noteというツールが何よりも苦手なわたしがnoteについてどう思っているか感情のままに書きなぐってみたら結局感情って終着点がなくて困るよねという話

わたしはnoteが苦手だ、と何度思ったことだろう。




noteを開くたび、「noteやってみなよ」とわたしに告げる元カレの顔が思い浮かぶ。

もうわたしのなかで彼の顔はぼやけてしまって、もはやイメージの域、でしかないけれど。




note向きだ、と感じるテーマが頭の中で泡のように膨らんで、口から、手から、体中から、あふれだしそうなときがある。


そういう時、彼におすすめされた「note」を開いて、編集ページを開いてみる。


するとどうだろう。


さっきまで泡のようにもこもこもこもこ、と際限なく膨らみ続けるようにも感じたアイデアが、ぱちんぱちん、とはじけて消えていく。


終いには目の前に残った考えが、ただのがらくたの山になってしまう。


さっきまで本物の宝石だったのに、おもちゃの宝石に変わってしまう。


思いの丈をつらつらと綴るだけなら造作もないはずなのに、「noteというツールで発信をしている」というフィルターが一つ入るだけで、わたしが文章を打ち込む指は止まってしまう。



文章を書いて、発信することは昔から好きだった。

今でも「趣味」としてスランプを乗り越えてまで文章を書いて発信をするくらいには。



だがどうだろう。

「note」というツールには、どうしても自分の気持ちが吐き出せない。



それはきっと、「note」がお高くとまって見えるから。



言い方が悪いかもしれない。


でも「note」はなんだか高貴に見えるのだ。


洗練されていて、高貴で、上品な人が使うような。



サイゼリヤでミートソースのパスタを頼んで、口を汚しながらおいしいおいしいと食べるのがわたしだとすれば、スタバでトールサイズのコーヒー又はカフェラテを頼んで、窓際でスタイリッシュに飲んでいるのがnote。
この感覚の違いがわかるだろうか。


いかにも、わたしには「田舎くささ」はあれど「洗練された上品さ」は持ち合わせていない。




文章というものには「その人が持ち合わせているもの」が付随するとわたしは思っていて、その人が書いた文章から、なんとなくその人の人となりがわかるような気がしている。

だからわたしは元カレが書いた文章が何よりも好きだったし…ってなんだこの話。


そう、元カレも気品のある人だった。

わたしと違って少しも「なんだか汚い」と思うようなところがなくて、清潔感あふれる人だった。
清潔感ってどこから出てくるんだ。

清潔ではあれど「清潔感」が無いのが本当に人生で一番の課題。

そう、そんなわたしは、文章を書くことが大好きであれど、「noteらしい」文が書けないのが悩みだったのだ。


そのコンテンツが持つ空気感に合わせた文章を書こうとする。

そうすると、わたしの抱える思いとは違う文章になったり、何を書こうとしていたんだっけ、あの重苦しい思いはどこに行ってしまったんだっけ、となったりしてしまう。


この現象には困ったものだ、本当に。


思いをぽちぽちとぶちまけて、投稿という行為を行うことで自分の心を落ち着けることができなくなってしまう。




文章の投稿はある意味消化みたいなものだな、と思う。

投稿ができなければ消化不良でおなかの中でぐるぐると気持ち悪いものが渦巻いてしまうから。

その点Twitterというツールは使いやすくて、向日葵はよくTwitterで思いの丈をぶちまける。

ぽんぽんぽんぽん、と文脈を作る必要のない、130字の短い言葉の羅列。

友人は「Twitterはゴミの掃きだめ」とまで言っていたけど、アンダーグラウンド感は否めない。

どうしようもない感情を書いては吐き出し、書いては吐き出しするにはちょうどいい。


でも、Twitterじゃ物足りない、と思うときがある。



それがいまだ。



そう。



たった130字なんかじゃおさまりきらないこの気持ち。


多分たくさんの単語のまとまりで吐き出した方が気持ちいいこの感情。



あ~、note書きたい、と衝動で開いて書き出してみるものの、結局後で文章に詰まってお蔵入りする。



きもちわるい。



吐き出せなかった気持ちが溜まっているのが気持ち悪い。


もやもやした気持ちはそのまま、その日は布団に入ってぐるぐるしたまま瞼を閉じる。




自分が吐き出せなかったのは、「note」というコンテンツに吐き出してもいいような文章に、気持ちがまとめられなかったから。


自分はnoteにふさわしくないんだよな、と思いながらパソコンを閉じることの、なんと苦しくて気持ち悪くて悔しいことか!





noteってなんでこんなに、投稿するのにハードルが高いんだろう。





きっとそれは、お高くとまって見えるから、なんて偏見を持ったまま、蛇行した感情がこの文章をまとめ始めてしまったので、これでわたしはぐるぐると渦巻いた感情をこの場には合わないなと思いながら、猫が毛玉を吐くように、この場所に吐き捨てたいと思います。



これは感情が動くままに書いた、まとまりのない汚い文章。





勢いって大事だなと思った話。

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