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私の決意

このNoteの目的

こんにちは。このページを開いてくださり、ありがとうございます。ようやく、Noteを始めだけの腹を括ることができました。今日はそのきっかけとなった出来事を整理したいと思っています。

原体験

私は自分が考えていること・好きなことに自信がなく、まして発信することなんてできない。そう思い続けてきました。それは、今まで色々な人に否定されてきたからです。自分はどこか、「ふつう」にはなれない。「変」である。そんなことを発信したら、変に思われてしまう。そう考えてきました。

人に「変」と思われること。
それは何より自分にとって怖いことでした。
今まで取り繕ってきた「ふつう」の枠組みを自ら壊し、開示していく。それが怖かった。

本心・自分の理想

でも、本当は、こんな自分。こんな変な考えや好きなことを、認められたい。「おもしろいやん。」と思われたい。自分の中にあるものを、今まで価値がないと否定してきた人たちに、「そこで価値がないと判断したのもったいなかったな」、「もっと価値があるものだったかもしれない。」と思わせたい。徹底的な卑下の下には、ドロドロとした、不満と欲望が潜んでいることがわかりました。


決意のきっかけ

最初は、自分の今自信を持てていない考えや好きに対し、誇りを持つことが必要なのではないか、と考えました。でも、それでは誰かに自分の思いを否定された時に、その誇りを自分はまだ、簡単に捨ててしまう可能性があるし、その誇りを持ち続けられる覚悟はないな。と思いました。

じゃあなんで持ち「つづけられない」のか。自分の課題は誇りを持つ前に、「キモい」という言葉で楽に片付けてきた。そこがまず原因だと思いました。そして、それを回避するために、楽な言葉で向き合うことから逃げていた自分の考えや好きを、なにより自分が認めてあげることが必要なんだと気づきました。ドロドロとした本心を持つ自分も、人に変と思われることが怖い自分も、簡単に「キモい」という言葉で逃げてしまう自分も、全て自分である。その認識が必要でした。

結論

そこで、私は「キモい」という簡単な言葉で片付けてきた自分の考えや好きを、認め、誇りを持つこと。そして、それを発信することで、「おもしろいやん。」と思われたい。自分の中にあるものを、今まで価値がないと否定してきた人たちに、「そこで価値がないと判断したのもったいなかったな」、「もっと価値があるものだったかもしれない。」と思わせたい。そう決意しました。

いままで自分の中でしか見ることのできないアプリで、宛先のない何かを紡ぎ続けていた自分から、それを発信していく自分になる。その発信をこのNoteの場で行っていきたいです。


長々と読んでいただきありがとうございました。ここが私の初めての発信の場です。よろしくお願いします。

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