日記|死ぬリスクより生きるリスク
雑誌の家計簿企画や、
ネットの家計診断企画が大好きなんですけど、
老後資金計画の関する記事でこんな文言が。
「今は死ぬリスクより長く生きるリスクに備えましょう」
すごくない?
すごくないっすか????
多分、残される扶養家族はいないのに、
生命保険が高い相談者への一言だったんですけど(うろおぼえ)
そんな時代なんだな~~~
「人生100年時代」という言葉も使われて久しいですが、
この言葉も出だしのころは、
「人生100年生きるのが夢じゃない時代です!どんな素晴らしい100年を過ごしますか?」
的な文脈だったと思うんです。
それが今は、
「人生100歳まで続きますよ?それまで、人に迷惑かけないで過ごせる準備してますか??ちゃんと考えてますか???」
的な圧に変わってませんかねぇ。
その流れを表してるのか、
今の我々の親世代の多くはは、いかに子どもに迷惑をかけずに余生を過ごすかを考えているらしいです。
実際近くに住む義母は「あなたたちには迷惑かけないよう準備しているからね。」と
何かにつけて言ってきます(それにほっとする「嫁」の私もいる)。
私も子育て真っただ中、
夫婦共働きで資産形成についてはよく考えます。
娘の教育資金に関しては絶対死守しよう、
とやる気満々だけど、
「自分の老後」となると、全然ポジティブに考えられないんですよね、、
だって、死ぬより、生きてしまうことを
リスクと捉えながら、
それをどう周りを汚さずに処理するかを、
30そこらから意識してほそぼそと倹約する生活?ってどうなんでしょうか。
この時点でもう「老後」のよう。
それでもぐんぐん伸びる寿命、
それに伴い増え続ける必要な老後資金、
子にも頼れない(そもそも頼れる子の頭数も減り続けてる)世の中。
そりゃ生きてるほうが「リスク」なのかもしれない。
もうここまで来てしまったら、
流石に世の中は「死」に向き合わないといけないのではないかと思います。
私は
悲観主義でもない(と思ってる)し、
反出生主義でもない(と思ってる)し、
自死肯定もしない(と思ってる)が、
死への過度なタブー視が、逆に、生きることそのものに影を落とし始めているのではないでしょうか。
なぜ生きることを無闇に恐れなければならないのでしょうか。
生きることは必ずいつか死ぬ、ことなのだから。
もう少し、人生を考える一つの枠組みとして「死」を考えることを許して欲しい。
大好きな本
「死にカタログ」の帯コピーが20年近く経って、今すごく胸に刺さる。
「あなたにとって、いちばん未来の話じゃないか。」