ファロスの見える家 「やったね!」
【これまでの経緯】
しばらくぶりにファロスの見える家にやって来た加奈は、みなに結婚すると告げた。相手は、幼馴染の福田優介と言った。
ホーケキョ、ケキョケキョ。ホーホケキョ。
春はまだ先だというのに、暖かい陽気に気がはやるのか鶯の早鳴きだ。
チリリンとドアベルを鳴らして帆吏さんが入って来た。その後ろをもうひとり、スーツ姿の男が発泡スチロールの箱を抱え立っている。
「いらっしゃい。帆吏さん。あれ、あなたは、安雄さんじゃないですか。いらっしゃいませ」
「壮さん、いつものキンカンと、今日はリンゴとオレンジとイチゴが入って、ます」
そう言うと、安雄は発泡スチロールの箱をカウンターに置いた。
「はい、わかりました。いつも、ありがとうございます。帆吏さんご自慢の子供たちは健康で元気があって最高です」
「そうでしょう。みんないい子たちでしょう」
帆吏は自慢げに胸をそらした。いつもなら、毎度ありー、と言って出て行くのだが、今日はそのまま手前のスツールに腰を下ろした。そして、どういう訳か帆吏さんと一緒にいた安雄も隣のスツールに座った。
明るい日差しが大きな掃き出し窓から優しくふたりを照らしている。天然のスポットライトのようだ。
渚沙は庭でいつものように絵を描いていたが、フロアの様子に気が付いたのか、掃き出し窓から顔を覗かせ、ふたりに目であいさつするといつもの席に腰を下ろした。愛之助は自分のカゴの中から顔だけをこちらに向け、耳をピクピクそばだてた。
「こ、こんにちは」
安雄は落ち着きがなくそわそわしている。
「何かご注文はございますか」
壮介はいつものように注文を訊く。
「このひとが、安雄さんが壮さんの作るスイーツが美味しいって。あたしも以前『イチゴのケーキ』をいただいて美味しかったって言うと、じゃあ、一緒に食べに行こうってことになって」
帆吏さんは隣の安雄の方を向き、顔を見合わせた。
「何か、ぼくたち、ふたりに適当なものを、お願い、します」
明らかに安雄は変だ。コテコテの関西弁はどこにいってしまったのだろうか。壮介は承知しました、と返事をするとキッチンに入った。
するとすぐに南海子の声が聞こえてきた。
(まさかと思うけど、あのふたり、なんだか怪しいわね)
――う~ん、どうなんだろうね。とにかくふたりのお客さんに温かい気持ちになっていただきましょう。
渚沙は帆吏と安雄のふたりが一緒に訪ねて来るなんて、いったいどういう風の吹き回しなのかと不思議に思っていた。
しばらくして甘酸っぱい匂いと生姜の香りが漂ってきた。すると、ふわふわと湯気の立ったティーカップが三つ出てきた。
「アップル・ジンジャーです」
三人は同時にカップを手にすると、カップに口を付けズズズッと飲んだ。そして、はぁ~っと三人同時に息をつく。
「おいしぃ」
「うまいなぁ~」
帆吏と安雄が同時に口にした。その後で、
「さすがにうちの子たちやー。おいしいです。これはどうやって作るのですか。リンゴと生姜に、あとは何を使っているの」
帆吏さんは感心しきりでレシピを尋ねた。
壮介はキッチンからビン詰めを取り出し、三人に見せた。
「鍋にリンゴと新生姜、砂糖とミカン蜂蜜を入れて、それにレモンと白ワインを加え、これを煮詰めてこうしてビンに入れ、保存します。これをカップに取り出して、お湯を注げば、出来上がりです」
「そうなんだ。意外と簡単にできちゃうのねぇ」
「それでこんなに早よう……、早く出てくるちゅうわけでん、ですね」
安雄は何が言いたのだ。呂律(ろれつ)が怪しい。いったいどうしたというのだろうか。まさかごく少量のアルコールで酔ったとも思えないのだが。
壮介は、帆吏さん、と声をかけた。
「今日は麦わら帽子じゃないんですね」
「それにいつものつなぎの服じゃないし」
