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第131話 10ヶ月の入院に終止符とクラクラ
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2009年6月21日
退院にこぎ着けました。
名古屋第二赤十字病院と三重大学医学部附属病院を梯子して入院した別荘生活は、10ヶ月ぶりに終わりました。
小腸からの人工肛門イレオストミーを造設手術して2ヶ月後でした。
退院前に病院食は2000kcalになっていて、華子太れ化計画が進行です。白米は160gから180gへ。
もりもり食べて35kgで退院したのを覚えています。
退院できてからの私生活は、驚きの連続でした。
血圧が低すぎるのです。
70台をユラユラ。
第2の心臓と言われる足の筋肉が無いのと、下痢が多すぎるからです。
![](https://assets.st-note.com/img/1724924331365-tNCBnj6rGw.jpg?width=1200)
アップで撮りました。黄色いのが花です。
布団を干してクラクラ、料理をしてクラクラ。
そして暑い!
その体で自転車をこぎ、電車に乗って透析に通うのはハードなリハビリとなりました。
自然と歩き方さえユラユラしています。
透析中の人工肛門から出てくる量も計測しないといけなくて、正確な体重を計るのに看護師さんに手をかけさせます。
透析自体も大変です。酸素をして、足を上げて。
1度だけ低すぎて三途の川を渡りかけました。
1時間記憶が無かったのです。
看護師さんも血圧測定し冷汗です。
「岸さん、大丈夫ですか?」
「岸さん、聞こえますか?」
(......…フワフワ気持ちいい感じ。)
「......…......…はぁ…ぃ…」
急いで血液を回収したらしいのですが、その後の記憶は無く目を開けたのは1時間後。
普通は100以下の血圧では、帰宅は許されません。透析に使う血管(シャント)が詰まるからです。かなり危ない橋を渡っている私生活です。
案の定、そんな日々でシャントが詰まり血栓除去手術になりました。
まだ退院して3週間。
未来が怖い。
自分の体に慣れるだけで精一杯なのに。
透析との兼ね合いは、難しいものでした。
透析中にストーマパウチから、便を出してもらうのも周りに臭いがして凄いストレス。
全室個室だったらいいのに。
通っている増子記念病院第1透析室は体育館の様で、カーテンも1部にしかありません。
どうしても気になります。
パウチ交換をしっかりマスターして退院おめでとう!
めっちゃ頑張ったね!
水族館でも行っておいで。
癒してあげてね。
パウチ交換してる最中に、平然とご飯を隣で食べられる妹がいて良かったねー。
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