見出し画像

英語を習いはじめる前に必ず知っておきたいこと

「幼い頃にやればすぐに身につく」?

私がハナハウスを始めた10年前はまだ、0歳から通える英語教室というのはほとんど存在していませんでした。今でこそ珍しくなくなりましたが、0歳から日本語で英語で育児をしようという考えの私たちは、その頃はまだ英語教育界の中でも異端児的存在でした。ところが2018年に小学校3年生の授業に外国語活動が含まれるようになると世論は大きく変わり、今では「小学校に入るまでになんとか英語好きにしたい!」「小学校に入ってから楽しく英語を勉強できるようにできるだけ幼い頃から英語に触れておこう」と、幼稚園あるいは幼稚園前から英語を習わせようと考えるご家庭は増え続けています。

ひと昔前までは「幼い頃から習えば、子供は魔法のように言語を覚える」、そう思われていました。しかし実際に英語教室に通ってみると、どうも訳が違う。毎週休まず通っているのに我が子は一向に話すようにならない。一体どれだけ続ければ話せるようになるの?結果の見えない「英語教育」という世界に親は少しづつストレスを感じ始めるようになります。

「幼稚園生の時英語教室に通っていたけれど、小学生になったら忙しくなってやめてしまって。結局幼稚園の間3年も通ったのに英語は全部消えてしまった。幼児期の英語教育って意味ないものだって知ったわ。」

こんな話を皆さんも1度か2度は聞いたことがあるのではないでしょうか。


「英語が話せるようになる」の大きな誤解


ここには、考えなければならない2つの重要な点があります。

① 幼い頃から始めれば「すぐに」英語が話せるようになるということ
② 英語が「話せるようになる」ことの意味

幼い子供の記憶力は大人の私たちのそれに比べ驚くほど柔軟で、スポンジのように吸収していきます。しかし言語を習得するには場合、どれだけ柔軟な脳であっても、それでも相当な量のインプットが必要になります。

よく、バイリンガルになるには2000時間のインプットが必要、と言われます。これは現地校に通う子供たちがどれくらいの授業数を受けたら現地の事と遜色ないある理解ができるようになるか、という調査を行なった時に出た数字であり、そもそも日本で英語を勉強するということが前提になってはいません。現地校の授業の質と、日本の英語教室の中で使われる英語は、内容も質も密度も大きく異なります。そのため、その数字を「日本で、週に1度英語教室の英語に触れる」という条件に当てはめて同じ結果が得られると考える適切ではありません。現地校の密度の濃い授業で2000時間かかるとしたら、同じ結果を得ようとする場合、日本ではその何倍、何十倍もかかるでしょう。

ですが、私たちが望んでいるのはネイティブになることでははく、第二言語としてある程度の自由さをもって英語を話せるようになりたい、その程度の願いです。そうした観点で考えると、この「2000時間」という数字は赤ちゃんが0歳の間に聞く母国語の量と相似しており、これだけの量を聞いた赤ちゃんは1歳を過ぎた頃から非常によく母親の話す内容を理解できるようになります。

また私のこれまでの10年で2000名の子供の英語教育に直接関わってきた経験から言うと、1500~2000時間を過ぎたあたりから教室で使われる英語(レッスンで使われる英語だけでなく先生の冗談や小話を含め)は大きな問題なくわかるようになります。同時に文法を習っていなくても母国語習得の時に行うのと同じように、いくつかの単語を並べて自力で文章を組み立て始める姿が見られるようになります。これらの経験から私の中でこの「2000時間」という数字は、<英語を自分の第二言語と言えるようになるための必要最低限な量>と位置付けています。


英語のレッスン、いつから、どれだけ受ければいいの?

では、その2000時間というのは一体どれくらいすれば達成できるのでしょうか。考えてみましょう。

週に1度60分のレッスンを受ける場合、およそ40年かかります。
週に2度に増やすと20年、
週に1度のレッスンを90分にするとおよろ27年、
週に2度90分のレッスンを継続できれば13~14年、となります。

つまり、0歳から週に2度90分のレッスンを受けても、先生の話が分かるようになり、簡単な応答ができるようになるのは中学生になってから。それくらい恐ろしく時間のかかる作業なのです。

しかし実際には、幼稚園になると習い事で忙しくなり、小学生になると学校に通うだけでも精一杯。英語だけで週2というのは現実に難しくなります。さらに高学年にもなれば中学受験や学校の勉強でもう、「英語どころではない」。そうして結局何年やっても2000時間なるものは達成できず、年が上がるにつれ気持ち悪さが募り、挫折してしまうと言うケースが続出してしまうのです。