渚沙だった。渚沙もいつもと様子の違うふたりを訝しく思っていたのだろう。確かに、ふたりともおめかしをしている。安雄はスーツを着ているし、帆吏さんはピンクの可愛いワンピース姿だ。
帆吏さんが横目で安雄に合図を送ると、安雄は小さくうなずいた。帆吏さんもいつもの帆吏さんじゃない。恥ずかしそうに下を向いている。そして、安雄の横顔を見た。
「じ、実は、ワテら、いや、ぼくたち、け、結婚することになりました」
安雄は胸に溜めていた重い言葉を吐き出すと、ふーっと息をついだ。
「えっ、えー。何かいつもと違うなあと思っていたけど。いきなり、それも結婚ですか。お、おめでとう、ございます。いつの間にそんなことに」
渚沙はストレートに核心に迫る。
帆吏さんは恥じらいながらも話し始めた。
「あたしがK駅の東口でいつものように商売をしていたら、このひとがめちゃくちゃなことを言ってきて。それで、頭にきて、言い争いになって。それがきっかけだったの」
帆吏さんは安雄の第一印象は最悪だったと言いながらも嬉しそうに目を細めた。
安雄は美咲が住んでいたメゾンド赤尾に引っ越し、しばらくすると、事もあろうことか、赤尾自治会の役員になっていた。赤尾団地はすでに高齢化が進み、独り暮らしのお年寄りや足腰が弱り買い物に不自由している婆さんたちが多くいる。買い物難民となっているこのひとたちを助けたいと奮い立ち、帆吏さんの軽トラで野菜や果物以外の商品を乗せて団地内で商売することを相談した。
「確かに、このひとのやろうとすること、そりゃあ、お年寄りを助けようというのだから志は崇高なんだけど、無茶すぎるんです。今では生協やネットの販売、毎日配達してくれるお弁当屋さんもあるから、あたしのような軽トラでほそぼそと果物や野菜を売っているような商売じゃ無理だって言ったんです。でも、ワテにはIT(アイティー)の技術があるから大丈夫や、とか何とか言って、それで」
「一緒に手伝っているというわけですか」
そうなの、と帆吏さんはうなずいた。
「ところが安(や)っさんご自慢のITは、まったく役に立たなかったのよ。このひとに信用もなかったしね。結果はあたしが予想したとおり大失敗。それでこのひと、ガックリと落ち込んで」
帆吏さんは隣で小さくなっている安雄を見た。
「あたしは一回失敗したぐらいで簡単に諦めるなんていや。それで自治会の会長さんに相談したんです。その方は大きな会社の元重役さんとかで、いくつかアイデアを出してくれて、今はなんとか商売になっています」
安雄は、そうなんや、と今度は胸をそらしにこにこしている。その後をコテコテの安雄が話を引き継いだ。
「それが功を奏して今ではいろんなひとのアイデアを入れた改良版のアプリ、これはワテが作ったんやけど、このアプリが赤尾団地の老人だけやのうて、若い奥さん方にも役に立ってるんですわ」
安雄はスマホを取り出すと、安雄が作ったという『お助け隊』のアプリを見せた。
「例えば、ちょっとした簡単な大工仕事に、電球の交換。庭木の剪定に、重たい荷物の買い物。これなんかは独り暮らしの婆ちゃんには結構大変なことや。スマホで地域の『お助け隊』に連絡したらすぐに団地の誰かが駆けつけてくれる。病気になった時も元看護師さんが相談に乗ってくれる。団地内には現役を引退したひとらがいっぱいおるさかい、有効活用やな」
それだけやないで、と安雄は嬉しそうに続ける。
「子育て中のお母さんはいろいろ大変や。赤ちゃんが急に病気になったりして。学校に入ったら勉強や宿題のことで悩まんならんしな。こんなとき、『お助け隊』に連絡したら学校の教師をしてた元先生がアドバイスしてくれる。最近聞いた話では赤尾団地の子供たちの成績がごっつう上がったらしい。そう言うて、ママさんからも感謝されてます」
