ファロスの見える家 曜変天目茶碗
【これまでの経緯】
安雄は帆吏さんのせい家業を手伝ううちに、IT技術を駆使したソフト「お助け隊」を開発し、赤尾団地に適応していた。そして、ふたりの結婚披露宴をファロスの見える家ですることになった。
ツツピー、ツツピー。ツツピー、ツツピー。
シジュウカラが鳴いている。
チリリンとドアが開いた。
「宅配便でーす。霧島壮介さんに小包です」
壮介は、この家に宅配便を届けるような知り合いは思いつかなかった。誰からだろうかと包みの差出人を見ると、北大路左内となっている。
――おお、天才、左内君からだ。いったいなんだろうか。
壮介は掃き出し窓に立ち、庭で絵を描いている渚沙に向かって声をかけた。
「左内君から小包が届きました」
左内は渚沙の絵を見て突然、放浪の旅に出ると宣言し、出て行った。そういえばあれから一年近くが経つ。元気にしているのだろうか。
壮介は小包を慎重に開ける。中から出てきたのは黒光りした陶器だった。器の内側に虹色に光る斑点がところどころで輝いている。
――これと同じようなものをどこかで見たような……。
そうだ、あれは確か、特別展。南海子がまだまだ元気で病気の影などまったくないときだ。国立博物館でやっていた曜(よう)変(へん)天目(てんもく)茶碗(ちゃわん)特別展を一緒に見に行った。準国宝を入れて四点のすべてが揃うことは、今世紀中にはないだろうというのが主催者側のうたい文句で、ぼくはその広告におめおめと乗っかっただけなのだが、案の定、彼女には退屈だったようで、お詫びを含め、フレンチレストランでご馳走することになった。ふたりが一緒に過ごせた数少ない楽しい思い出のひとつだ。天目茶碗を目にするのはそれ以来だ。
でも、左内君はこれをどうしたのだろうか。疑問に思っていると、渚沙が掃き出し窓から戻ってきた。壮介は、渚沙に左内から届いた天目茶碗を見せようと差し出した。渚沙も両手で受けとろうとしたとき、壮介の指と渚沙の指が触れ、そして手と手が重なり合った。
壮介はあっと、声が出そうになった。渚沙と暮らすようになり二年になるが、偶然にも手に触れたのは初めてのことだった。自分でも驚くほどドキドキした。渚沙は、何もなかったような顔をしている。自分ひとりだけが狼狽(うろた)えているようで恥ずかしくなった。
渚沙は茶碗を見ながら首をひねった。
「左内君がこれを作ったのかな」
「手紙が入っています。読んでみますね」
茶碗と一緒に箱の底に入っていた手紙を取り出し読み始める。
「ファロスの見える店」を出て、そのまま旅に出ました。何の目的も持たず、渚沙さんのように、と書かれていた。
「本当にそんなことが書いてあるの。目的もないって失礼じゃない。あたしのこと、そんないい加減な女だと思っていたのかしら」
壮介はそれには答えず、長い手紙の続きを読み進める。
「ファロスの見える店」を出て思いついたのが、今まで行ったことがないところ、四国に向かいました。ある村を歩いていると、ちょっと気になる小さな金物屋を見つけました。そこの店主(お爺さん)は鍛冶屋(かじや)だと言っていました。案内され裏に回ると確かに鍛冶場になっており、近所の農家さんの鍬(くわ)や鎌(かま)をほそぼそと作っているとのことでした。お爺さんは、たまになんだけど、釘(くぎ)の注文が来ると自慢気に言いました。
「釘」といっても、それはただの釘ではありません。「和釘」と言って、古いお寺や神社に使われるもので、いったん打ち込んだら決して抜けないのだそうです。法隆寺の改修工事でもワシの釘が使われたと自慢しておられましたが、この釘を鍛造できる職人はもう数人しかいないそうです。そんな貴重な技術を持ったひとになれるんだったら職人でもいいかなと思いました。ぼくはここで弟子にしてもらおうとお爺さんにお願いしました。
