見出し画像

スペキュラティブ・デザインとは、なんだ?

もう2ヶ月近く前になるのだけど、大学院の授業「クリエイティブリーダーシップ特論」で、ちょっとした衝撃を受けました。ゲストは、アーティストの長谷川愛さん。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で学び、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの研究員として活動していた方です。

長谷川愛さんの表現手法は、スペキュラティブ・デザイン。スペキュラティブ・デザインとは、現実にはまだ起きてはいないけれども「起こってもおかしくない未来」を表現し、「商業的価値に根ざした」デザインではなく、社会に問題を問うデザインです。

かつてRCAの教員であり、スペキュラティブ・デザインを提唱するダン&レイビーの著書「スペキュラティヴ・デザイン」の日本版序文にはこう書かれています。

「Speculative」とは『批評的で議論を呼び起こすことを通じて、問題を発見し、問いを立てる。デザインを社会サービスにおけるメディアとして捉える。世界がどうなり得るのかを示すことで、その世界に自らを適合させていく。それは社会的に機能するフィクションであり、実現していない現実としてのもう一つの平行世界でもある。何かを作る側でなく、消費する側からの視点を暗示し、人をユーモアと共に挑発する。まさにコンセプチュアルなデザインであり、市民としての私たちに、倫理や権利について考えさせる力を持った表現である』

起こってもおかしくない未来

一体どういうことなのか・・・長谷川愛さんの作品を通して、感じてもらえたらと思います。

(Im)possible Babyは、女性同士のカップルの遺伝子を掛け合わせて生まれ得る子どもを3Dで描き、家族写真として提示した作品です。この作品について、長谷川さんは次のように解説しています。

女性から精子を、男性から卵子をつくれるのではないかと予想される内容のiPS細胞関連の研究論文が発表された。もはや同性間での子供の誕生が夢物語では無くなろうとしている。しかし技術的には可能でも倫理的に許されるのか、という議論を通過しなければ実現は難しい。一体誰がどの様に、その是非を決定するのだろうか?一部の医者や科学者か、それとも私達にその自由はあるのか。このプロジェクトは生命倫理と科学技術に対する決定を多くの人に解放する装置として、アートはどの様に関ることが出来るのか模索する試みでもある。

この子供達の”存在”に対してあなたは何を思うのだろうか?その議論の行方により、今は”impossible baby”だが、近い未来 i’m possible baby になるかもしれない。

データやカップルの写真などから造形や体質などを忠実に再現しています。つまり、現実にはまだ起きてはいないけれども「起こってもおかしくない未来」を描いています。目に見える形になることで、私たちはその未来を無視するわけにいかなくなる。よりリアルにその未来を感じることができるのです。そこに、スペキュラティブ・デザインの意味があります。

授業で紹介してくださった長谷川さんの作品は、家族や生殖をテーマにしたものが多く、その問いにハッとさせられました。言葉でなく、作品を通して鮮やかに社会に問いを投げかける長谷川さんに感動したのでした。(言葉で問い続ける、上野千鶴子さんも大好きですが。)

スプツニ子!さんとスペキュラティブ・デザイン

実はわたし、スプツニ子!さんのファンでして。上記の作品の解説を読んではじめて、長谷川愛さんの指導教官がスプツニ子!さんであることを知りました。

彼女も女性をテーマにした作品を多く発表しています。The Moonwalk Machineという作品では、月面にハイヒールの後を残すための、月面ローバーの試作機を開発。月面着陸したのは男性だけで、未だに月面着陸した女性はいないんです。月面に女性の足跡を残したい(女性がハイヒールを履くことについてはさまざまな議論があるけれど)、そんな悶々とした思いをポジティブに表現した作品なのです。

スプツニ子!さんの作品が、スペキュラティブ・デザインと呼ばれていることを初めて知りました(恥ずかしながら)。

スペキュラティブ・デザインの背景には、社会的、政治的、倫理的な諸問題があり、無自覚である私たちに切れ味よく問いかけてくるのです。その事実にはどんな意味があるのか、それについてどう考えるのか、どんな未来を作っていきたいのか。

スペキュラティブ・デザインがもたらすこと

スペキュラティブ・デザインをアートとして考えるのか、デザインとして考えるのか意見が分かれるところです。でも、「デザイン」と表現している理由があります(と思います)。ダン&レイビーは著書の中でこう述べています。

デザイナーの役割とは、みんなのために未来を定義することではない。倫理学者、政治学者、経済学者などの専門家と協力し、真に望ましい未来について全員で話し合うきかっけとなるような、幾通りもの未来を描くことだ。

問題意識を持つ分野は人によって異なれど、目指すものは「より望ましい未来」。自己表現を超えた社会への問いかけが必ず含まれている。そこがデザインと表現される所以なのではないでしょうか。

その事実にはどんな意味があるのか
それについてどう考えるのか
どんな未来を作っていきたいのか

スペキュラティブ・デザインの視点は、新しいものを生み出そうとするとき、社会を構成する一員として自らに問うべきものを教えてくれます。

さて、あなたが問いたいテーマはなんでしょうか?

追記

ダンの講演、日本語字幕つきです。


いいなと思ったら応援しよう!