⑳バッチ博士、並木良和さんー 本からのメッセージ/ 目醒めと病気とタイムウェーバー -私にとって 病気は本当にGiftだった
バッチ博士 読書会
私はフラワーエッセンスに出会ってからあるコミュニティに参加してその知識を深めていくことをやっていました。
そのコミュニテイは熊本から目醒めの発信をされてらっしゃる竹崎裕子さんがつくられたもの。(また同じゆうこさん!)
ゆうこさんのblog https://ameblo.jp/sacredflowers/
HP https://www.sacredflowers.net
そのコミュニティのみなさんは日々自分と向き合うということをやっていて。お互いが気づいたことや情報をシェアしあうまさに共振しながら目醒めを進めていくコニュニティで。裕子さんがつくりだす波動に共鳴をした人が集まっていたためかみなさんとてもあたたかく愛をもってらっしゃる方々でした。
ジャッジが無い世界というのはこういう世界なのか、とわかったのはまさにこのコミュニティに参加してから。
それまでどれだけ私がジャッジの周波数を使っていたか?がわかる体験を、このコミュニティでさせてもらえました。
それはみなさんがとことん自分というものを受けいれ、赦していくということを真剣に(NOT 深刻)愛を持って実戦されてらっしゃるから。
そんなとっても素敵なコミュニティで自分を立て直していく場としてありがたく活用させてもらいました。何を表現しても大丈夫という感覚に徐々になれていったのまさしくこのコミュニティのおかげでした。全てをそのまま愛で受け止めてくれ、率直なフィードバックを伝えあってくれることでさらに気づきをくれるセラピスト仲間がいてくれたおかげでした。
そのコミュニティのある活動でオンラインでの読書会があって。参加をしました。その時に扱ったのは「エドワード・バッチ著作集」
「私たちが病気ととらえているのは長い間の行動が身体に影響し、それが深く根付いた最終的な結果です。たとえ治療が物理的にうまくいったようにみえても、本当の原因が鳥の座置かれていなければ一時しのぎにしか過ぎません」
「病気に対する恐怖心が現実の病気と強力に結びつき、病勢を強めてきたのです。しかし、恐怖心とは本来人間に決して存在するはずのないものです」
「病気とは本質的に魂と心が葛藤した結果です」
「病気は本来有益であり、人格を魂の神聖なる意志へと引き戻すために生じています」
「万物の創造主は愛であること、また人間が目にするあらゆるものは、その無数の形の中にー惑星であれ小石であれ。星や露のしずくであれ、また人間でも単細胞の生物でもー神聖なる愛の現れであることを十分理解する必要があります」
「病名をつけておびえさせないでください。最終的に治療するべきは、病名の奥にあるものであって本質的に治らない病気は一つもありません。」
「健康とは、人が生まれながらに有する権利です。また、健康は魂、心、体が完全に調和した状態を指します。この状態を手にいれるのは難しい、はるかかなたの理想ではなくとても自然で簡単なことです。だからこそ、多くの人が見過ごしているのです」
「ですから、人間は自分の健康や幸福によってどのくらいうまく、魂の語りかけを理解しているのかを知ることができます」
「魂はかたりかけているのです」
ページを開くたびに。
まるで宝石のようにきらきらと光を放ちながら飛び込んでくる言葉たち。
バッチ博士ご自身も、余命をつげられるほどの病を体験していたときに、ご自身の研究に没頭した結果、今までで最も健康的な身体に戻ったという経験をお持ちの方。
読書会ではどのフレーズが最も心に響いたか?をシェアします。
私は「健康とは、人が生まれながらに有する権利です。また、健康は魂、心、体が完全に調和した状態を指します。この状態を手にいれるのは難しい、はるかかなたの理想ではなくとても自然で簡単なことです。だからこそ、多くの人が見過ごしているのです」でした。
このフレーズを読んで自分の内側に湧き出た反応から、治さなきゃ、治さなきゃ(治ることは難しい)と無意識のうちに思っていたことがわかります。
