかできないってことに。もし、それが恋愛だっていうなら、わたしには必要ないかな」
めっちゃ良い。わたしの感情を美化した台詞みたい。結婚できなくていいからこの台詞ください。結局ひとりならいらないんだよね〜恋愛。

・オカジがまことのお母さんの作った焼きそばを食べて号泣するシーン。わたしまでボロボロ泣いてしまった。豊嶋花ちゃん、大豆田とわ子以来みるのは2回目だけどめっちゃ好きな女優さん。

・リリーフランキー
彼はとにかくこういう根無し草のようなフラフラした掴みどころのない役がよく似合うし上手い。