鍵は家庭生活にある

幼いうちから初めても「意味がなかった」と結論づけてしまう人が後を絶たないのはこうした前知識を持たないためです。

ですから私は、私の教室を訪れる方には、英語習得にはこれだけ長い時間がかかることを前提にした上で、それを少しでも短くできるように、子供が1日も早く英語を楽しむようになり、英語で活動・学びができるようになるために、できるだけ幼いうちから、ご家庭の中に英語を取り入れるというやり方をお勧めしています。

例えばまだ生活に余裕のある0~3歳であれば、テレビを英語にしたり、絵本の読み聞かせに英語を取り入れたり、あるいはママが少しの英語で話しかけるなど、ちょっとした工夫で1日1時間は英語に触れることができるでしょう。それができれば2000時間はおよそ5年で達成できます。

私は自分の娘にはこのやり方を採用し、2人の娘を育ててきました。上の子は6歳の時に特に何の準備もなく、英検の準2級に合格しています。もちろん英検というのはテーマが非日常的であったり、子供の日常生活に必要な英語が使われている訳ではないので生活力としての英語力を直接示すものではありません。たとえ準2級とはいえ、日常の会話力という意味で言えばネイティブの3歳児の英語力にも追いつかない程度でしょう。

だから、1歳でも早く

仮に毎日1時間の英語の時間を確保できるとして、1歳から始めれば小学校入学前にある程度英語で活動を楽しめるくらいの英語力が身につくようになります。しかしこれが幼稚園に入園する4歳であれば、そもそも1日に1時間を英語に割くということ自体が難しい。

朝起きて急いでご飯を食べさせて幼稚園に送り、お迎えの後は皆で公園に行き、そのまま習い事に移動して、帰宅後は子供も親も疲れて楽しく絵本を読む余力もなくドタバタを夕食を作り、食べさせ、バタンキュー。そんな生活になります。

小学生になると、そもそも帰宅が遅い。お友達とおしゃべりしなが帰って来れば低学年も帰宅は15〜15時半頃。ちょっとおやつを食べたらすぐ学校の宿題と習い事の宿題。行き着く間も無く習い事に送り、帰宅後はご飯を食べてお風呂に入ったらもう寝る時間。

加えて共働きの家庭に至っては、保育園に迎えに行ってから寝るまではまるで戦争。英語なんて余裕のあること、言ってられない。という方が99%でしょう。(私も長女が生まれてから起業し、最初の3年は保育園の力を借りて事業を継続してきたので、その例に漏れません)。

ですから、「自分の意思でやりたいと言う年齢」を待っていては、ほぼほぼこの2000時間など達成することはできないのです。

学校の英語じゃダメなのか?

2018年からは外国語活動として、2020年からは教科としての英語が始まります。「学校の勉強だけでは足りないの?」多くの方が思われるでしょう。

もう一度計算してみましょう。

週に2時間、45分の英語時間の確保されるようになります。先生の英語力と質は一旦置いておいて、数字だけで考えると、2000時間が達成するには33年かかります。

思い出してください。親である皆さんもこれまで中学、高校、あるいは大学、あるいは社会人になってからどれだけ英語を「勉強」したでしょう。どれだけのお金をつぎ込んだでしょう。そしてそれだけの勉強で一体どれだけの人がどれだけ英語を「話せる」と言えるようになったのでしょう。

小学校のわずか2年間前倒しして、週に90分の英語に触れたとしてもその総量はおよそ100~120時間程度にしかなりません。例えばネイティブの家庭に生まれた子供がが1日に大人や友達の英語を8時間聞いているとしたら、100~120時間と言うのはわずか2週間程度の量にしかなりません。2週間現地留学して改革的な英語力が得られるなどと思う人はいないでしょう。

そもそも日本の英語教育は他国に比べ、圧倒的にそれにつぎ込む時間が少なく、前倒しは悪いことでは決してありませんが、たとえ小学校から始まったとしても夢のような英語教育改革が実現できると言うのは少々楽観的すぎると言うのは多くの見識者の考えです。

結論

結論として言えることは、言語習得というのは非常に時間がかかるものであり、数年触れたからぺらぺらと話せるようになるものではないということ。ですから少しでも早いうちから触れさせ、耳を慣らし、親もそうした生活の中で育児をすることで親子の生活にわずかでも英語を入れ易くし、途中生活スタイルの変化の中でも諦めずに使い続けることが成功の鍵になります。

「小学生になったから英語は学校で」というようなものでもなく
「中学生になったから、英検に特化した勉強を」というものでも、
「高校生になったらから、大学受験に特化した勉強を」というものでもなく、

人生を通して使い続け、学び続ける。

細々とでも一生かけて「使い」続け、磨き続け、そうしてようやく初めて自信を持って「英語が話せる」という姿になる。公用語も学校の授業も全て日本語であるこの社会が変わらない限り、「英語を習う」というのは、そんな長く壮大な挑戦なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?