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「硫黄毒消し」とは?:双子を泣き止ませる魔法の薬?
↑TOP画像:Etsyサイトのキャプチャ
「帰ってきたメアリー・ポピンズ」第2章「ミス・アンドリューのヒバリ」の章に、ちょっとギョッとするセリフがでてきます。
ジョンとバーバラは泣き出しました。
「ちょっ! なんてしつけでしょう!」
と、ミス・アンドリューは叫びました。
「硫黄毒消し―― それを飲ませなきゃ!」
と、いいながら、メアリー・ポピンズのほうをむきました。
「しつけのいい子は、あんな泣きようはしません。硫黄毒消し。それもたっぷり。忘れるんじゃないよ」
ミス・アンドリューはバンクスさん(バンクス家の子どもたちの父)の子ども時代の子守役(ナニー)だった人物。バンクスさんは彼女のことを「すごもの」と呼び、なかなか強烈な人物だったことが伺えます。
挿絵も…威圧感アリアリの人物として描かれています。
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このミス・アンドリューが急にバンクス家に泊まりに来ることになり、大荷物でやってきました。家の前で子供たちと出会いましたが、彼女は双子のジョンとバーバラのほっぺをつまんで挨拶代わりとしたのです。
赤ん坊ですから、当然泣きだします。
ギャン泣きする双子にあきれ返ったミス・アンドリューは、メアリー・ポピンズに「硫黄毒消しをちゃんと飲ませなさい」と「指導」する…というシーンです。
はて、硫黄毒消しとは?
子供が泣き止むための薬なんでしょうか?
■日本での「毒消し」は吐き気や腹痛(便秘・下痢)の薬
日本で使われてきた「毒消し」と言う言葉は、中毒に陥った状態を解毒する「解毒剤」ではなく、吐き気がしたり、お腹が痛いとき(便秘や下痢)に用いる薬の事を指します。
調べてみると現在も販売されている毒消し薬(便秘薬)「越後毒消丸」には成分に硫黄が含まれています。
私にとって「毒消し」は「便秘薬」のイメージがありましたが、硫黄が使われている「毒消し薬」があることは知りませんでした。
本を読んだ時、「毒消し」にさらに「硫黄」がつく何らか(薬)をむずがる赤ちゃんに与える?というのがイメージできませんでした。1930年代のイギリスに、同じような「硫黄入りの毒消し」があったのでしょうか? 加え、同じような用途で使われる薬だったのでしょうか?
■原作では「Brimstone & Treacle(硫黄と糖蜜)」
英語の原本をみてみると、「Brimstone & Treacle」となっています。
「Brimstone(ブリムストーン)」は硫黄のことです。
「Treacle(トリークル)」は「糖蜜」のこと。
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イギリスで「糖蜜」と言えば、日本の黒蜜のように真っ黒な「ブラック・トリークル」が定番です。
10 delicious treacle recipes, from the classic tart to dumpling and gingerbread https://t.co/MJbjppjLh7 pic.twitter.com/aAv8gDajuX
— Global Issues Web (@globalissuesweb) January 26, 2021
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イギリスでは「硫黄と糖蜜をまぜたもの」は、医薬品がまだ一般的でなかった時代に「万能薬」として重宝された薬だったそうです。17世紀にはこのレシピは存在していました。日本同様、下痢、吐き気、腹痛に加え、痛みを抑えたり、感染症や熱、また肌の薬としても使われました。
そう言えば…40年前、私が子どもだった時に使っていた肌の薬にも硫黄が含有されていました。今思い出しました。
「万能薬」だったので、赤ちゃんに与えても良い薬とされていたのでしょう。つまりミス・アンドリューは、「かんのむし」の薬として「硫黄と糖蜜」を飲ませなさい、と言っていたのですね。
「かんのむし」=赤ちゃんや子どもが理由もなく強くぐずったり、キーキー泣いたり、夜泣きすること。
チャールズ・ディケンズの小説「ニコラス・ニクルビー」(1838-1839年)にも「硫黄と糖蜜」薬が登場しています。
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■なぜ「硫黄毒消し」と訳したのか?(推測)
翻訳者の林容吉氏が原文の「Brimstone & Treacle」をなぜ「硫黄と糖蜜」と訳さなかったのでしょうか?
「硫黄と糖蜜」と訳しても何のことか通じず、脚注が必要になります。しかし林氏は「硫黄と糖蜜」が日本の「毒消し」と同じ用途でも使われていたことを知っていたのでしょう。
考えた末、原文の「硫黄」を強調して「硫黄(が入った)毒消し」と訳としたのかもしれませんね。
日本語と英語、両方で「メアリー・ポピンズ」を読むと、林氏のすばらしい訳に感動します。「日本人にわかりやすいように」と心を砕いて訳を考えた形跡を読み取れます。そういった箇所を、このnoteでたくさん紹介したいです。
■過去のものとなった「万能薬」
現代のイギリスで、「硫黄と糖蜜」を「万能薬」として服用する人はいません。20世紀初頭には一般的に用いられていたようですが、戦後、医薬品が市民に出回るようになると淘汰されていったようです。
「帰ってきたメアリー・ポピンズ」の初版がイギリス発売されたのは1935年。もしかしたらジェーンやマイケル、双子たちが「硫黄と糖蜜」を「よくある『何にでも効く薬』」として飲んだ最後の子ども世代だったかもしれません。