さなぎさんと僕

幼馴染がさなぎになってから三日が経った。僕の部屋の本棚にぴったりとくっついた彼女は、まだその場所を開放してくれそうにない。

彼女、早奈美と僕は生まれた時からの幼馴染である。縁の始まりは、僕の母さんと早奈美の母親が同じ産婦人科で仲良くなったところから。つまりちょっとだけ珍しい、生まれついての幼馴染ということだ。
初めて女の子がさなぎになるところを見たのも、早奈美が最初だった。
小学二年生の夏、夏休みの自由研究の虫とりを手伝ってもらおうと彼女の家に行ったら、
リビングに、窓の外に見える木々と同じくらい青々とした、大きなさなぎが横たわっているのを見せてもらったのである。
手を添えると、中でどくん、どくんとうごめいている様子が感じられ、その「生きている」という感覚に言いようのない恐怖感を抱いてしまったのを覚えている。

あの時は確か、殻を破るまで一週間ばかりかかっていた。夏休みももう後半という所で、僕はわくわくしながら虫かごと網を持って早奈美の家を訪ねた。
しかし玄関ドアから出てきた早奈美はなんだか雰囲気がだいぶ変わっていて、身長も僕を追い越してしまっていた。
それでも、一緒に虫取りに行こう、と誘うと、汚れるからやだ、とにべもなく断られてしまい、結局僕は夏休み明けに半分しか完成していない昆虫標本を提出した。
早奈美の方は母親と色とりどりのドライフラワーを作り、先生から優秀賞の金シールをもらっていた。去年は僕と同じ、オタマジャクシの観察記録だったのに。

そこまで思い出してから、僕はふと、部屋に居ついたさなぎの隣に腰を落とす。
無機質なさなぎは相変わらず何も語らず、ただそこにあるだけ。
大きさは、僕より少し大きい180センチメートル。僕の人生の中で何度となく目にしてきた早奈美の姿を、改めてまじまじと眺めていた。

思えば──高二の今に至るまで、早奈美はそれなりの回数をさなぎになって過ごしていた。。
小学五年、プール開きの前。小学六年、三月の春休み。中学二年、見学旅行、中学三年の秋。特に大変だったのは見学旅行だ。
一日目の夜にホテルで突然さなぎになってしまい、僕がその面倒を見ることになった。
バスに乗せてやったり、部屋まで運んだり。
自由時間中もずっとさなぎの隣についていた時は、流石に我ながら「何をしているんだろう」と思ったものだ。

初めて羽化の瞬間を見たのも、あの時だった。二日目の晩、緑色のさなぎをホテルの部屋に運び込んだ僕は、隣の部屋でトランプをしているらしい友達の騒ぎ声に耳を傾けながら、一人──いや、早奈美と二人で本を読んで過ごしていた。
物言わぬさなぎを相手に本を読んでいると、ふと、さなぎの背中にぴしりとヒビが入ったのを目にしたのである。
僕は大いに慌てた。どうしよう、何かしてしまったのだろうか。バスの中で揺らしたのがまずかったんだろうか。
いくつもの不安の種が心にしっかりと根を張り、目じりに涙さえ浮かべた。
逃げよう、と思ったのか、誰かに伝えなきゃ、と思ったのか、部屋を出るためにさなぎに背を向けようとした時である。
さなぎの中の裂け目から、霧雨を受けたように少しだけ濡れた早奈美が頭を出した。
彼女はゆっくりと身を起こすと下半身をさなぎの中に置いたまま、ぼんやりとした両目をうろうろと彷徨わせる。その目が僕の姿を捉えると、まるでさなぎの中からずっと見ていたかのように、にこり、と笑って。
「おはよう」
と、言うのである。早奈美が死んでしまうのではないかと思って半泣きになっていた僕の姿を、今でもたまにからかわれる。

そんなことがあってから、僕はさなぎについて改めて調べるようになった。
もう二度とあんな慌てぶりを見せたくない、というのが半分。もう半分は、本当に大変なことになってからでは遅いから。と思ったからだ。

