伊吹について、及び、最終話の悪夢について

伊吹の「ゆるさないから殺さない」という言葉はどうして生まれたのか。
また、志摩が止めたいと願った「最悪の事態」とは何を指すのか。
そして、あの悪夢は一体なんだったのか。
その3点についての、とある一個人の勝手な考察という名の感想文。

※DCネタバレなし

※公式本未読


ここ最近、ずっと伊吹について考えていた。
あの悪夢を経た上で、彼は「ゆるさないから殺さない」という答えにたどり着いた。
だが、悪夢の前まで「刑事である自分を捨ててもおれはゆるさない」と言っていた伊吹が、どのような過程を経てその結論にたどり着いたのか、私にはわからなかった。
志摩の「そんな楽させてたまるか。生きて、俺たちとここで苦しめ」という言葉に、伊吹は同意を示した。だが、この発言は「罪を背負いながら生きていくことはとても苦しい、いっそ死の方が楽である」という考えがなくては出てこない。
相棒殺しの罪を背負い死にたがっていた志摩とは違い、これまで伊吹には自身の生を疎む描写はなかった。
では、伊吹はいったい、いつ、何を通じて、そのように思うようになったのか。
伊吹はいつ、何の罪を背負ったのか。

その答えを探しているうちに、ふと思いついた。
ひょっとして、答えはあの悪夢の世界にあるのではないかと。
あの悪夢の中で伊吹は罪を背負い、その重さに耐えきれず、自死を選んだのではないだろうか、と。
それが積極的な自殺だったのか、クズミの仲間に無抵抗で殺されるという形だったのかまではわからない。だが、あの絶望の夜の底で、伊吹は自身の死を望んだのではないだろうか、と。

悪夢について語る前に、まずは伊吹自身について少し話したい。

もともと伊吹には、自分自身を大切にすることができない危うさがある。
1話で伊吹は、煽り運転する車を強引に止めた。煽り運転の常習者を止めなければという正義感と、おばあさんが転ばされたことへの怒りから危険な行動をした。自分自身の身体や評価に傷がつくことなど全く顧みずに。
普段わたしたちはルールを、常識を規則を法律を守って暮らしている。だが、それは利他心や倫理観だけが理由じゃない。私たち自身を守るためだ。赤信号で渡ればはねられる。犯罪を犯せば学校や会社や家庭で居場所を失う。ルールを守ることで、私たちは私たち自身をも守っている。
だけれど、伊吹からはそうした自己保身をまったく感じられない。だからこそ危なっかしく、衝動的で、予想がつかない。

なぜ、伊吹は自分自身を大切にできないのか。
それは、彼がずっと周囲から否定されてきたからだ。だれにも大切にしてもらえなかったからだ。
冒頭で一瞬だけ写った書類には、あちこちの部署を1年程度でたらい回しにされた挙句10年も奥多摩に押し込められた経歴が書かれていた。
憧れの刑事になったのに、誰からも無能だ、不要だと蔑まれる青年期を、伊吹は過ごしてきた。
その前の少年期も、だれからも信じてもらえず、疑われながら過ごしてきた。
幼少期も、両親や実家への言及がないことや、茨城県警のガマさんに憧れたはずなのに高校卒業と同時に家を出て東京に行ったこと等から推察すると、あまり幸せだったとは思えない。
おそらく、伊吹はずっと、家庭でも学校でも職場でも、周囲から否定されながら生きてきた。
お前は無能だ、信じられない、お前なんていらない、と言われながら生きてきた。

そんな伊吹にとって、自分を信じてくれたガマさんや志摩の存在は、おそらくとても大きい。
だけれど物語の後半で、伊吹はその二人からも「お前の存在などどうだっていい、いらない」と言われてしまう。

ガマさんは言った、「お前にできることは何もなかった」と。
伊吹がガマさんに「俺はいつならガマさんを止められたのか、どうすればよかったのか」と尋ねたとき、私は最初、事故当時に業務繁忙のためガマさんのそばにいられなかったことを悔やんでいるのかと思った。
だが、違う。ガマさんが事故に遭ったのは4月。復讐殺人をしたのはおそらく8月。
ガマさんは、妻を殺された記憶が蘇ってすぐに復讐殺人をしたわけではない。止められる時間的猶予は、チャンスはきっとあった。
そして、伊吹はコンビニ強盗事件があった6月に、ガマさんと会っている。その際、伊吹は「自分が刑事になったのはガマさんがいたからだ、自分の師匠は後にも先にもガマさんだけだ」と伝えている。
間に合わなかったわけじゃない。何もしなかったわけじゃない。
それでも伊吹は、ガマさんを止められなかった。救えなかった。
伊吹にとってガマさんは大切な恩人で恩師だったとしても、ガマさんにとって伊吹は救ってきた多くのうちの一人に過ぎず、踏み止まる理由になれるほどの重さを持つ存在ではなかった。妻の死の前では、伊吹の存在など、どうだってよかった。

