春日鹿曼荼羅
古い宗教画の掛け軸に添花した際の記憶です
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過日、撮影の仕事で挿花を承った中の一つに
春日鹿曼荼羅の掛け軸のしつらいがありました。
春日鹿曼陀羅図 室町時代 東京国立博物館蔵
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
藤原氏の氏神を祭る春日大社に由来する「春日曼荼羅」は「神道における八百万の神々は、実は外国の様々な仏の仮の姿である」とする神仏習合の本地垂迹思想の出現によって、平安時代後期から多数制作されました。
現存品が多いので、美術館だけでなく時折仏教美術専門店や書画屋でも見掛けます。
その中でも春日鹿曼荼羅は、春日明神が常陸国鹿島から奈良へ影向する際に鹿の背に坐していたという伝説に発して、白鹿や神鏡、榊が描かれるのがお約束です。
藤原氏の始祖中臣鎌足は、父親が朝廷の命により鹿島神宮に祭祀として派遣された際に大伴夫人との間に産まれたという説もあり、春日大社が神の使いとして鹿を大事にしてきたのも今の奈良が鹿天国なのもそこに由来するのでしょう。
この春日鹿曼荼羅に限ったことでは無いのですが、掛け軸を床の間に掛ける際、時代や性格を考えずにしつらえることは出来ません。由来の有るものならばそれを考慮に入れ、軸に添ってより良い世界観を広げられる挿花でなければ、居心地の悪いトンチンカンな空間になるからです。
そういうことを無視して添え物飾り物程度の花をいれようとすると、そこそこ恰好の付くように入れることは出来るとは思いますが、作品の持つ精神性を鑑みずに「センスのようなもの」でやっつけようとすると、必ずどこかに違和感が出ます。
そしてそういうことは、わかる人には一目の元にわかってしまいます。
この挿花の際はモダンなコンクリートの無機質な空間で、具体的なイメージが依頼主にないとのことなので、いろいろと可能性を考えてみました。
室町の根来瓶子に樒…
それとも螺鈿の大柄杓に藤のつぼみ…
もしくは独鈷杵に定家蔓…
水晶の舎利塔に萌えいずる草の新芽…
亜字型花瓶に睡蓮の若葉…
候補を挙げるにも、自分の身の内にないものは捻り出すこともできません。財にも所有にもさほど頓着のない方ですが、手元にない器は使うこともできないので制約だらけです。このような時ばかりは身の程を知り苦しくもあり、普段の不勉強を反省するばかりです。
結局そのお軸に見合うような器を用意することは難しく、違和感なく空気を清めるために、良い枝ぶりの松にすがすがしい苧麻をきりりと結んだ一枝を置きいけしました。
試行錯誤した結果、何かを捜し当てられた時は救われた思いになります。
自分にとってそれはまぎれもない一つの答えなのですが、その答は無論一つではなく、空ける扉はまだまだ無限にあるのだとその度に思い知る次第です。
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