第42話 専門学校と透析へ
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大原簿記専門学校への登校が始まりました。早起きして、お弁当も作って持って行きまきた。
ギュウギュウの満員電車に乗って。
教室は4階だったと思います。1クラスに40人ほど。養護学校と大違いです。床は硬めの絨毯。
さぁ、端の人から順に自己紹介の始まりです。
「愛知県立大府養護学校から来ました、岸です。病気はありますが、皆さんについていけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。」
目線が来た。。。そうだよね、養護学校?!病気?!て思うよね(笑)
担任の先生は、私のフォローを用意していたようでしたが、必要無い自己紹介ができたようです。後は、私がなるべく休み無く通い続け、資格取得していくのみです。
え?!友達ですか?出来ましたけど、病気と私の心を理解してくれる事は、程遠いですよね。上滑りと言ったら良くないかもしれませんが、世間一般的な会話でしたね。
私の性格もひねくれていたしね(笑)どうせ分かってくれない!という心のひねくれ方です。
ここまで長々と語ってきた言葉を、理解してくれている皆様になら、ちゃんとした会話が成り立つと思いますが。何しろ医師を信じることも怖いのです。ひねくれ過ぎてて、簡単に心を開かないわけで。。人生の歴史が違いすぎるのも困ったものです。
そんな自己紹介などをやり過ごし、教科書や問題集などが配られました。それが、とんでもない量です。1.5cmくらいの厚さの問題集がドサドサ!大きなスポーツバックにたっぷり!持って帰る時に重くて背が縮むかと思いました。皆とお揃いの電卓も買いました。
この問題集、全部解くの?マジで??簿記1級~3級まで。
透析しながら?
マジで??
解いてる間に人生が終わりそう。
世間の荒波を感じ、透析を怨むこと数秒。
そして覚悟を決めました。
家に帰宅し、全てを3段ボックスに入れたらグッタリです。何気なく1級の問題集をペラリと見ると(、、、問題さえ何言ってるか理解できない。)
直ぐ閉じ、元に戻しました。
当たり前ですよね、養護学校での簿記は透析あって授業は穴だらけ。3級の資格試験は落ちていたんですから。
透析を受けている時間だって、人生の内ですけど無い人とでは差が大きい!これ、どうやって埋めるの?
養護学校て、優しかったね。
どこまでついていけるか、怖かったよね。
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