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学芸美術 画家の心 第57回「ウイリアム・ターナー 解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号 1838年」
この絵を鑑賞する前にタイトルに書かれた戦艦テメレール号について説明しなければならない。
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この絵を鑑賞する前にタイトルに書かれた戦艦テメレール号について説明しなければならない。
戦艦テメレールは、日本の戦艦に例えるなら大和(もしくは宇宙戦艦ヤマト)と同じくらい、いやそれ以上に英国の人びとにとっては誇りと親しみを持っている艦だ。
因みに、2020年に新しくなった20ポンド紙幣の裏にこの絵が印刷されるほどの人気がある。
その理由だが、1805年10月21日スペインのトラファルガー岬沖で、ナポレオンⅠ世率いるフランス海軍2500隻を、戦艦テメレールに乗艦したネルソン提督率いるイギリス艦隊が鶴翼の陣を敷き、フランス艦隊を取り囲み壊滅させるという華々しい戦果を挙げた。後の世に世界3大海戦の一つに選ばれる「トラファルガーの海戦」と呼ばれる。残るふたつは、日本海海戦とレパントの海戦だ。
その後イギリスは地中海と大西洋の制海権を掌握し、これから始まる大英帝国へと続く礎を切り開いた重要な戦いであり、日本で例えるなら東郷元帥率いる旧日本帝国海軍が、ロシアバルチック艦隊を撃沈させた丁字作戦のようなものだ。
その戦の最後の生き残りが三本帆柱の戦艦テメレールだったのだ。そのテメレールが蒸気機関を積んだ外輪船に曳航され、解体場に向かう最後の雄姿を、港に集まった多くの人たちに見せたのだ。
ターナーもその最後の姿を見ていたといわれている。
蒸気機関船が開発されると風任せの帆船は、特に戦場では機敏な働きができないため蒸気船の動きに対応できなかった。技術の進歩、時代の流れには違いないのだが、海洋民であるイギリスの人たちにとっては、大きな心のよりどころであったのだ。
それが戦艦テレメール号なのだ。
そしてこの作品が1839年ロイヤル・アカデミーの展覧会に出品されると同時に盛大な賛辞が送られることになり、大成功を収める。
この絵は画面の各部分において様々なのことが明示的、暗示的に示されている。
例えば、主役のテメレールは画面の中ほどではなく、左半分にあり、白い色で彩色されている。これでは勇壮な戦艦というより、白い衣をまとい精気をなくした幽霊船ではないか。
そう、ターナーはテメレールを追悼するためにあえてテメレールに死の衣装をまとわせたのだ。
そして、幽霊船は最先端技術で建造された外輪船に墓場へと曳航されていく。その外輪船は先を走る帆船をも追い抜いていくのだ。黒い煙を吐き力強く。
それに対して右に配されたのは夕日だ。今まさに西の空に沈まんとする死にかけた太陽だ。輝かしい光を放っていたテメレールと同じように、燃え尽き終わらんとしている。
この絵は、曳航される戦艦と、沈みゆく夕日の絵の2枚を合体させ、一枚の完成された絵にしている。とてもドラマチックだ。
第一のドラマと第二のドラマ。それらが相互に影響しあい、鑑賞者に華々しい歴史の中に漂う哀愁を、英国の人びとの心を鋭い爪で鷲掴みにしたのだ。
そして、涙を流すのだ。
テメレールよ、永遠なれ!