革の含水量

「革に意図的に水分を補給する必要はあるのか」
いくつかの文献を紹介しながら自論を述べていきます。
と言っても以下の内容は多くの人が経験として感じていることでしょうし、ケア用品の開発者はこの命題に対してとっくに推論を立てて製品を世に送り出しているのでしょう。なるべく平易に書くつもりですが、難しい事は出来る限り難しいまま理解しないと誤解を生むと考えているので、分かりにくい所がたくさんあるかも知れません。しかしながら、これを通じて一人でも多くの方が皮革科学に興味を持って頂ければ幸いです。

事実から結論の間にいくつもの推論が入っていることにご注意下さい。
あと色々ゴチャゴチャ書いていますが、結局のところ乳化性でも油性でも何でもその時の気分や革の状態に応じて好きなクリームを定期的に塗ってブラッシングや乾拭きをしていれば良いんだと思います。革の状態なんて素人には分からないと言う方もいるでしょうが、別に技術者や職人でなくとも良く観察したり触ったりしていれば、そのうち何となく分かるようになってくるはずです。あと

本題に入ります。まず一つに、
"酷く傷んだ革だとか数十年前から放置されている革だとかそういう特殊な例を除けば革の含水量についてあれこれ考える必要はない"
一方で、
"水は油脂を繊維間のスペースへ均等に届ける媒体として役に立つかも知れない"
と言うのが自論です。どういうことか。
・"革の含水量に対しては周囲の温湿度が支配的なので、意図的に乾燥させようがクリーム等でふやけさせようが結局は標準的な平衡状態に戻ってしまう"
・"水が入ると繊維の間隔が押し広げられて拡散の遅い物質の浸透を助ける"
と考えるからです。ただし、「拡散の遅い物質の浸透を助ける」という部分は今の所推測の域を出ません。また、平衡含水量以上に加えた水分を数週間から数カ月間革に留めておく方法があるならば、その場合過剰な水分がどの程度の意味を持つかについては(私には)まだ分かりません。
ここで含水量における平衡とは水分の揮発(脱湿)量と吸収(吸湿)量が釣り合っている状態のことを指します。吸/脱湿を阻害する要因、例えば革表面の塗膜や革内部に浸透した化合物の種類や量によって平衡含水量と平衡に達するまでの時間は多少変化するでしょう。

以下文献を紹介しながらデータを見ていくのですが、その前に革の構造についてざっくりと説明します。また今度詳細な記事を書くかも知れません。

革の主成分はコラーゲンタンパクですが、コラーゲンとは?タンパク(質)とは?
タンパク質とはアミノ酸が複数(脱水縮合によって)繋がったいわゆる高分子化合物の一種です。ものすごく雑な言い方をすれば軟弱なポリアミド樹脂です。アミノ酸の繋がる順番(アミノ酸配列)によって異なる機能を発現するのですが、アミノ酸配列の組み合わせとして無数にある内、真皮層等に多く存在するタンパク質群の一つがコラーゲンと呼ばれています。(表1、図1)

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皮の中ではコラーゲンが集まって繊維状になって、それがさらに集まってもっと大きな繊維を構成して、と階層的な構造をしています。(図2) これだけでは熱や薬品によって簡単に変性・分解してしまうので、鞣し剤と呼ばれる特殊な薬剤でコラーゲン分子間を化学結合で繋げて補強したものが革となります。

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話は変わって、革が水を含むとコラーゲン繊維間の隙間が拡がり(図3)、この隙間は含水量の増加に従って広くなります(図4)。これは標準的なクロム鞣し革の例のようですが、タンニン革についても、また油を含んだ場合も同様の挙動を示すでしょう。また、含水量つまり隙間の大小は革の強度や柔軟性に影響を及ぼします。(機械特性と含水量の関係が図3の論文のテーマになっているのですが、無料で読めるのは概要と図3のみだったので概要から読み取りました)
よく言われる革に水や油を加えた時のモッチリ感というのは、おそらくこの膨張と軟化によるものなのでしょう。
ちなみに図3の下半分および図4の右半分は鞣しの際に延伸を加えた革のデータです。〇軸延伸ポリエチレンやポリプロピレンのように分子配向させたのですね。

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続いて(相対)湿度の増減に応じた革の吸/脱湿挙動を紹介します。(図5~7)