そして、ひと月の間、釜焚きをしました。次のひと月は鉄くずを打つ練習でした。次の月は鋼を打ちました。でも、きゃしゃな体のぼくにはとても無理だということがわかりました。お爺さんにそのことを伝えると、にこにこしながら言いました。「時々あんたのような若者が、ふらりとやって来る。いつ辞めるかと思うとった」って、言われました。すっかりぼくの能力を見抜いていたんです。ぼくはお爺さんにお詫びと、これまでお世話になったお礼を言って、この家を出ました。
そこを出て、特に行くあてもなかったのですが、九州も行ったことがなかったのでそちらに向かいました。雪でも降ってきそうなほど寒い日でした。九州でも寒いんだと思いながら山道を歩いていると、スーっとまっすぐに立ち上る煙が見えました。火のある所で冷えた体を温めさせてもらおうと思い、そこに向かいました。そこは陶器を焼く窯でした。この窯で火の番をしているおじさんに会いました。このひとは「油(ゆ)滴(てき)天目茶碗」を作っている陶芸家だとあとでわかりました。その茶碗は、油が水に落ちたとき、虹色に輝くような、そんな模様が付いているのです。それを見せてもらったのですが、茶碗の中をのぞくと、真っ黒な天空に銀河の星々が広がり輝いているように見えました。
おじさんは、天目茶碗は中国で作られたけれど、世界中で残っているのはたったの三つ、いや四つだけだ。そのすべてが日本にあると言い、その天目茶碗を再現したいと頑張っていました。なんとか虹色が出るようになったが、自分が思うようにはいかないと、嘆くように言われましたが、ぼくには楽しんでいるようにも喜んでいるようにも見えました。
簡単にできないからこそ、何度失敗しても試行錯誤を繰り返し、挑戦し続けているのだと思いました。
ぼくはこれまでのことをおじさんに話し、陶芸を教えてほしいと頼みました。それから陶芸家のおじさんのところには半年いました。そしてわかったのです。ぼくの居場所はここじゃないって。送らせてもらった茶碗はぼくがおじさんに教えてもらったとおりに作ったものです。おじさんは、初めて作ったのだから、まあこんなもんだろうって、笑っておられました。
それで、ぼくはやるべきこと、行かねばならないところがやっとわかりました。そこは日本じゃありません。アメリカです。アメリカに行って、ハーバード大学を受験します。そこで宇宙のダークエネルギーと暗黒物質の研究をします。宇宙の謎を解明したいのです。すでに多くの研究者がチャレンジしているそうですが、ぼくが最初に解明します。だから一日でも一時間でも無駄にできません。この道を教えてもらった壮介さんと渚沙さんにはお店に行って、お別れの挨拶をしたかったのですが、お送りしたぼくが作った最初で最後の茶碗でお許しください。さようなら
「本当に左内君はアメリカに行っちゃったのかなぁ」
壮介から手渡された手紙を手にした渚沙は半信半疑だった。
「彼のことだから、行ったと思いますよ。そのうちきっと、手紙が来ますよ。元気でいることを願うだけです。左内君は大天才ですからね。本当に暗黒物質を見つけ、ダークエネルギーの正体を解明して、ノーベル賞のメダルを手にしするかもしれませんよ」
数か月のちの話だが、アメリカにいる左内君から国際郵便が届いた。
ハーバードを受験して、合格しました。TOEIC(トイック)で九百点以上のぼくにとって、ハーバードの試験はそれほど難しいものではなかったです。特別給付生として学費が免除され、無返済の奨学金ももらえます。そして、格安の大学の寮に入るので生活費も何とかなります。ただ、授業の方は相当な量の課題が出るそうなので、それをこなすのが大変だと聞きました。
でもなんとかなるでしょう。いや、それ以上に優秀な成績を取らなければなりません。そのためには、一分一秒も無駄にはできません。また、手紙書きます。
追伸、退屈な勉強ばかりで疲れます。壮介さんの『青春』が懐かしいです。
つづく
【足止め】予告
渚沙は、この家にやってきた日のことを思い出していた。そして、声の出ない愛之助を抱いた美咲がやってきて、それからのいろんな人がやって来た。なにかがある…、かも。