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学芸美術 画家の心 第62回「ベルト・モリゾ クレイドル 1872年 」


模写「クレイドル」

 画題の「クレイドル」とは、英語で「ゆりかご」という意味だそうです。
 ゆりかごの中ですやすやと眠るわが子をやさしく見守る若い母親の愛情を感じさせる優れた作品だ。

 この絵はモリゾが31歳の時の作品で、モデルは姉のエドマと彼女の子供だといわれている。
 モリゾとエマドは子供ころより共に絵画の勉強に勤しみ、生涯を通じて仲のいい姉妹だった。

 ところでモリゾはもう一人の姉のイブ、そして母親と一緒に描いた絵が残っているが、母親と三姉妹はともに品がよく、育ちのいいきれいな顔立ちをしている。
 モリゾの父親は、シェール地方の行政長官をしており、モリドは裕福な家庭で育った。

 さて、モリゾだが、20歳になるとバルビゾン派のコローに師事し、3年後サロンに2作品を出品し、入賞を果たしている。

 27歳(1868年)になると新たな刺激、画法を求めパリに出て運命の師匠となるエドゥアール・マネと邂逅する。そしてマネのモデルになると同時に印象派の画法について学ぶことになる。

 黒いドレスを着た魅惑的なモリゾの半身像と全身像の絵が残されているが、いずれの作品も印象派の名画として評されている。

 絵そのものが優れていることはもちろんだが、このときのモリゾとマネの二人に師匠と弟子、画家とモデルだけでない別の何らかの感情があっただろうことは画面からひしひしと伝わってくる。
 印象派の仲間たちも二人の仲を知っていたのではないだろうか。

 しかしマネとの恋路はかなうことはなかった。その後どういった経緯があったのかわからないが、1874年33歳になったモリゾはマネの弟のユージニと結婚する。翌年にはひとり娘のジュリーを出産している。

 想像をたくましくすると、モリゾは愛するマネとの子供が欲しかったに違いない。しかし、結婚はできない。でも、妾は嫌だ。
 ではどうするればいいのか、マネと同じ両親から生まれたマネの弟と結婚することで、マネと同じ遺伝子を持つ子供を生むことができる。そう考えたかはわからないが、子供を一人しか作らなかったこと、その後ジュリーを描いた絵からはそのような空気が漂ってくる…。
 
 それはわたしの勝手な妄想なのだが…。
 
 やがてモリゾは印象派の三大女性画家のひとりとして大成するのだが、モリゾはこのときどのような想いを抱き、絵筆を動かし続けていたのだろうか。


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