留目弁理士奮闘記! 番外編 ゑれきてりせいりてい 第四話 『清次郎』 その2
【これまでの経緯】
香織と中良、そして透明人間の龍馬の三人は、吉松に捕まった清次郎を幽霊屋敷から救出すべく出かけたのだが、幽霊が出ないかとおっかなびっくりの三人。幽霊屋敷にやって来た三人だが、無事に清次郎を助け出すことができるのか…。
一方こちらは、幽霊屋敷。
清次郎を拉致した指物師(さしものし)の吉松(よしまつ)と金物師の久三(きゅうぞう)がスルメをしゃぶりながら、ちびちびやっている。縄でグルグル巻きにし、部屋の隅に転がした清次郎を見やりながら、久三が心細そうに話した。
「吉松の兄ぃ。この清次郎をどうするよ。いつまでもここに置いとくわけにはいかねえし、第一(てーいち)、こんなところで幽霊にでもとり憑(つ)かれたりしたら大変(てーへん)だ」
「そうだなぁ。早いとこ、こいつを始末しねぇとなぁ」
吉松も清次郎の処分に困っていた。
そのとき、外で「ヒエ~」という叫び声が聞こえた。
「今、外で声がしたな。久三、見てこいよ」
「いやですよ。幽霊だったらどうすんだよ」
久三は膝を抱え茶碗酒を口にした。
「幽霊なんか出やしねえよ」
「だったら、兄ぃが行けばいいでしょ」
「おめぇ、怖いんだな」
「ええ、怖いですよ」
久三は膝を抱えたまま動こうとはしなかった。
「仕方のねぇ奴だ」
吉松は吐き捨てると土間から庭に続く引き戸をそぉーっと開けた。首だけ出して、キョロキョロ辺りを見廻したが、そこからは月に照らされた荒れ果てた庭が見えるだけだった。
香織と中良はすでに引き戸近くの板塀の陰に身を隠していたのだ。
「誰かが外を覗いている」
中良は香織の肩越しに眺めた。
「あれは多分、吉松という奴ですよ」
中良は、香織の耳元で囁きながら指差したが、その指先がブルブルと震えている。
「誰も居やしねぇや。気のせいだったかな」
吉松は引き戸を思い切りバタンと閉めた。
「吉松以外にもだれかいるようね」
香織が小声で言った。
――ねえ。あなた、ちょっと見てきてよ。
(えー。僕が、ですか)
――人には見えないんでしょ。誰にも気付かれずに偵察できるのはあなただけじゃない。
(わかりましたよ。見てくるだけですよ。ほんと人使いが荒いんですね。留目先生が気の毒です)
ぶつぶつ言いながら、香織の傍を離れた。
「香織殿。中の様子はわかったじゃないですか。あたしたちはこれでひき上げましょうよ。これだけわかれば十分じゃないですか」
中良の頬はピクピクと震えている。
「もうすぐ、中の状況がわかります。もう少し待ちましょう」
「はぁ、ここに居てどうして中のことがわかるのですか」
「今はいいから、静かにして!」
香織は小声だったが、強い口調で言い、その勢いに中良は肩をすぼめた。
それからしばらくして、龍馬のテノールが頭に響いてきた。
(吉松ともう一人仲間がいます。グルグル巻きにされて部屋の隅で転がされているのが清次郎さんじゃないですかね)
――わかったわ。
香織は龍馬とのテレパシー交信のコツを完全につかんでいる。
「中良さん、中の状況がわかりました。吉松ともう一人居ます。清次郎さんらしい人はグルグル巻きにされて部屋の隅に転がされています」
「もう一人は多分、吉松の仲間の久三とかいう奴(やつ)ですよ。でも、どうしてここにいて、そんなことがわかったんですか」
「だから、あたしは未来から来た未来人だと言ってるでしょう」
道理の通らぬ理屈を言うと、
「なるほど、そういうことならよくわかります」
と、中良はあっさり納得した。
「それでどうやって清次郎さんを助け出すのですか」
「あたしがそこの扉を開けて中に入り、吉松と交渉するから、中良さんはその隙(すき)に清次郎さんを助け出してください」
「そんなことできる訳がありません。もう一人、久三が居るのですよ」
中良は目をパチクリさせると、ぶるぶると顔を大きく左右に振った。
「大丈夫。あたしは未来から来た人間です。久三はあたしが何とかします」
「ええー、香織殿とあたしの二人しかいないんですよ。いくらなんでも無理ですよ」
「大丈夫。まかせて」
香織は力強く言った。
――龍馬、久三はあなたがやっつけるの。
(そんな無茶な……)
――何とかしなさいよ。あなたにはわたしをこんなところに連れて来た責任があるのよ。
(わかりましたよ。何とかすればいいんでしょ)
そうと決まれば、香織は腕に力を込め、扉を思いきり開けた。
ガタン、と大きな音と同時に、扉が外れバタンと倒れた。
その音に、吉松と久三が驚き一斉に振り返ると、出口に女が立っている。その後ろにへっぴり腰の男が震えている。
「なっ、何だ! お前らは」
吉松は鼻の穴を膨らませ喚(わめ)いた。久三は大きく目を見開いたまま固まっている。
