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建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史[15] 2009年:改修工事完成直後の報道のことなど
日土小学校の改修工事が完成したことは、さまざまな新聞などが報道してくれた。私の手元に、コピーや現物があるものを日付順に紹介する。
まず、7月18日の地域の皆さん向け見学会の前後に出たのが、以下の3紙の記事である。カギカッコ内は見出しの文言。
● 7月16日/八幡濱新聞:「全国初の木造校舎耐震補強 日土小校舎 改修工事完了〜8月1日見学会」。工事完了ということや改修方法の紹介を、曲田清維先生のインタビューを交えて書いた記事。7月18日と8月1日のも見学会を告知してくれた。
● 7月23日/八幡濱日報:「四億六千万円改修完了 日土小学校見学会」。7月18日の見学会を取材して書かれた記事。その日は、「午後1時から体育館で心肺蘇生講習会、2時30分から校内の奉仕作業を行った後、見学会とした」とある。これまでの経緯などを書き、見学に訪れた45歳の卒業生の「東、中校舎は昔のままでまったく変わっていません。昔のままなので良かったと思います。西校舎は開放的な教室棟となっており、子どもたちも気持ち良く勉強できると思います」という感想を記している。最後に8月1日の見学会のお知らせがある。
● 7月28日/朝日新聞:「独創校舎残した 築50年超、当初の姿で安全強化 モダニズム建築の愛媛・日土小」。7月18日の見学会を取材して書かれた記事。ドコモモ20選、松村正恒の紹介、保存活動の経緯から始まり、和田耕一さんと教育委員会の梶本教仁へのインタビューなどを交え、うまくまとめられている。最後に8月1日の見学会のお知らせがある。神田剛記者の署名入り原稿だ。神田さんは朝日新聞大阪本社時代に建築関係の記事をたくさん書いてくださった方で、私も住宅に関する連載記事の依頼を受けお世話になった。
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8月1日の見学会以降では、以下のものがある。
● 8月5日/八幡濱新聞:「関心高く800人も 日土小校舎 完成記念の見学会に」。見学会の様子と、シンポジウムでのパネリストの発言を紹介した記事。鈴木博之先生の基調講演については別項を設け、「重要文化財指定の要件満たす 鈴木東大名誉教授 基調講演で期待示す」という見出しで、その内容をまとめている。鈴木先生は、ヴェニス憲章や奈良ドキュメントなどにふれて保存概念の変化を、アンコールワット遺跡での経験などを通して文化遺産を残すことの重要性を語り、日土小学校については、重要文化財指定の可能性があると話されたことが記録されている。
● 8月16日/愛媛新聞:「えひめニュースウェーブ」というコーナーの大きな記事。「生まれ変わった日土小校舎 地域をつなぐ象徴 再認識 文化財・教育環境を両立」という見出しで、『無給建築士自筆年譜』から言葉を引いた松村正恒の紹介、日土小学校と保存活動の経緯の説明などの後、和田耕一さん、梶本教仁さん、曲田清維先生、そして卒業生として保存活動をされた菊池勝徳さんにインタビューした言葉が並んでいる。八幡浜支社・阪和舞記者の署名入り。
● 8月26日/愛媛新聞:私に依頼があり書いた「生まれ変わった日土小学校」という原稿が掲載された。「時代先取りした建築 過去と現在 共存する空間」という見出しがつき、川側から見た校舎のカラー写真も掲載された。
● 9月22日/愛媛新聞:「フォトえひめ」というコーナーで、紙面の5分の3ほどを使った大きな記事。2学期になり使われ始めた学校の様子を、子どもたちも写った5枚の素晴らしい写真で伝えている。和田耕一さんと5年生の生徒の言葉も掲載されている。映像報道部・宮内佑己さんの署名入り。
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八幡浜市の広報誌『広報 やわたはま』10月号では、表紙に日土小学校の西校舎の階段に並ぶ1年生の子どもたちの写真が使われた。
また、地元で保存活動を展開した木霊の学校日土会の会報第007号(2009年10月15日発行)は改修後の日土小学校の特集を組み、3頁にわたって見学会とシンポジウムの様子を報告した。
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建築雑誌としては、『新建築』2009年11月号に掲載された。私が「日土小学校の保存再生がくれた夢」という巻頭論文を書き、それと「八幡浜市立日土小学校保存再生」というタイトルの作品頁、和田耕一さん・武市和臣さん・梶本教仁さんの文章を組み合わせた、12頁にわたる大きな扱いだった。
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これ以降も、日土小学校や松村正恒の話題はいろいろなメディアに登場するが、改修工事完了直後の主なものはこれくらいだと思う。
見学会のお知らせを送った方からいくつかお返事があった。そのなかで、内田祥哉先生からの絵葉書には、「小生 出来たての頃の小じんまりした日土小学校を何となく覚えていますが どこ迄記憶が正しいか本物を是非みたいと思っています 見学会は参加できませんが 何時か楽しみにしています」とあった。その後、内田先生の日土小学校再訪は2013年3月20日に実現した。そのときのことはいずれ紹介する。なお、ここにあらためては書かないが(詳しいことは『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』を見てください)内田先生は、八幡浜市役所時代の松村正恒が設計した大洲市立新谷中学校(1955年)に注目し『建築学体系32 学校・体育施設』(彰国社、1957年)で紹介した、いわば松村の第一発見者であり、博士論文を書く際にはいろいろとお話を伺い、松村の自宅に残っていた内田先生からの手紙を博論や本に再録させていただくなどした。
また、私の大学院での恩師である広部達也先生からは長い手紙がファックスで届き、感激した。
こういった報道対応が一段落したあと、関係者全員で工事報告書の作成を開始した。また、私の博士論文の単行本化の道もひらけていく。次はそのあたりのことを書きます。
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