大人になるにつれて、世界から色が消えていく

中学生の頃から、小説を書くのが好きだった。

いわゆる「二次創作」と呼ばれるジャンルだけれど、友達と創作をするのがひどく楽しかったのを覚えている。


今でも二次創作はするけれど、五年前に一度スランプに陥ってから上手く文章が書けずにいる。


中学生の頃の文章が、きらきらときれいに見えている。

未だにGoogleドライブに入ったままの小説のファイル。

そのころから「上手く書けた」と思えていたからどうしても消したくなくて、Googleドライブに残しておいたんだろう。

「消えてしまっていた」と思っていたファイルが昔から使っているGoogleのアカウントから発掘されたときは驚いたものだ。


久しぶりに読んだ、自分のきらきらとした宝物。

自分の頭の中で描いたものを映しだした世界。

それはまるで、透き通る朝日のようだった。



過去のわたしは、「世界最後の日」をテーマにした話を書いていた。

書き出しはこうだ。


「世界崩落の音が聞こえた。

それはがらがら、なんて
騒々しいものじゃなくて、
もっと静かで、意外性に欠けていた。」


死にたくないよ、と相手に言って、そして世界が終わる。

すぐにページが切り替わり、相手の視点へと変わる。


相手の視点で紡がれたのは、全く違う話。

「葬式が終わって~」

そう、世界が終わったのは最初のキャラクターだけ。

病院で死の間際に会話をする二人の話だったのである。


いや語彙力の無さがすごいけれども。


読んでもらえたら多分すごいなと言ってもらえる、とは、思う。

わかんないけど。

あとで記事貼っておくか。



ともかく、そんな話を書けていた。

人生で一番輝いていた、そんな瞬間を切り取った話。

間違いなく友人関係というかクラスの中で浮いてはいたけれど、私の描く世界だけはきらきらと輝いていて本当に素敵な時間だった。


書けなくなったのはいつからだっただろうか。


高校2年生の頃、私は特大のスランプに見舞われた。


全くと言っていいほど書けなくなってしまったのだ。



最近はリハビリも兼ねてほとんど毎日何かしら書くようにはしているが、それでもきらきらはどこかに消えてしまっている。

どこかできらきらがおもちゃになってしまうという話はしただろうか。したような気はする。


今はもう、何も光を通さない、百円ショップに売られているようなおもちゃしかわたしは生産できない。


きらきらが書けなくなったころから、世界のきらきらが見えなくなった気がしている。

一人暮らしを始めてからはなおさらだ。

昔はもっと、きらきらを積極的に摂取しようとしていたのに。

上を向いて歩いていたはずが、落ち込んで下を向くことが増えた。

美しい文章を読む代わりに、学校の勉強に必要な文章や単語を読むことが増えた。

きらきらの感情を言葉で表すことをせず、ただ落ち着いた気持ちで過ごすことが増えた。


きらきらに触れないうちに、いつの間にかきらきらを見ることができなくなっていた。



今はもう、昔好きだったきらきらが何かわからない。

世界が灰色になっていく。





世界から、私の世界から音が、色が、きらきらが消えていく。

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