掌編小説 | ユリの幻惑
2024年1月に大学の課題で書いたもの。テーマは「植物が関係する怪奇小説。2000字程度。」初めてフィクション書いた記念(小学生とかの時は除き)と、いつか読み直して恥ずかし懐かしがりたいので保存。
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教会の鐘が低く、静かに鳴り響いている。黒い服に身を包んだ人たちが集まり、棺のまわりを囲んでいる。徐に振り返った人々は皆、お互いに身を寄せ合いながら、丘の上に立ち尽くし、時折涙に濡れた声が聞こえた。
私は長年この町に妻とふたりで住んでいる。静かで、決して大きくない町だが、昔ながらの商店や小さなレストランが佇み、昔馴染みの住民が多く、まるで時間がゆっくりと流れているかのように感じられた。小さな丘の上には、教会があり、一日に何度か鐘が鳴らされ、町に時間を告げる。そばには修道院が建っており、数名の修道女が暮らしているが、俗世との関わりを断つ生活を送っているといい、誰もその姿を見たことはなく、詳しいことを知る者もいなかった。毎年夏が近づくと、周辺にはユリが咲き乱れ、風が吹くと甘い香りが町全体に広がっていった。
ある日、私はいつものように散歩の途中でいつもの喫茶店に寄った。コーヒーを頼み、何をするでもなくカウンターに座っていると、マスターが近くに座っている客に話しかけている。
「最近さ、商店街の時計屋のお嬢さんがおかしいって噂、聞いたか。」
「おかしいって何が。」
「明るくてよく働くお嬢さんだって評判だったのに、ここ数日笑わなくなったらしい。」
聞くつもりはなかったが、聞こえてきた会話が気になり、気がつけば足が勝手に時計屋まで動いていた。賑わう商店街とは対照的に、時計屋の店先には静かな雰囲気が漂っている。そこでは、時計屋の娘がユリの花を見つめ、虚ろな表情を浮かべていた。
「こんにちは。」
「こんにちは。なにかお探しですか。」
「とても綺麗な花ですね。」
「そうでしょう。ずっと眠れない日が続いていたんですが、ユリは私の元に来てくれてから、よく眠れて、しかも眠ると幸せな夢を見るようになったんですよ。」表情とは打って変わって、時計屋の娘は穏やかな声をしており、しかし、話の内容とはまた打って変わって冷たい表情だった。
「あの子、本当に変わっちゃったんだ。何があったか聞いても何もないと言うし、笑わなくなったこと以外はそのままなんだがね。」
時計屋の主人が静かに喋りかけてきた。娘は私たちの向ける視線にも何も感じていないようだった。
「あのユリはどうしたんですか。」
「教会に行った日に持って帰ってきたんだ。」
「教会ですか。」
「誰にもらったのかと聞いてもわからないの一点張りで。」
数日経つと、仕事熱心だった人がユリの花に夢中になり何も手につかなくなったり、明るかった人が笑わなくなったり、短期な人が穏やかになったり、町の人々に変化が現れた。毎年、ユリの咲く季節になると、町の何人かにみられるようになり、町中が蝕まれていくようだった。
数年後の夏、涙脆かった私の妻も、彼女が好きだったどんな映画を観ても泣かなくなった。彼女も時計屋の娘と同じ、虚ろな目をするようになり、ただ毎日家事をこなし、ユリを眺めては微笑むだけだった。
ある日曜日、時計屋の主人の言葉を思い出し、教会を訪ねた。教会の周りには甘い香りが漂っていた。扉を開けると、静寂が広がり、何人かが祈りを捧げていた。1人の女性が微笑みながら近づいてくる。ここの修道女だろうか。
「ここへは初めての方ですか。」
「はい。ユリが見たくて。」
「ユリは私たちにとって神聖なもの。その花びらが癒しを与え、香りが心を浄化させます。ここに住む修道女は皆、毎日ユリの世話をすることで、許しを得、人々を救えると信じています。」
「綺麗ですね。香りも素敵だ。ただ気になることがあって。」
「どうしたのですか。」
「近頃妻が泣かなくなったんだ。昔は涙もろくて、感動する映画を観ては、悲しい本を読んでは泣くような素直な人だったのに。それが見られなくなってしまったのが気がかりで。ずっと空っぽの目をしているし、どうしたのものかと考えたところ、時計屋の娘の噂と彼女の話を思い出して、ユリが関係あるんじゃないかと思いまして。」
修道女は穏やかな笑みを浮かべているが、その瞳の奥にはどこか異常な輝きがあった。
「ユリの花は安らぎを与えます。ユリの花の形やその香りに魅了されれば、感情の起伏は減り、平穏な日々を送ることができるのです。平穏な日々に悲しみや涙は必要ないでしょう。」
彼女の言葉に、町の人々の異様な平穏と心の空虚さが理解できた。同時に、修道女の静かな微笑みが不気味なものに変わっていくのを感じる。
「本来持っているはずの感情を失っても幸せだと言えるのでしょうか。」
修道女が問いかける。
「あなたはどうです、幸せですか。」
「私ですか。幸せだと思います。」
「そうですか。気づかれていますか。あなたも奥様や時計屋のお嬢さんと同じ瞳をしていますよ。」
そういいながら、ユリの花を差し出してきた。受け取った瞬間、教会の鐘が静かに鳴り響いているのが聞こえた。
教会の外に出ると、黒い服に身を包んだ人たちが集まり、棺のまわりを囲んでいる。徐に振り返った人々は皆、つめたく、人形のような顔をしていた。