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第127話 可哀想という言葉で知った事

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三重大学医学部附属病院消化管外科の病室ベッド、斜め向かいのお婆さんとの会話でした。
当時2009年5月で、お婆さんが私が透析歴17年以上と聞いて発した言葉が「可哀想」でした。

「世の中どうなっとんの?可哀想」
私は可哀想という言葉が大嫌いでした。この体と生きてきた誇りがあり、どんなに泣いても1晩経てば明るく笑って生きてきたから。
お婆さんの優しさから出た言葉なのにね。

何故か世の中は、自分と別の病気と知ると可哀想と思うようです。

私はお婆さんの言葉にブチ切れました。
「同情嫌いなんで!」
きっと同室の方々はドン引きだったかもしれません。お婆さんは自分の歳で何かの病気になる事は、理解と解釈が追い付いても特に歳が若い人には思ってしまう言葉なんでしょうね。

当時の私は笑って流す事が出来ませんでした。クローン病で8ヶ月以上外を歩けてないし、相当なストレスがかかっていて弁える(わきまえる)事ができず、毒舌になりました。

ニラの花
蒸し暑い日々に涼を見せてくれます。

この後で1人反省会です。
もう1人の私が喋ります。
(明日は自分の(お婆さん)手術だろ?!人の事よりそっちを考えたらどう?!)

またもう1人の私が喋ります。
(流せなくて情けないねー!心ちっさ!!言うにも他に言い方あるでしょ。30越えてるのに子供か?!お婆さん言われてどう思った??毒舌治せ!)

私は20代の頃から毒舌になっていました。特に医療従事者には本当の言葉が出てしまいます。甘えているんですね。

でも生きることの大変さを膀胱尿管逆流症で産まれ子供の頃から体感し、違う病気の子達も見て育ってきていて、可哀想と思ってきていません。どれだけ大変か手に取るように汲み取れるから。

生まれつき肛門の無い子、小腸が7cmしか無い子、男の子でも女の子でもある子、バラエティーに富んで見てきています。

大変そうであればあるほど「覚悟と度胸」を付けてきたのです。そう、次は私の番と知らず知らずに思っていた。
ハードな人生を自分で創り上げてきたわけです。
次はコレ、その次はコレ。見れば見るほど。

随分と想像力と創造力を鍛えたものです(笑)

反対をすればいいのにね。
そしたら人生イージーなのに!




経験は宝?!
もうそっちの経験値高すぎるよ。
自分の超最高の幸せって??
さぁ、練習♫練習♫
なるべくリアルに思い描いてごらん。

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