「この(健康な)状態を手に入れることが難しい、はるかかなたの理想ではなくとても自然で簡単なことです」の一文に、あ、簡単なことなんだ、とぽろっと目から何かが落ち、心の中で何かが溶け出したのを覚えています。
本を開きバッチ博士の考えに触れる度に...バッチ博士のその深遠なる旅路と志に胸が打たれてしまいます。
自分の魂との乖離を終えていくバッチフラワーレメディは、本当に私のよきヒーラーとしていつもそばにありました。
108ページを開いてご覧
身体が治癒し、元に戻ることは大変なことで難しいという意識だった私に。
ある日タイムウェーバー からこう告げられたことがありました。「あなたの好きな本の108ページを開いてご覧」
セッションが終わって、本棚に立ちます。
その中で手が伸びたのはこれでした。
並木良和さんの目醒めへのパスポート / ビオ・マガジン
108ページをどきどきしながらめくってみます。
すると・・・・
108ページ 第4章「今この瞬間にー時間は連続していない」
わかりやすいように107ページ〜109ページを抜粋しますね
「<一瞬一瞬は連続していない> 繰り返しますが、時間は連続して存在しているわけではありません。過去・現在・未来という直線的なつながりが存在するのではなく、今この瞬間に全ての時が存在しているのです。
ということはつながっていないため、毎瞬、毎瞬、真っさらでも良いということです。過去がこうだったから現在がこうなり、未来は必然的にこんな流れになる...などとつなげる必要はないのです。
映画は一つの流れが連続しているように見えますが、その元になっているフィルムはひとコマひとコマが独立して存在しています。それを回した時にまるでつながっているように見える訳です。
実は僕たちの現実も全く同じで、毎瞬は独立して存在しているのに、時間軸というイリュージョンにとらわれているため、まるでつながっているかのような体験をしているだけなのです。
僕自身、統合をしている最中に、自分の動きが高い視点から観えたことがあるのですが、上から観ると一連の流れの間に「わずかな隙間」があってひとつのフィルムに含まれる映像が少しずつ角度を変えて連なっていたのです。
つまりは毎瞬間はつながってなどなく、もし今この瞬間に波動を変えてしまえば、次の瞬間全く違うフィルムに飛びことも可能だとわかったのです。
実際多重人格者にまつわるこんな話が記録として残されています。例えばAさんという人格を表している時には身体に腫瘍が存在しているのですが、Bという人格に入れ替わった瞬間、CTを撮っても腫瘍は存在しないのです。そして、また、Cという人格になった瞬間、今度は風邪をひいているというように全くバラバラなのです。
僕たちは今まで時間は連続して存在していると教えられましたし、それも当然のように信じて「使って」きましたが、そろそろその使い方をやめても良いのかもしれません。なぜならその幻想がから抜け出した時、僕たちは「人生はいつでもやりなおすことができる」ことに本当に意味で気づき、力を取り戻すことになるからです。
だから「こんなことをしてしまったから、もうダメだ」とか「人生はお先真っ暗だ」などと決して諦めないでください。
その現実を創り出すのに使った周波数を捉えて手放すことで、その新しい展開が必ず視界に入ってくることになるのですから」
この108ページを読んで。
そしてバッチ博士の言葉を見て。
「私は今すぐに簡単に治っていいんだ」
と。深く深く納得をしたのです。
「自分が許可を与えたものを体験する」ということを私は大切にしていましたが「簡単に良くなっていい」ではなく「治療は難しい」「治療は時間がかかる」というということを許可していたように思えたのです。
「本当に、今すぐ、変わっていいんだ」
なぜなら、時間は連続していないから。
統合の筋力
このあたりから夜な夜な行なっていたエゴとの会話に終止符を打ち、新しいセッションの募集開始をしはじめました。
目醒めを決めた方が、つまり、自分を生きると決めた方々が自分に戻っていくそのサポートをするセッションです。
この頃よくセッションで出会っていたのは