そして安雄は、この『お助け隊』アプリの使用を日本中で高齢化の進んだ団地や限界集落に勧めるために営業を始め、その手伝いや相談に乗ってくれているのが元重役さんなんや、と報告した。
「ところで今日のスイーツはまだ出てきまへんのか」
安雄は話し終えホッとしたのか、目の前で黙って聞いている壮介に声をかけた。
その時、キッチンから甘酸っぱ~い匂いが流れてきて、チーンとオーブンの終了を告げる音が鳴った。
「ちょうどいいタイミングで焼きあがったようです」
そう言いながら壮介はキッチンに戻った。
やがて、真っ白な粉糖がかけられた、薄黄色のケーキが白磁のプレートに載せられ出てきた。
「これが壮介さんのスイーツなのね」
帆吏は金のフォークを手にし、さっくりと小さく切り分けると口へと運んだ。もぐもぐ口を動かすと、帆吏は目を真ん丸にして、その固まりをゴクンとのみ込んだ。
「おいしー。安っさん、あなたが言ってたように美味しいよ。今日のリンゴが入っているんだ。これはなんというスイーツですか」
「ガトーインビジブルと言います」
「それで菓銘はなんと付けたの」
渚沙が訊いた。
「もちろん。『やったね!』です」
「やったね? ふたりが結婚するから? 何とも安直な名前だこと。まあ、いつものことだけどね」
渚沙は眉根を寄せたが、顔は笑っていた。
安雄は一心に『やったね!』を食べていた。すると、帆吏さんが、
「ねぇ、安っさん。結婚式はここでしようよ。きっと、みんな喜んでくれるよ」
――いま、結婚式って言った? ここで結婚式だなんて。いくらなんでも、自分には荷が重すぎる。
壮介は断ろうと思った。
帆吏さんは姿勢を正すと、お願いします、と頭を下げた。
「結婚式をここでさせてください。そんな改まったものじゃなくって、ごく内輪だけの、パーティーみたいなもの。ここで、やらせて下さい。ばーちゃんにも壮さんのスイーツ食べさせてあげたい」
帆吏さんは神妙な顔で頭を下げると、安雄もフィアンセに倣って頭を下げた。
「いいんじゃない、壮さん。そうしてあげたら」
渚沙は手をたたかんばかりに喜んでいる。
「わかりました。でも、本当にたいしたことはできませんよ。覚悟してください。メニューは、フルーツサンド、デザートパンにパンケーキとか、お団子とか、おはぎとか、カルカンとか、ボンボンショコラとか。あと、スイーツなら任せてください。でも、そんなものでもよろしいのですか」
壮介はそう言いつつ指折り考えていると、どんどんイメージが膨らみ、楽しくなってきた。
「壮さんの作るスイーツはもちろんだけど、フルーツサンドもおはぎも美味しいよ。あたしが保証するから」
渚沙は胸をたたいて請け合った。
「材料はあたしが持ってきます。なんでも言ってください」
「じゃあ、これで決まりでんな」
結婚パーティーの会場が決まると、安雄と帆吏さんのふたりは仲良く手をつなぎ、にこにこしながら出て行った。
渚沙は玄関に立ち笑顔でふたりを送り出すと、愛之助は隣で尻尾をくるくる回していた。
壮介はカウンターからふたりを見送ると、安雄がここに来たときのことを思い出した。そのとき新風を吹き込んでほしいと『伝来』を出した。安雄はいままさに、赤尾団地に新風を吹き込もうとしている。
安雄だけじゃない、いろんな悲しみや悩みを抱えたひとたちがこの「ファロスの見える店」にやって来て、そして小さな未来を見つけ出て行く。単に偶然が重なっただけだろうか……。
『やったね!』
どこにいるのか想い人
林檎の花が咲くころに
貴方は来るという
赤い実を結ぶような
そんな恋がいい
宇美
つづく
【行かないで】予告
放浪の旅に出た天才、北大路左内から小包が届いた。中には曜変天目茶碗が入っていた。そして、手紙にはアメリカに行くと書かれていた。
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