模写の風景 画家の心 第27回「ポール・ゴーギャン 黄色いキリスト 1889年作」
今日のテーマはゴーギャン。
彼がタヒチに旅立つ前に描かれた一枚で、そんな時期にどうでして黄色のイエス様なのか?
ほんの数か月前の7月にゴッホがピストル自殺したとの知らせを聞いたゴーギャンは、深い哀悼の気持ちを込めてこの絵を描いた。
黄色のキリストは、勿論ゴッホその人だ。ゴッホは以前、牧師になるため宣教師や巡教師をしていた。困っている人に身も心も捧げ尽くした。しかし、それが行き過ぎて、逆に気持ち悪がられ、村から放り出されたほどだ。
さて、この絵の中ほどに塀を乗りこえ逃げ出す男と、塀の向こうに女二人が描かれている。この男と女はいったい誰なのか。中央に描かれている以上、重要な登場人物たちのはずだ。しかし、何冊かの画集で調べたが、解説には何も触れられていなかった。
わたしはこの黒い人物こそ、ゴーギャン自身であり、二人の女はアルルの娼婦宿の女だと推測する。その理由だが…、
88年12月23日にゴッホは、ゴーギャンとの共同生活の場であったアルルで「耳切り事件」を起こす。ゴッホは、あくまでも「自分で切った」と主張し続ける。
ゴッホは犯人を庇ったのだ。そして犯人は、ゴーギャンその人であり、刃物は通説のナイフではなく、ゴーギャンのサーベルだ。ゴーギャンはサーベルを趣味としており、アルルにも持参していた。ところが、そのサーベルは行方不明となっている。
主治医や警官がいくつかの不審点について問い質したが、ゴッホはあくまでも自分がやったと主張し続け、結果として精神病院に送られる。
それから7か月後、ゴッホは自分で胸を撃ち、ピストル自殺したとされるが、銃弾は腹に残っており、帰宅後ドクター・ガシェと機嫌よく話し、翌日弟のテオがパリから飛んできて今後の治療について話し合っていた。ところがその夜様態が急変し、呆気なくゴッホは亡くなった。
銃弾が体内に残っている限り自殺ではありえない。いかに小さなピストルでも弾丸は体内を貫通し残らないし、骨も砕くだろう。
この話の中で、自殺を図ったとされる拳銃は発見されておらず、麦畑で描いていたというゴッホの絵も画材も消えてなくなっていた。
この話を聞いたゴーギャンは、ゴッホは犯人を庇っていると、直感したはずだ。
ゴッホは気持ち悪がられるほどに相手に尽くす。
「罪を憎んで人を憎まず」。それを地で行った人物だ。
ゴーギャンは今になってそれを知り、逃げ出した自分自身の罪の深さに慄(おのの)いているのだ。
今さらどうしようもない…。その思いが彼の心をじわりじわりと蝕(むしば)んでいく。
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