「またこんな周波数でてきちゃいました」「この現実も自分がつくっているんです。(私が悪いんです、と自責ぎみに)」
というクライアントさん。
まるで少し前の私ですし、通ってきたからこそわかります。
「あなたが現実をつくっているのはそれはそうなんですけど、言葉をもっと足してみましょう」
「あなたが、というより、あなたの持ち物が、現実(ネガティブ)をつくっているんです」
「その持ち物は地球の周波数です」
「外すのはあなたが悪いからでもなく、未熟だからでもなく、劣っているからでもありません。あなたのものでは無いから外すんです。地球のものだから、外して地球に返すんです」
「外すためにでてきているので、そのことに良い、悪いはないですよ」
「全部魂が体験したくて借りた地球の周波数です」
「なので、ああ、今情けない気持ちになっているな。つまり、情けないという地球から借りた周波数を使っているな。ああ、今私悲しいんだな。つまり悲しいという地球から借りた周波数を使っているな、でいいんです。これに良い悪いはないので。ここを認めて、使っている、ということを受け入れると <外すものを確認できた>というニュートラルな意識状態となり、外していけます。」
「「外さなきゃ(悪いものだから)」「外すべき(未熟だから)」「外さなきゃ(私が悪いんでしょ)」ではないんです。地球から借りているものを持っていることを認め、受け入れ、許し、外すことを決める。そして統合する。」
「そこには自責も劣等もダメな私というジャッジもありません。」
この経験を通じて、自分なりに統合筋が鍛えられたのでしょうか。同じ言葉でもそこに含まれる情報は全く違うように私自身は感じていました。そして私から出る言葉は毎回、クライアントさんだけでなく私や私の臓器や細胞たちにも言い聞かせて伝えているような感覚がありました。
統合という美しい流れの中に身を置くということがどういうことなのか、さらに理解が深まっていきました。
そして、何よりも。セッションの時の私自身のあり方が変わってきたようにも感じました。
どんな状態のクライアントさんが目の前にいてもそこにジャッジが以前より湧いてこなくなりました。家庭の状況、パートナーシップの状況、仕事の状況、経済的な状況、身体の状況。ひとりひとりそれは色々な状況があります。
そのひとが今体験をしていることは。
どれもハイヤーセルフという雄大な意識そのもののその方が。とてもとても大切な魂の経験として計画をしてきた必要なプロセス。そしてその壮大な魂の計画は私からは決して計り知れない、計り知れるものではないということを今回の経験から思い知ったからです。(前は知らなかったからおこがましく人のことを色々言えてた 汗 )
壮大な魂の事情都合があるのです。それは魂のチャレンジです。
だからこそ放っておけます(理解した上で見守れます)相手の経験を。
そこを踏まえてセッションで相手(の魂)に最大限のリスペクトを持って、 接することが以前よりも濃度濃くやれている自分がいることが見えてきたのです。以前は「これは良くないこと」「こうすべき」つまり、眠りの制限意識から生み出されたジャッジが私の中に沢山あったことがわかりました。
こんなことも思いました。
以前の私なら知識として知っているので病気で悩んでいるひとに「病気は波動でしょ。」と軽く言い放っていたかもしれません。
「波動を変えたら外れていくでしょ」と。「大丈夫と思えば大丈夫」
そんなことは百も承知の上で、そうであることは120%わかった上で。それでも顔をあげることが難しかったこの私の経験が。怖さや不安が出てきた日々が。ああ、すごく今、セッションで役だっているなあ、と思えてくるようになりました。
こうして自分を認め赦していくプロセスで魂の計画を知っていったことで。相手にも壮大な魂の計画があり、そのための経験をしており、誰もそこはおかせない領域で同じく認め赦され愛されている存在なんだと腑に落ちていったことで。
少しずつ「私の病気の体験はもしかすると貴重だったのかもしれない」と思えるようになってきていました。
こうして相手の魂に敬意を払いながら濃度の濃いセッションをすることが私にとって何よりも歓びを感じられる時間となっていました。