一度早奈美に、さなぎの中で成長するときの感覚というのを聞いてみたことがある。
急激に体を成長させるのだから、僕はてっきり、激しい痛みを伴うものなのだと思っていた。
でも、実際はそんな事はないらしい。
さなぎの中で成長するということは、一度身体をどろどろに溶かし、新しい形に作り替えられるということなのだという。
それは羊水の中でゆっくりと成長する赤ちゃんの姿に似ていて、だから彼女は
「さなぎの中は、お母さんのおなかの中なんだよ」
と言っていた。

早奈美が僕の部屋でさなぎになったのは、本当に突然のことだった。
見学旅行の時のような例外はあるにしろ、それまで彼女はずっと自分の家でさなぎになっていたから。
まあ、考えてみればそれは当然の事でもある。もし僕が三日から一週間ほどまるで身動きの取れない状態になるとして、
乱暴な子供たちの集まる公園や、どんな人が通るかも分からない街中でさなぎになろうなんて気は起こらない。

だいたいは、本人が落ち着ける場所を自分で選んでさなぎになるものらしい。
たまに、学校の図書室や音楽室でさなぎになっている女子を見たこともある。だいたいは図書委員や吹奏楽部だ。
好きな本や音楽のそばからぴたりと動かずにずっと過ごしていられるのは、少し羨ましい。

早奈美の場合は、四日前の昼、唐突に僕の部屋に上がり込んできた。
テスト前なんかは部屋で一緒に勉強することもあるので今更どうこういう事もないが、
放課後、突然「あんたの部屋、行っていい?」なんて言われたときは無闇にどきどきさせられてしまった。

彼女は家に上がると、母さんに挨拶をし、部屋で漫画の単行本を三冊読み、
それから冷えた麦茶とポテトチップスを食べ、僕のセーブデータで一通りゲームを遊んだ後、
部屋をぐるぐると三周回り、視線をあちこちに飛ばして、
最後に本棚の脇を指さすと、「私、ここでさなぎになるから」
と言い、僕を部屋から追い出したのであった。

今こうして思い返せば、抗議のひとつもしていいような物言いである。しかし女子の「さなぎになる」ということに関しては聖域めいたものがあり、
咄嗟の反論も反対もできず、あれよあれよという間に僕はその日リビングで寝ることになった。

翌朝、部屋のドアを開けてみればそこに彼女の姿はなく、
彼女を再構築するさなぎが部屋にどんと立てかけられていた。というわけだ。

僕の部屋の本棚の脇にぴったりとくっついた、大きなさなぎ。
緑色の表面にそっと触れると、昔触れた時と同じ、どくん、どくんと何かが巡り、渦巻いているのを感じられた。
このつつけば割れてしまいそうな脆い殻の中では、今こうしている時も、
早奈美だったものがぐるぐると溶かされ、
そうしてまた、少し大人になった姿に組み替えられているのだろう。

……次に羽化したとき、彼女の頭の中に僕はいるんだろうか。
彼女がさなぎになるたび、僕はそんなことをいつも気にかける。

女子はさなぎから羽化するたび、身体や趣味が大きく変わる。
小学校の頃の虫取りの件もそうだったし、以前好きだったものがそうじゃなくなったり、
逆に今まで趣味じゃなかったものが好きになったり、色々な変化が現れる。

「男子はいつまでも子供だから」なんてクラスの女子は言うけれど、
男は女子みたいに羽化できないんだから仕方ないじゃないか。なんていつも心の中で思っていた。

最近の早奈美は特に、羽化するたびにどんどん大人っぽくなっていく。
小さなころの面影を残しながらも、僕らの高校生活の終わりをカウントダウンするみたいに、
彼女は羽化を繰り返し、そして──綺麗になっていく。

僕はふ、と立ち上がり、さなぎのてっぺんに額をくっつける。
夏休み、見学旅行、そして四日前。色んな彼女の姿を思い返しながら、
今回羽化したあとの彼女の姿を想像する。

これ以上、綺麗になる前に──

さっさとこの思いを伝えてしまおうか。と、
僕はひとり、恥ずかしい事を考えていた。