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夏祭りへの不向きさ

私は夏祭りというものに行ったことがない。

こう書くと自分の中に人間として必要な何かが、私の中に組み込まれていない気がしてくる。今まで、夏祭りに行ったことがないことなんて気にしてなかった。でも、一旦気になったら考え込んでしまう。そんな性格なもので。ちょっと考えてみた。

自発性

こう書いたが、花火大会には、去年、バンクーバーで初めて参加することができた。確か、毎年バンクーバーで国別対抗花火フェスティバル。みたいなものが開催されている。って感じだった気がする。いつだって参加しようと思えばできる。行こうと思えば行けなくはない日本の花火大会や夏祭りとは違って、もう二度と来ないかもしれない。そう思ったら、1人でも行こうと思えた。(結局留学仲間を見つけて複数人で行ったが)
結局、今まで自分から行動しない理由を、人の邪魔になったら申し訳ない。人が本当に行きたいわけじゃないのに誘ったら申し訳ない。という気を遣うフリをして、傷つくことから逃げていた臆病な自分がいただけだった。

誘われ待ち

誘われたい。誰かからの想いを誘われることで確かめる。誘われなかったら、その子にとって、私は一番じゃない。そんなふうにずっと考えてた。所詮私は誰からも求められない。誰にとっての大切な人でもない。そうハードルを下げておけば、過度に期待して、その期待に応えてもらえなかった時、ショックを受けることがなくなるから。でも、結局自分から動かない人間は、何もしてもらえないのは当たり前で。結局傷つくことから逃げているだけだった。

適性のなさ

私は人混みが苦手だ。そこに気づくのに随分と時間がかかった。その中でなるべく息を吸って生きるための対策に気づくのにはもっと。いつだって、何か大きなイベントごとに参加するたびに疲れる自分は、ダメな人間だと思っていた。なんでみんなはこんなにも楽しそうなのに、自分は全然楽しくないんだろう。なんで疲れてるんだろう。まだ何もしてないのに。そうやって、何度もダメな自分と向き合って、頑張って取り繕って、頑張って、また疲れて。そんな過程を乗り越えて、やっと息のしやすさを少しずつ覚えてきた。

久々に撮りたいと思えた景色


つらつらと原因と思われることを書いてみたけど、結局こういうことの原因って、逃げてきた自分と向き合うことだから、しんどさが軽減されるわけではない。逃げるきっかけを作った、自分の生きづらさの根源も徐々に形を帯びてきた今日この頃なんですけれども笑まぁ、それは、次のnoteがあればその時にぜひ。

最後まで読んでくださりありがとうございました。また気になったら遊びに来てください。

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