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図5では温度を25℃に固定し、ステップで相対湿度を増減(紫線)した時のクロム革における重量の変化(緑線)を示しています。0%から湿度を順に増やし、95%で含水率が飽和したら今度は順に湿度を減じていきます。各ステップの時間は500minを最大として、革の含水率が平衡に達した時点で次のステップに移っています。またこれを種々の加脂剤添加条件で行い、横軸を相対湿度、縦軸を平衡含水率にしたものが図6に示されています。
図6では赤線が仕上げを行った革、青線が未仕上げの革を示すのですが標準的な仕上げとしか書いていなかったので詳細は不明です。どうやら表面に塗膜を作るような仕上げではなく、加脂後に乾燥させた革を水添と機械処理によってほぐした後に張力をかけて表面を平滑にする処理のようです。
図5および6の実験から読み取れることを以下に一部抜粋します。

①各々の湿度において安定する含水率(平衡含水率)がある
②湿度変更から数百分の内に平衡含水率に達する
③湿度増加(吸湿)過程の平衡含水率より湿度減少(脱湿)過程の平衡含水率の方が高い(こういった直前の状態が履歴として残り、次のステップにおける状態に影響を及ぼすことをヒステリシスと言います)
④25℃において快適な湿度、おおよそ60%では平衡含水率15~20%強になる(よく言われるクロム革の含水率15%前後という値と概ね合致していますね)
⑤加脂サンプルと未加脂サンプルとで水分吸/脱湿の挙動に大きな差は出ない(が少しの差はある)

③、⑤からは何やら色々な事が分かるようなのですがここでは触れません。この著者のシリーズ化された論文Part1, 2も興味を引く内容だったので、それと合わせて機会があれば解説する予定です。

図6のどれでも良いのですが、例として亜硫酸化された魚油(PSi)で加脂された革のデータを見てみます。
1日の内25℃湿度60%が平均的な状態として、とりあえず気温は考えないで湿度が±20%変動する場合はおおよそ含水率10~24%の間をうろうろするでしょう。この環境下で飽和量(46%)まで意図的に水を加えたり、熱風で乾燥させたりしても結局は湿度60%における平衡含水率15~20%の間に戻ってくることになります。
少なくとも25℃の下では環境の湿度管理が革の水分量に支配的であると言えます。

次に、図8は30℃と60℃それぞれにおける相対湿度-平衡含水率の関係を示しています。これは図5~7とは別の人らの実験で、温/湿度を様々に設定した条件の下で6日後の平衡含水率を測定したそうです。欲を言えば低温域のデータも取っておいて欲しかったのですが、測定が安定しないんですかね。
夏に外を歩く状況を想定すると、高湿度かつアスファルト付近が60℃近くまで上がることを考えれば平衡含水率は15~30%あたりを推移しそうです。
その他40℃や50℃のデータもあったのですが、どうも革の平衡含水率は水の飽和蒸気圧と負の相関があるようで、例えば30℃60%と50℃60%の場合では10℃60%の平衡含水率の方が高くなります。
低温低湿の場合ではデータがないので何となく心の目で傾向を見て20~30%辺りでしょうか。
25℃60%を想定した場合とものすごく大きな隔たりがあるわけでもなさそうです。

話は変わり結合水や自由水、コラーゲン繊維間の水分子とスペースの話に移ります。結合水や自由水について詳しく知りたい方は
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cookeryscience1968/8/2/8_76/_pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nogeikagaku1924/52/4/52_4_R39/_pdf
が参考になるでしょう。
固体表面近傍に吸着・収着した水分子の内、固体表面への結合が強い順に
結合水、準結合水、自由水と並びます。私自身まだ理解が追い付いていないのですが、タンパク質のごく近傍にまるで単分子膜のように存在する結合水は、タンパク質の親水基や解離したイオン性基に強く束縛されており、ほとんど運動性を失った状態でいるようです。この結合がどの程度の強さなのかいまいち分かっていないのですが、液中の水分子同士の水素結合よりはよっぽど強いようです。
タンパク表面にほぼ固定化された結合水から数層以内の範囲にいるのが準結合水と呼ばれています。準結合水は運動性をほとんど失った結合水の影響を受けるため、結合水ほどではないにしろ運動性は通常の水分子より劣ります。そのさらに外側にいるのが自由水。これは名が示す通り自由に振舞います。その運動性は普通の水分子とほとんど同じなのでしょう。
図3で言うところの三本の緑丸(コラーゲンタンパク三本が作るらせん構造)を囲む白丸の領域にある水が結合水、その外の灰色の領域にある水が準結合水、そのさらに外側が自由水の領域になるイメージです。
図7の例で言うと第一の変曲点を迎えるちょっと前、湿度10%の辺りまでが結合水の入る段階、第二の変曲点を迎えるちょっと前の湿度60%強あたりまでが準結合水の入る段階、そしてそれ以上の湿度で自由水が入っていくそうです。標準的な湿度の下では結合水が10%弱、純結合水は5~10%強、自由水はほとんどないといった状態でしょうか。
カビが栄養にするのは主に自由水。純結合水はどうなんでしょうね。夏の玄関、例えば30℃で自由水が増え始める湿度60%以上では危険ということになります。無造作に玄関に革製品を置いておくのはやめた方が良さそうです。余談でした。

