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私の履歴書②社会人一年目の仕事
社会人一年目は、東京で過ごしました。
生まれてからずっと静岡県で過ごしていた私にとって、東京はいろんな意味で衝撃的な街です。
そして社会人一年目を過ごしたとても思い出深い土地なので、第2の故郷だと思っています。
私は内定した天ぷら屋さんに就職を決めました。
内定した後、3月までの大学4年生の間、静岡の店舗でバイトもしました。食べに行った時、当時店長だった方が、そうした方が印象がいいよと進めてくださったのです。
親には、反対されるだろうと思っていたので、全て決めてから事後報告。
大学までは親の言うことを聞くいい子ちゃんだったので、もう自由になってもいいじゃないかという思いもありました。
入社式では代表で挨拶をさせてもらいました。
二次会でカラオケに行って、三次会で新宿2丁目のオカマバーにいった時は衝撃的すぎて、東京の裏をしりました笑。
働いた場所は荻窪。私は当時、上板橋に住んでいたので、電車は乗り換え2回していました。
正社員で入ったので、最初の半年くらいは同じ正社員の先輩について仕事を教わり、半年後くらいから1人立ちしました。
仕事の内容は天ぷら屋さんのホール接客とレジ締め、倉庫で粉をふるう仕事、お弁当が出ない日の賄い作りなどでした。最初は意気込んで頑張っていたものの、慣れない東京での生活、誰も友達がいない土地、初めての社会人生活。支えになったのは、同期との定期的な飲み会と、職場のバイトさんたちとの飲み会でした。
最初の半年は先輩の後についてのお仕事だったからよかったのですが、その後がなかなか大変でした。正社員なのでバイトさんのシフトを組んだり、お店のサンプルの飾りつけをしたりといった仕事がありました。私が1番大変に感じたのは、シフト作成とバイトさんの教育でした。
性格的に強い方ではなかったのですが、やってもらわなきゃいけない仕事を頼んだり、自分よりもかなり年配の女性に注意したりしなくてはいけないのが、すごく大変でした。シフトは自分が無理して出たり、休みの日にサンプルを買いに行くので結局仕事になったりしました。
友達もいなかったので、休みの日も憂さ晴らしみたいなものがうまくできませんでした。今思えば、ストレス解消をもっとうまくやるだけだったんだろうなとわかりますが、当時はストレスが溜まっていることに気づくこともあまりできなかったのだと思います。
仕事は評価につながる前に辞めてしまったのですが、頑張っていました。料理人になるなんて想いがあるわけでもなかったくせに、同期に感化されて、「分けとく山の美味しい方程式」の本を買っては休日に作ってみて、お店での賄いをいかに美味しくできるかなどを考えていました。他のお店から来た主任に、賄いで作ったぶり大根を褒められた時は、本当に嬉しかったです。あれから私の得意料理はぶり大根になりました。
お料理の分厚い辞典を買ったり、サービスが素晴らしいと上司がオススメしていたお店に食べに行ったり、高い天ぷら屋さんに研究のために食べにいったりもしました。
同期の男の子をめっちゃ好きになって、お誕生日お祝いしに彼の家に泊まって、次の日仕事に遅刻したのは今ではとても懐かしい、いい思い出です。
働いている間は、それはもういろんなことがあり、思い出が強すぎていろいろ話せないくらいですが、頑張って仕事をしていましたが、ストレスが多く、倉庫で粉をふりながら泣いたり、家で泣いたり、よく泣いていました。
ある日、もう限界だってなって、店長に泣きながら「もう勘弁してください、辞めさせてください」と言いました。病院に行くと、十二指腸潰瘍が治った跡がありますと言われました。すごく身体が、背中が痛くて、自宅で泣きながらお母さんと呼んでいた記憶があります。人生初の胃カメラをして、診断は逆流性食道炎でした。
仕事は結局10ヶ月程度で辞め、そのあと2ヶ月ほどニートをすることになります。でも私はすごく固かったので、辞める時のお手紙を確かたくさん調べて上司6人くらいには書いた気がします。お礼と申し訳ない気持ちと解放された気持ちと入り混じっていました。
この会社では、当時、伊勢研修というのを行っていました。2月くらいの寒い中禊ぎという儀式で川に入るやつで、修行のような研修です。精神統一できるような場所でした。私は辞めた後、本来なら社員として行くはずだったその伊勢研修に1人で行きました。他の参加していた別の会社の片方にかなり驚かれました。自分でもあの時の行動力にはびっくりです。
そこで、まさかの社長から電報が送られてきました。社長はとてもあったかい方で、私がやめるときも先輩方と焼肉の会を私1人のために開いてくださいました。電報には、「ひたむきに頑張る姿勢をいつまでも大切にしてください」というようなことが書かれていました。あれを皆さんの前で読み上げられた時は本当にありがとうの気持ちでいっぱいでした。
この時お世話になったバイトしたときの店長さんのお店は今になってもたまに行かせていただき、社会人の私をたくさん支えてもらった場所でした。当時のバイト仲間の子たちや同期とは今はもう会うことはありませんが、しばらくはたまに会って飲んで励ましあっていました。
結果としては身体の具合で辞めてしまった会社でしたが、私にとっては1番思い出深い社会人の生活です。当時出会ってくれた全ての方に感謝です。
次回はニート2ヶ月の記録をお送りします。