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好奇心旺盛という看板はおろそうと思う

私がお風呂でシャンプーをしているときに、小さいハエトリグモが足を滑らして水浸しになって、排水溝に流れそうになっているのを見つけた。
水の滴る髪の隙間から見えた。
私はシャンプーを中断して、潰さないように摘んで、濡れないところに置いた。

私はハエトリグモに優しい。ハエトリグモは殺さない。
虫も殺さぬ〜云々とかではなくて、普通に蚊とかは殺す。
けどハエトリグモは殺さないというポリシーなのだ。
うちにいるハエトリグモというのは黒に白い模様の入った、分厚くて小さいクモで、巣を張らない。ジャンプ力がある。名前通り小蝿などを食べるので、Googleで調べると益虫だとされている。
だけど、利用価値があるから殺さないという話でもない。

私は小学生くらいの頃からずっと我が家のお風呂掃除係だ。かれこれ10年以上これを続けているということになる。

一度、お風呂を掃除しているときに縁に座ったハエトリグモに気付かず水をかけてしまい、流して殺してしまったことがあった。
その時のことが忘れられないのだ。

排水溝に吸い込まれる一瞬そのハエトリグモと目があった気がして、「あ、」と思ったときには遅かった。私は流水の中ハエトリグモを摘むことはできず、彼も何が何かわからない間に落ちてしまったのだろうと思う。
そのことがなぜかずっと胸の中に後悔として張り付いていて、ハエトリグモのことなんて見えないまま水をかけてしまった自分が、何かの寓話として残っている。

先日友人たちと自己分析をしていたときに、私の短所は何かと聞いた。
「人になにか言われても、あんまり変える気がない」と言われた。
「まぁそれも逆に私の個性というか、いいとこじゃん?」と言ったら、
「そういうとこだぞ」と言われて、ウケた。
確かに自分の考えことをしていたら人の話を聞き逃すことがあるし、興味の有無が周りから見て明らかなのだと思う。あとは、自分の中で一度論理が通っていたり良いことだと決めてしまったら、かなり頑固だと思う。

けど、この頑固さが自分を偏狭にしていることには気づいていて、ある程度直す努力はしているつもりで。
最近では大体の人は固有に面白くて、つまらなかったり理解できないほど不合理な人なんていないのだと気付けたことが自分の中で大きい。
けれど、私の場合その努力の方向がなんだか変な方向に向いているのかもしれず、結局興味のない物事にも目を向けて視野を広くする方法として、Twitterで自民党と立憲民主党両方のアカウントをフォローするくらいしか、バランスの取り方を知らないのかもしれない。
見えていないものの空白は、認識すらできない。

大学のZoom授業で、話したこともなかった子と2人きりで1時間弱話す日があった。その子はビデオオフだったけれど、声だけでもこんなに初対面の人に「私はあなたの話を聞いていますよ」っていう態度を出すことができるんだな、と感心した。ビデオをオンにしていた私は、自分の顔がぎこちなくはないか気になった。
その子は普段あまりニュースを見ないらしく、どういう話の流れだったか「興味がないことを知ろうとするためにはコストがいるよね」と言った。
通行料というか、エイッと壁を乗り越える体力。
その点で私はニュースなどをいっぱい見ていて偉いねと言ってくれたけど、私にだって見えていないものはいっぱいあるので、結局偏っているんだよねと話した。

この興味の偏りのせいで最近痛い目にあった。
とある放送局のインターンの面接で、普段どんなテレビを見るの?と聞かれて追及された。
私はテレビを普段あまり見ず、オンラインでのニュースサイトなども含めたマルチメディアとしてその放送局を捉えていたからそのインターンに申し込んだので、この一連の質問には面食らった。けれど、忍たま乱太郎と深夜アニメしか見ていない自分が悪いんだよな。
「他局は?」「バラエティとかでは何を見るの?」などと聞かれて答えきれず、ここ数年テレビをろくに見ていないことが普通にバレて、案の定落ちた。

つまり、好奇心が旺盛であることと多くの人があまり興味を持てないことが気になることは大きく異なっていて、自分ではできるだけ柔軟な視野を持っているつもりでも、生活の中で不意に殴られるみたいに、視野の狭窄を思い知る機会は訪れるのだ。
だから、自分の知らない領域を少しずつ自覚して知識を広げようとすることが好奇心旺盛ということなら私は相対的には好奇心旺盛な態度を持っているかもしれないけど、一方でそんな看板は恐れ多くてとても掲げられないという気になってくる。
ソクラテスだけは肯定してくれるかもしれないけれど、自らが無知であることすら知らない未だ広漠たる地平はギリシャよりも遠い。

濡れていたハエトリグモは、しばらく濡れないところに置いていたけど、何日も動かなかった。つついてみたら弱々しく動くのでギリギリ死んではいなかったけれど、餌を食べたり乾いたところに行く力もなさそうだったので、もう一度つまんで外に逃した。その後どうなったかは知らないけど、これはとりあえず私がクモを見えないところに追いやったということで、解決ではない。
クモの看病なんてしたことがないので、仕方ない、仕方ないけど、見えなくすることで物事を解決した風にしてしまうことのコストはなんだろう。

もう11月下旬になって、寒い。
就活も知らないうちに応募を締め切っていた企業なんかがあって、見つける度にやはり殴られた気持ちになってボコボコだけれど、全てをとりこぼさないようにすることはできない。
私の部屋の窓辺には、まだ扇風機があった。
部屋の真ん中にある扇風機が見えていなかったはずはないのに、完全に意識の外にあった。気づけていなかったのだなぁ。
これは扇風機があったことと季節が変わったこと、どちらが頭から抜けていたことになるのだろう。
コンセントが刺さったままの扇風機は、スイッチを押せばブーンと回った。

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ハナ
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