香織は腹に力を込め、野太い声を出した。
「吉松! 清次郎さんを放しなさい。そうしなければ、そっちのお兄さんに幽霊がとり憑くでしょう」
「何をつまんねえことを言ってやがる。幽霊なんかいやしねぇよ」
吉松は女だと見くびったのか、ヘラヘラと笑った。
そのときだった。呆けたように固まっていた久三が、両手を上げて後ずさりしながら阿波踊りを始めた。
「ヒエ~。兄貴ぃ、オレ、どうしちまったんだ。助けてくれぇ~」
龍馬は気づかれないように後ろから久三に近づき、羽交い絞めにしていた。
吉松は久三の幽霊踊りを茫然と見やっていた。
「中良さん、早く!」
呆気にとられボーっとしていた中良は、香織に促され、清次郎の猿ぐつわと縄を解いた。
吉松ははっとして我に返ると、香織に突進し、抱きついた。
「キャー、何するのよ」
香織は悲鳴をあげた。
「ギャー、ギャーほざくんじゃねえ。静かにしろ」
吉松は香織の首に腕を回し、締め上げた。
それを見た中良と、縄をほどかれ自由になった清次郎は身構えた。
「近づくな。この女がどうなってもいいのか」
「グ、グ、グ……。リョウマ。タス、ケ―…」
香織の視界が暗く狭まっていく。
龍馬は羽交い絞めにしていた久三を投げ飛ばし、吉松に近づき、様子を窺う。
投げ飛ばされた久三は、何がどうなっているのかわからず放心状態となり、瘧病(おこりやまい)のように膝を抱えぶるぶる震えている。
吉松は香織を引きずりながら庭に出ようと、後ろを振り向いた。そのわずかな隙に龍馬が吉松の脇の下から手を入れ、香織を吉松から引き離そうとした。腕が緩むと、香織の眼の前に吉松の右腕がある。香織はその腕に噛みついた。
「いててててぇー。何しやがる」
吉松は首から腕を放すと、香織を突き飛ばした。香織はその勢いのまま、前の柱に頭からぶつかった。
「ゴツン!」
香織はギャッと叫ぶと、頭を抱え倒れ込み、そのまま動かなくなった。
香織を突き飛ばした吉松は後を振り返ることもなく、久三を見すてて一目散に逃げ出した。
残された久三は中良と清次郎に、縄でグルグル巻きに縛られた。
「兄貴ぃ~、助けてくれぇ~」
声を絞り出したが、その願いは吉松に届くことはなかった。そして、久三はがっくりとうなだれ、観念した。
吉松が逃げ去るのを見届けた龍馬はすぐさま香織に声をかけた。
(香織さん! 大丈夫ですか?)
両手で肩を掴みゆすった。ちょっと遅かったか、もう少し早く来ていれば……。龍馬は背後から香織をゆっくり抱き起こした。香織の両腕はだらりと垂れ下がり、体はぐったりと前のめり。上半身が空中に浮き、ゆらゆら揺れている。
それを中良、清次郎、久三の三人が見た。
「ヒェ~」
「ゆ~れ~」
「なまんだぶつ、なまんだぶつ……」
三人は同時に声を張り上げた。
「う~ん」
香織は息を吹き返した。
「幽霊がどうしたの……」
「香織殿が幽霊……。大丈夫ですか……」
中良は震えながら訊いた。
「わたしは大丈夫よ。頭を打って気を失っただけだから」
香織はぶつけた頭をさすりながら両足で立ち上がった。
三人は地に足が着いている香織を見てやっと安心した。
「お前さんは、清次郎さんだよね」
中良が尋ねると、清次郎はうんと小さく頷いた。
「こちらさんはお前さんを助けてくださった香織殿だよ。礼を言いな」
清次郎は香織を不思議な物でも見るようにポカンとしていたが、ハッとして口を開いた。
「助けてくれてありがとうございます」
頭が膝に届くほど、体を二つに折った。
「清次郎さん……。無事で良かった」
香織はほっとして、顔をほころばせた。
中良も笑顔になった。
「それにしても見事に久三を踊らせましたな。さすがに未来人は違いますね」
「みらいじん……?」
清次郎は未来人って、何なのか、わかる由もなかった。
「源内さんが清次郎さんを助けるように中良さんとあたしに言ったのよ」
香織は緊張感から開放され、これまでのことを清次郎に話し聞かせた。
「まあ、嬉しい。やっぱり源内さんが助けてくれたのね」
清次郎の顔がパァーっと明るくなり、手を叩いて喜んだ。そして、うっすらと目に涙を浮かべた。
「源内さん……」
清次郎は誰にも聞かれないように、愛しい人の名を呼んだ。
主犯の吉松を捕り逃がしたものの、久三をお縄にでき、無事に清次郎を救出することができた。帰路は中良が先頭に立ち、歌舞伎役者が花道を進むように肩で風を切るようにして歩いた。次に清次郎と香織が続き、最後に透明人間の龍馬も肩で風を切って歩いたが、その存在は誰にも気付かれることはなかった。
つづく
第五話 『悪だくみ』 予告
吉松を取り逃がしたが、清次郎の口から吉松の悪だくみが明らかになってくる。香織たちはその悪だくみを阻止し、解決できるのだろうか。