ガマさんの件で深く傷ついた伊吹の手を、志摩は掴んだ。暗い夜の底から引っ張り上げた。その後も伊吹を見守り、支え、信じてくれた。伊吹が一番辛かったときに、そばにいたのは志摩だった。
なのに、その志摩からも伊吹は否定される。
「お前の判断に乗っかったせいでクズミを取り逃した。そのせいで陣馬さんは目覚めない。お前を信じるんじゃなかった。奥多摩へ帰れ。お前などいらない」と言われる。
もちろん志摩はこんな表現はしていないし、志摩はただ「相棒殺し」の自分から遠ざけることで伊吹を守ろうとしていただけだ。だけれど、志摩が断片的に言った言葉をつなぎ合わせたとき、伊吹にはこのように聞こえたのではないだろうか。だから志摩に言うのだ「自分のことなど、もうどうだっていいよな」と。

ずっと「いらない」と否定されて生きてきて、唯一肯定してくれた恩師と相棒からも「いらない」と言われる。
それは、どれほどの痛みを、伊吹にもたらしただろう。
悪夢の中でクズミは語る。「お前は一人でここにきた。ずっとひとりだ」と。それは、伊吹がこれまでの人生で抱えてきた痛みだ。伊吹の傷だ。
だが、それだけでは、伊吹は死を望まない。絶望はしない。なぜならそれは傷ではあっても
罪ではないから。

だけれど、悪夢の中で、伊吹は二つの罪を背負ってしまう。
「相棒殺し」と「処刑人」という二つの罪を。

クズミは語る。「お前はクズのままだ。だから失くすのだ。こうなったのはお前がしでかした結果だ」と。
その指の先では、志摩が血だらけで倒れていた。自分が軽率に行動したせいで、志摩は誘き出され、殺された。
クズミは語る。「刑事でいたいのだったら(自分を殺さず逮捕しろ)」と。
だが、志摩を喪った伊吹はクズミをゆるすことが出来ず、殺してしまった。逮捕とは、贖罪の機会を与えることだ。更生の機会を与えることだ。だけれど、伊吹はゆるせなかった。刑事である自分を捨てても、ゆるせなかった。

「相棒殺し」は志摩が、「処刑人」はガマさんが、それぞれ現実世界で背負った罪だ。
志摩はずっと相棒殺しの過去に苦しみ、死にたがっていた。バスジャックのときは、拳銃を額に押し当て、暗い瞳で笑った。陣馬さんの一件で自分の根底にはまだかつて、相棒を死に追いやった傲慢で自分勝手な自己があると気付いてからは、ルールも守らず、いっそ自暴自棄とも呼べるような状態になっていた。
ガマさんは逮捕される際「早く死刑にしてくれ」と言った。その後も伊吹からの面会も差し入れも拒絶する。彼はもう覚悟を決めている。死ぬ覚悟を。
1つの罪だけで、十分すぎるほど重い。背負いながら苦しんで生きることよりも死を望むほどに。
では、一度に2つの罪を、たったひとりで背負ってしまった伊吹は、どうなったのか。

志摩には桔梗さんや陣馬さんがいた。ガマさんには自分が担当している技能実習生や伊吹がいた。だから、死を望みつつも、自殺することはなかった。
だけれど、伊吹には誰もいない。
ガマさんにはもう自分の声は届かない。自分はガマさんをとめることはできなかったから。
桔梗さんと九ちゃんは異動した。陣馬さんは目覚めない。自分がクズミの嘘を見破れず、判断を間違えたから。
そして、志摩ももう、いない。
以前自分が暗闇で蹲み込んで立てなくなったときに、手をひいて引っ張り上げてくれた志摩は、もういない。どんなときだって自分が呼び掛ければ必ず応えてくれた相棒は、もう返事を返さない。
だって、自分が殺してしまったから。

ずっと「お前なんていらない」と言われて生きてきた。自分でも、自分をクズだと思っていた。
ようやく自分を信じてくれる人と出会った。変わりたいと思った。
だけど、その人たちにも「いらない」と手を振り解かれた。
そばにいてくれる人は誰もいなくて。やっぱり自分は、ひとりで。
それはすべて、自分がクズだったからだ。

だから、相棒は死んでしまった。
自分も人を殺してしまった。
どんなに自分を大事にできなくても、刑事としての自分だけは、大事にしていたのに。志摩も止めてくれたのに。それも捨ててしまった。