さて、等温収着線(図6, 7)における自由水の領域の傾きから、自由水はその収/脱着が簡単に起こることが分かります。また革に吸収された後も運動がほとんど束縛されず動ける範囲も広いことから、他の物質の移動媒体として優れた効果を発揮するでしょう。これこそが多くの皮革用保革剤がo/w型の乳化性クリームとして販売されている所以であると考えます。乳化された状態でコラーゲンタンパクの近傍まで近づいた後に水の蒸散によって取り残された油脂は、繊維間のスペーサーとして長期間革の柔軟性を保つ働きをすることでしょう。
また、油性クリームの前に乳化性の何がしかを塗っておくことも確かに効果のある事なのかも知れません。自由水が繊維間隔を広げた後に、乾いて席が空く過程で交換するように油脂 (あるいは幾分か親水的で分子量も小さい遊離脂肪酸の方が優先的か) が入っていく可能性に期待すれば。

ところで、ラノリンのような抱水性の高い化合物が古くから使われていますね。巷ではラノリンは自身の重量の三倍もの水を抱水したゲルを作ると言われていますが、この作用はごく限定的で、外部環境を無視して水や水蒸気が無制限に供給され続ける条件下(肌に塗られた状態など)や、試験管中のように空気に触れる表面積を極端に小さくした場合にしか発揮しないでしょう。実際、ラノリンが主成分であると思われるクリームの不揮発分を、様々な湿度環境下において重量測定したところ、革と同じような水分収着挙動を示していました。
例を挙げると、25℃85%RHにおける収着量は自身の乾燥重量の30~40%、25℃60%RHではわずか10%程度でした。
ラノリンが革へもたらす効果というのは、その水分収着挙動や繊維間の潤滑と言うよりは、よく使われる油脂と比較して高い凝集性によって生じる表面保護がメインなのではないでしょうか。

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話が逸れました。
ここまで長々と書いておいてアレなのですが、実は図5, 6のデータは図9の装置で測定されており、これを見るとサンプルを天秤に乗せてチャンバーに入れる構造になっています。となると銀面以外に床面や側面からも水分をやり取りしていることになります。(図7も同等の状態)
一方、表2に示すように一般的なクロム革で透湿度が9.4mg/cm^2/h、ガラス革で7.8mg/cm^2/hとあります。
透湿度測定の方法を考慮に入れて含水率を飽和状態に近い40%。その内の10%が結合水、10%が準結合水、20%が自由水。透湿に関与する水を準結合水+自由水とします。40%水を含んだ革の見掛け比重をざっくり0.8g/cm^3とすると1.5mm~1.7mm厚の革の1cm^2当たりの準結合・自由水はおよそ38mg。よってこれらの革は比較的動きのある水分の内、1時間当たりに20%以上もの水分を銀面を通して外界と交換あるいは透過させられることになります。水の出入りを銀面に絞っても尚、水分(おそらく自由水がその大半かと)は外界を大きな障害なく行き来できるのでしょう。様々な塗膜が存在する革製品の実際の使用状況においては、平衡含水率に達するまでの時間が実験値より幾分か長くなるのでしょうが、例えば平衡水分量以上に加えた水が数週間、数カ月も持つというのはちょっと考えにくいかなと思います。
データがないので感覚でしかありませんが、十分にポリッシュした靴を雨の日に履いてずぶ濡れにしても、数日もすれば乾くのでワックスが革の放湿性に与える影響など微々たるものでしょう。あるいはワックスを重ねていない面を出口として、全体の放湿がなされているのかも知れません。
ちなみにガラス革は液体の水はほとんど通さないのになぜと疑問に思われる方もいることでしょうが、液体としての水の吸水と気体としての水の吸湿は別の現象なのでそういったこともあり得るようです。その究極に近いのがゴアテックスですね。

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最後に余談ですが、皮革用語辞典の水分項にて以下の記述があります。
「水分吸着容量は、着心地やはき心地に影響するので重要である」と。
これを最初読んだ時、平衡含水量なんて環境によっていくらでも変わることが読み取れるのに、水分吸着量が重要であるとは意味不明などと勘違いしてしまったのですが、水分吸着「容量」と書いてありますね。
着用中を想定して、汗の蒸気をどれだけ吸えるか(水分吸着容量)が着心地等に影響すると言っているのでしょう。

なんだか後半は特に取り留めのない文章になってしまいましたが、これにて終了です。ありがとうございました。

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