第39話 先生と面接へ
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私は愛知県立大府養護学校高等部を卒業したら、名古屋の大原簿記専門学校へ行くことに決めました。
本当は発達心理学と哲学に興味を持っていましたが、この弱い体では、、、と色々1人で悩み、選択授業で簿記の勉強を少しできていたのと、透析で受けられない時があり中途半端なのも悔しく、行くことに決めたんです。事務仕事なら、体への負担は少ないでしょうしね。
先輩が大原簿記を卒業していたこともあり、推薦入学で書類と面接でした。
ある日、小川タカ子先生と大原簿記専門学校へ一緒に面接に行く事になりました。
面接では
「大丈夫だ!救急車を呼んだことあるし!」
と言われ
「大丈夫です。そんな事にはなりません。」
と負けん気の私。
その面接後に、小川タカ子先生が
「こーゆー時は、そこのトイレに行くのがいいのよ。本当の事がわかるから。」
とスタスタ女子トイレへ。(本当のこと??)
ついて行くと、中で煙草を吸っている女の子や少し雑然とした女子トイレを感じました。
廊下はザワザワ落ち着きません。
これが一般的なの??暗澹たる思いと覚悟しなきゃ!と思った日でした。
でも当たり前なんですよね。
養護学校は少人数。1クラスに7~8人。小学部から高等部までの全校生徒は、100人超えてたかな?
大原簿記専門学校は1000人を超えるマンモス校です。様々な人がいて、年頃の男女が静かにできるはずもないです。
内心、合格通知が来るまで不安でした。
それに、透析しながら資格を取れるのか?
健康な皆と同じようには出来ないのですから。
封筒が大原簿記専門学校から届き、恐る恐る開けて書類を出すと、ちゃんと合格通知。
行けるんだ。。私。
途端、晴れやかな顔になると同時に、国立療養所中部病院の小児科を退院して、地元に帰り家から大原簿記専門学校へ通う準備をしなくてはいけません。
先ず、透析病院を決めなければならず、主治医が病院リストを見せてくれて
「どれがいいか選んで。」
と言われました。
そのリストには病院名と透析ベッド数もあり、私が自分の血管が細くて苦労する事は目に見えていたので、ベッド数が多い病院を即座に選びました。
きっと私みたいに苦労してる人がいてくれるはず。何とかなって行く事を願って即決です。
人にプレゼントを選ぶ時は、2時間とか迷う私ですが、自分のことは即決(笑)
天秤のように希望と不安を持ち、綱渡りしながら養護学校の温室を出る準備は整いました。
あとは卒業式まで歩くだけ。
自分に直感力があるなんて思っていなくても、決めれるものだね。
きっと大丈夫!!
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