もう、全部全部なくなってしまって。
周りは真っ暗な海で、手の中には拳銃があって。

そう想像した時に、それでも伊吹が生きていけるとは、私にはどうしても思えなかった。

あの悪夢の世界で。あの暗い夜の中、伊吹は沈んで行ったんだろう。
深い海の底へ、犯した罪の重さに耐えられずに。


ここまで考えると同時に、ふと、ああそうだったのか、と思った。
志摩が止めたいと願った「最悪の事態」とは、このことだったのか、と。

以前、志摩が発砲する悪夢の前半部分について、あれは志摩にとっては希望で、救いだったんじゃないかという考察を書いた(2020/9/6(日) 23:01 @ksnmjlove )
銃声を聞けば伊吹は起きる。たとえ自分は殺されるのだとしても、その死が相棒を罪に追いやるのだとしても、伊吹は生き残る。生きてさえいれば、たとえ刑事じゃなくてもやり直せる。生きていれば何回でも勝つチャンスがある。相棒殺しの自分からは変われなかったけれど、でも、今度は相棒の命だけは救って見せる。最後に、ひとつだけ。そう思ったから志摩は笑って引き金を引いたのだろう、と。

この考察を書いたのは最終回の2日後だったが、基本的には今でも私はこう思っている。
(※あくまで私個人はそう思っているというだけで、私の考えが正しいと言いたいわけではない。違う考えだって当然あるだろうし、それを否定するつもりは毛頭ない)

だが、そうするとその後の志摩の台詞(ナレーション)で、志摩が止めたいと、変えたいと願った「最悪の事態」とは何を指すのだろうかと、ずっと考えていた。

発砲の時点で、志摩は自分の死も、伊吹が刑事でなくなることも想定していた。
ならばそれは最悪の事態ではあり得ない。たしかに志摩は「殺すな」と伊吹を止めようとしたけれど、伊吹がたとえクズミを殺したとしても、伊吹さえ生きていてくれるなら、「仕方ないか」と、きっと止められなかった己の力不足を少し自嘲しながらも「まあ、いいか」と、眠りについただろう。

だけれど。
その伊吹が死を望んだら。
絶望の中で、たったひとりで泣きながら、死んでいったら。
それを、先に死んだ自分はただ見ていることしかできなかったら。

どれほど、無念だっただろう。
後悔しただろう。

だからこそ、志摩は願った。願うことが、できた。
「こんな最悪の事態になるまえに、とめたい」と。

大切な相棒が、自分と同じ、いや、自分以上に重い罪を背負って、苦しんで、泣いていて。
泣きながら、自分を呼んでいて。それなのに、自分は応えることができなくて。
たとえ、志摩は傲慢で身勝手な自分自身のことが嫌いで、変わろうとしたのに変われなくて、もう生きるのに疲れていたのだとしても。自分よりもっと伊吹にはふさわしい相棒がいるんじゃないかと、自分は伊吹の相棒としてふさわしくないんじゃないかと思ったのだとしても。
それでも、目の前で伊吹が、泣きながら自分の名前を呼ぶから。自分のことを「相棒」と呼ぶから。

応えたいと、願ったんじゃないだろうか。
そして、後悔したんじゃないだろうか。

ひとりでやろうとしたことを。
伊吹を遠ざけたことを。
生きるのに疲れ、死を受け入れたことを。
だから、悪夢から目覚めた先で、伊吹に謝った。
「悪かった、ひとりでやろうとして。俺がバカだった」と。

あの悪夢の世界で、志摩は伊吹さえ助かるならと、笑って引き金を引いた。
だけれど、志摩を喪ったせいで、伊吹は「相棒殺し」と「処刑人」の二つの罪を背負い、その重さに耐えきれず、絶望の中一人きりで死んだ。
だから、志摩は願った。
「最悪の事態になる前に、とめたい」と。
だから、志摩は伊吹に謝った。
「俺がバカだった。ひとりでやろうとして、お前をひとりにして、悪かった」と。

これは単なる想像だが、きっと、あの悪夢は、ふたりで見ていたのだろうと思う。
あの悪夢の中で行動し発言しているのは間違いなくその人自身だ。
いくら相棒だとしても本人でないと知り得ないほど、その人の抱える弱さについて語っているから。
だけれど、きっと、あの夢の世界で起きたことは、すべて知覚している。
二人の夢が、交錯し、共有されている。
二人の名前は、虚数のiに由来すると聞いた。
ひとつずつでは一に満たない数。存在しない数。
そのiは、二乗すると−1になる。
あの悪夢は、存在しない、けれど存在し得たかもしれない未来で。
だけれど、ふたりだったから。ふたりで見た夢で、交錯していたから。
ひとつ、前に戻れる。
夜の前、昼の時間へ、戻れる。
やり直せる。間に合う。
あの悪夢は、そんな奇跡でもあったんじゃないかと、思った。