共感が全てではない
共感。人間関係おいて、共感することが大事である。私はずっとそう思ってきた。
ただ、ある出来事をきっかけに、共感が全てではない。自分の思ったことを伝えること、それで相手が救われることもあることを知った。そう知ってから、私は相手の言葉を傾聴し、一旦は受け入れるが、自分の意見を言うことを心がけている。
その出来事とは。。。
私は、以前までは、辛いことがあると、いつも、「お兄ちゃん(亡き兄)に会いたい」という言葉が脳裏をよぎり、言葉にしていた。
家族や友達にそう伝えると、「そうなんだね。」と共感の言葉掛けをしてくれる人ばかり。だけど、ある人は違った。叱ってくれた。
「今生きている人を見なよ」「あなたの周りにはたくさんの支えてくれる人がいるでしょ?」
そこで、ハッとした。ずっと兄にすがり、兄が一番の理解者である。そう思ってきたけど、確かに、会いたい人・助けてと言えば助けてくれる人がたくさんいた。自分の足で旅をして、沢山の人に会いに行き心から実感した。
また、お兄ちゃんとの関係は、自分の中で自分と対話するために居てくれたんだと気づいた。そしたら、自分一人でも対話をすれば解決していけることがあることに気づいた。
叱ってくれる。そんな人も大事なのだと、その時、気がついた。
自分とは違う意見。それを取り入れることで、自分も変わっていける。もし、それが、取り入れられない意見だとしたら、「そういう意見もあるんですね」とそっと頭の片隅に置けばいい。その時取り入れられなくても、実は違った場面では、それが有効活用できる日が来るかもしれない。
共感も大事だが、それが全てではない。違う意見を与え、叱ってくれる。そんな人も大切にしていきたい。
なんだか、今日は、幸せに包まれた1日で、ふと過去のことを思い出して書いてみたくなった。