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前橋BOOKFESに行きました。
前橋BOOKFESに行きました。2年ぶりの開催、とってもめでたいです。そして嬉しかった。今も嬉しい。
僕は前回の前橋BOOKFESにも足を運んでいます。その時は本のやり取りにリストバンドの購入が必要で、朝からワクワクしていた僕は、欲しい本なんてひとつも見つかってなくて、そもそもどんな本があるのかまだチラリとさえ見ていないのに、リストバンドを買いました。
緑色のちょっとだけ強い紙のバンドは1000円しましたが、欲しい本があったら貰っていい、家から持ってきたいくつかの本と交換だってしていい、そしてなにより、本をめあてに来た沢山の人が溢れるアーケードのその一員になれるのだから、かなり安い!と感じました。
そのあと、欲しい本をいくつか見つけて、家から運んだ本も誰かの手に向けて手放すことができました。持ってきた本と貰った本の冊数が同じで、帰りのバッグの重さがほとんど変わらなくて嬉しかったことをよく覚えています。おなじ重さでも、ちがう重さでした。
とても良いイベントだったな、と日記に書いてあります。
"古本の素敵さがあふれていて、それを扱う、おそらく本に触れることが好きであろう出展者やスタッフと、言葉と本をやり取りする。もしこれをフェス(お祭り)と、ブックフェス(本のためのお祭り)と呼ばないならどのように呼んだらいいのだろう。ほんとうに、古本のための祝祭だった。とても良いイベントだったな。"
と書いてあります。
僕は古本が好きです。
誰かが欲しいと思ったり、一度でも手に取る理由があった本たちには、時間が含まれています。買っておいたのに読む機会がなく手放された本なども確かにあるけれど、それだって持ち主とその本の時間です。
綺麗な古本の方が高い値段がつきますが、僕はそれよりも、開花した桜の枝先が堂々とページに挟まれていたり、書き込みがされていたり、例えばアンソロジーだったらこの作者が好きなんだろうなと分かるほど開き跡が偏っていたりと、前の持ち主がその本とともに過ごした時間の豊かさを感じられればそれだけ、その本を素敵だと思います。
前回の、そして今回も、前橋BOOKFESにはとびきり素敵な本が沢山並んでいました。
前橋BOOKFESに並ぶ本たちは、基本的に古本です。新刊を送った方もいるかもしれませんが、その本にも、送った時の気持ちが込められています。
ほぼ日の前橋BOOKFESのページを見ると、次の人に向けたちょっとしたメッセージをはさみいれることが歓迎されています。
もしも、ここに集まった本に価値の基準があるならば、それは「誰かが欲しいと思うかどうか」です。だから、集められた本は、綺麗なものとそうでないものなんて基準では振り分けられていなくて、あらゆる状態のものが当たり前みたいに隣り合って並んでいました。ボロボロの本の横にピカピカの本があったり、ボロボロなものだけが並んでいたり、裸本があったり。歓迎されていることですから、メッセージだったりレシートや押し花なんかも挟まったままです。僕が貰った本のひとつにも、メッセージが挟まれていました。それでよくて、それがいいんです。
もし価値の基準があるならば、と書きましたが、あそこに並ぶ本たちには、あらかじめ定められた価値の基準なんて、そもそもありませんでした。
日本中から届いた本が優劣なく並べられて、言葉とともにやり取りされていく。
ただそれだけであって、ただそれだけであるということが、古本が大好きな僕にはどうしようもなく嬉しく思えました。
そして、そんな本のやり取りの場所に、言葉が沢山あふれていました。それって、とっても素敵なことだと思うのです。
これいただきます おすすめはありますか? 中腰で大変だね これずっと欲しいと思っていたんです こんなのまで貰っていいんですか? いい本を選びましたね ありがとうございます ありがとう すみません ありがとね どうもね
そんなやわらかい言葉たちとともに次々と手が伸びて本が減り、あいたところにまた、日本中から届いた本たちが並べられていきます。もしかしたらもう前の持ち主は読まなくなっていたかもしれない本たちが 誰かのために届いた本たちが、いくつも、いくつも、新しい読み手に発見されて、手を伸ばされ、連れ出されます。
連れ出された本は、この場所から、新しい持ち主とともに新しい時間を含み始めます。この、前橋から。それも、やわらかくてやさしい言葉たちを起点として!
これほど『本も、人もうれしい。』催しを、僕はほかにあまり知りません。
なんて言っていますが「本のやり取り」がこの催しの本質ならば、僕はまだ、前橋BOOKFESの途中にいます。家から本を持ち込まず、本を貰っただけの僕は、個人としてはまだ「本のやり取り」をしていません。
こんなに、良いイベントだ好きだと書いてきて、前橋BOOKFESに参加しきれていないのは嫌だ!どうにかして本のやり取りをしたい!と考えて、考えたら簡単なことでした。
もうBOOKFESは終わってしまったけれど、本のやり取りをしたいのなら、かまわず、次の人に本を繋げばいいのです。
アーケードで見かけた良い本を誰かに紹介する 実際に渡す 家の本を次回のブックフェスに送る準備をする などなど、受け取った本を次へ繋ぐ方法はいくらでもあります。
繋ぐのは、前橋BOOKFESで受け取った本でなくたっていいと思います。BOOKFESで素敵な本を貰った僕が、個人的に次の人へと本を繋ぐ。これだって立派な「本のやり取り」です。
今回から1000円のバンドが廃止されたことで、いろいろな人がBOOKFESに参加しやすくなりました。参加者や送られてくる本が増えたからなのか、 その場での本の交換 という側面は薄まったように感じています。
この先の前橋BOOKFESにおける「本のやり取り」は、その場での個々の交換というよりは、大きな流れの中で本が移動して、そこに人々が参加するかたちが主流になっていくのかもしれません。
そしてきっとその流れの中で、僕のように、個人としての「本のやり取り」を完了できない人が増えていくような気がします。そんな人たちが受け取った本をどのように繋いで、次の人を元気にしていくのか。もしかしたら、そんな個人的なやり取りのゆくえまで含めて『前橋BOOKFES』の一部である、と言ってしまってもいいのかもしれません。
だから、前橋BOOKFESは、終わっている間も続いています。今も、ずっと続いています。
集まった本が繋がっていくかぎり、前橋BOOKFESは終わりません。そうだといいな。
『前橋BOOKFES』が単発イベントとしてではなく、この先の前橋に根ざしめぶきながら、長い目を持って本に関わっていけるものになってくれたら。そしてその大きな流れの中で、個人としても本を繋ごうとする人が増えてくれたら。本も、前橋も、『前橋BOOKFES』も大好きな僕にとって、それ以上に嬉しいことははありません。
ゆったりとした時間軸の中で、本がさらにさらに僕たちとともに時間を含んで、循環していく。そのまんなかに、この先も前橋があればいいな。