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画家の心 美の追求 第93回「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『聖マタイの召命』1599年 - 1600年』
『聖マタイの召命』は1599年、カラヴァッジョが28歳、新進気鋭の若き時代のデビュー作であり、出世作でもある。それと同時にバロック絵画の扉を開いた革新的な一枚でもある。
この時、イタリアのミラノは大きく変わろうとしていた。
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宗教界はマルチンルターなどにより宗教改革が叫ばれ、各宗派は誹謗合戦を繰り返し、ローマ教会も変革を求め新たな教会の建設を急いでいた。
教会の壁を飾るための気鋭の画家の出現が望まれており、そんな時にカラヴァッジョが華々しく現れ、宗教界の期待に沿う煌(きら)めく星となる。
ところでこの絵の依頼人は、フランス人のマテュー・コンテレー枢機卿で、彼の洗礼名がマタイであることから使徒マタイの故事を題材にした絵が描かれることになり、『聖マタイの殉教』とともに対の作品となっている。
これらの作品は、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会内のコンドーレ聖堂に掲げられると大評判となり、ひと目見ようと大勢の人びとが教会に殺到したという。
マタイの物語だが、イエス・キリストが徴税人のマタイに声をかけ、マタイがそれに応じたという故事で、召命とは、神の声、導きに応じることを言う。
では、この絵の中で主人公のマタイは誰なのか。これまでにもいろいろな説があったが、不思議なことにこの人だと特定されることがなかった。
近年の調査研究の結果、右端にいるのがイエスで人差し指で左端の男を指さしている。イエスの手前のペテロも左人差し指を左の方に向けており、同時にテーブル中央のひげ面の男も左の男を指さしている。
左端の男は、俯き金貨をいじっている。マタイは徴税人であったことから左端の男がマタイで間違いないだろうというのが結論で、納得できる。
画面を戻ると、この俯いたマタイだけがイエスと視線を合わさず、知らんぷりをしているが、イエスの声を聴いたその直後召命に目覚め、颯爽(さっそう)と立ち上がるというクライマックス直前のシーンである。
絵はその場面を「光と影」で立体的に浮かび上がらせている。まさしくバロック絵画の手法であり、ドラマチックな場面をさらに強調している。古臭く聞こえるこの手法だが、今でも映画やテレビドラマなどで使われる手法だ。
このように順風満帆のカラヴァッジョは金に困ることはなかったが、若い時から素行が悪く、酒を飲んでは喧嘩ばかりしていた。その挙句、1609年(38歳)乱闘で若者を殺してしまい、ローマから逃亡している。
その後も乱闘騒ぎを起こし、自身も大けがを負うなどとにかく身持ちが悪かった。
1610年熱病にかかり、トスカーナ州モンテ・アルジェンターリオで38歳の若さでこの世を去るが、鉛中毒だったという説もある。その死は殺人を犯した罪の許しを得るため贈答用の絵を3枚携えローマに向かう途中だったという。
カラヴァッジョの死は自業自得と言ってしまえばそれまでだが、何とも哀れな死としか言いようがない。
己の才能に溺(おぼ)れ、バロックという絵画の扉を開いた大天才。なぜ更なる未来を見ようとしなかったのか、次世代の若き才能のある画家を育てようとしなかったのか、どうして妻を娶(めと)り子を成し、落ち着いた生活を求めなかったのか、また周りの大人たちは彼を諫(いさ)めようとはしなかったのか、疑問はいくらでも湧いてくる。
ところで彼の人生を狂わせたものはいったい何であったのか。それは生まれながらに彼の心に住みついた悪魔なのか、それともニヒルな天使なのか。その原因を探るため彼の幼少期に戻ってみよう。
カラヴァッジョは1571年ミラノのカラバッジョ侯爵家の金工職人の父と地主の娘であった母との長男として生まれ、裕福な家庭に育っている。1576年ペストの流行で父が亡くなると1584年母も失う。カラヴァッジョは13歳という多感な時期であった。
その年、カラヴァッジョはテッツィアーノに弟子入りし、4年間修業している。その後独立するのだが、ミラノからヴェネツィア、そしてローマへと流れていく。
この間、喧嘩、暴力、誹謗中傷など良からぬことや噂は絶えることがなかった。
何故カラヴァッジョはそんなに荒れていたのだろうか。父母が若くして死んだからか。この時代そんな子供はたくさんいたし、13歳で職人なる人も多くいた。ましてやカラヴァッジョは絵を描くことが子供ときから天才的にうまかったはずで、テッツィアーノの弟子の中でもトップの成績であったに違いない。その後も順風満帆の画業を残している事からもわかる。
ではなぜ荒れたのか。その理由を、大胆に想像してみよう。
この絵「聖マタイの召命」の中央でスポットライトを浴びる若くて女性的にも見える騎士がいる。テーブル奥の右端にいる若者だ。このことが誰がマタイなのか、判断を狂わせたに違いない。
1593年から1610年頃までカラヴァッジョが描いた絵の中にこの美青年と思われる人物が幾度となくモデルとして登場してくる。
カラヴァッジョはこの青年を好んでいた。さらには彼を愛しており、同性愛者だったのではないだろうか。そうだと仮定したなら、若い時からの彼への誹謗中傷、報われない自分の愛との葛藤。それを紛らすための酒と乱暴、暴力だった、としたらどうだろうか。
同性愛に関しては現在の日本でも賛否が渦巻くほどだ。中世ミラノでは、宗教画家である以上絶対口に出すことができないタブーだ。
カラバッジョはもがき苦しんだ。辛く悲しい心のやり場を、酒に求めるしかなかったのだろう。