商店街観遍歴
平らなザルに盛られた色とりどりの果物。陳列棚の上から下まで、丸いリンゴやオレンジが豪快に積み上げられています。ザルは往来にはみ出し、とうとう地べたに置かれているものも。スーパーでは考えられない扱いですが、だからこそなのか、不思議な生命力を感じたりもする。
我が家から徒歩数分の、昔ながらの商店街。その一角の果物屋です。隣、そのまた隣と連なるのは、魚屋に漬物屋、うどん屋も。どれも年季が入っていて、シャッターを閉じたままの店も見受けられます。まばらなお客は、年配の店主と談笑する同じ年代の人達。
しかしこの商店街、人通りは多いのです。近くに保育園があるためか、チャイルドシートを前に後ろにセットしたママチャリ達が、忙しそうに行き交っています。しかし、そのママチャリ達が停まることはありません。
まあ、子連れで買い物なんてそれだけで大変だし、全て揃ったスーパーで一気に済ませる方が効率的。わざわざここで足をとめる必要もないのでしょう。
さて、突然長々と商店街の説明をしたのにはワケがあります。「未来に残したい風景」コンテスト、今開催されてますよね。
残したいもの……残したいもの……そういえば裏に商店街あったなぁ!
と、どう見ても常日頃から「残したい」と思ってるわけじゃなかろうというネタの出し方をしたのですが……。
記事にするためあれこれ掘り下げていった結果、深い反省をするはめになりました。
この気づきがあっただけでも、この記事を書いた意味があったというものです。それでは、私の反省にお付き合いいただけるという奇特な方は、以下へどうぞ。
1.カレールーを私は混ぜない
さて、突然ですが時は遡ります。十年程前でしょうか。私は学生。学業の一環として参加した、グループディスカッションの場にいました。
お題は、「シャッター通りの再興」。
大型商業施設にお客をとられ、衰退の一途を辿る商店街に活気を取り戻すにはどうすれば良いか、五、六人で話し合いなさい、というものでした。
二つくっつけた机を囲むように座った私たちがまず焦点としたのは、「大型商業施設にはなくて、商店街にはある長所とは何か」。
昔ながらのたたずまいの味わい深さ。
守り続けてきた伝統の味。
店員とお客の人情溢れるふれあい。
皆が次々と挙げるなか、私はどうにも集中できず愛想笑いを浮かべていました。このお題自体に乗り気になれなかったのです。
この少し前の日に、カレールー開発陣のドキュメンタリ番組を観た影響もありました。数リットルの水に、ほんのわずか垂らした調味料を感じとる味覚の訓練を積んできた猛者たちが、甘さ辛さや旨味のバランス、口に広がる順番まで考えて綿密にルーを調合する様はまさしくプロ。私生活の食事まで厳しく制限して鋭い味覚を保つ、そのストイックな姿勢に私は感嘆したのです。
カレールーに限らない。今マジョリティを席巻している、ごくありきたりと思っていたものたちは、壮絶な努力の末にその座を勝ち取り、そして守り続けているのだ、と。
そんな記憶も新しい私には、目の前で行われているディスカッションがとても無意味に思えました。
「昔ながら」、「守り続けてきた」っていうけれど……時代と共に変わるニーズに合わせてサービスをアップデートする努力を怠っていることを、聞こえがいいように言ってるだけでは?
その結果、商店街が廃れたといっても、それは淘汰というもの。大型業施設をカタキの様に言うけど、彼らは栄えるに足る努力をした結果を享受しているだけじゃないか。
店とお客の心暖まる交流、というのも、常連客へのサービスは裏を返せば排他的ともいえる。全ての人に平等のサービスが、今の時代求められているものでは、と。
しかし、そんなこと口にするわけにもいきません。私はほぼ発言することなく、ディスカッションは終わっていったのでした。
2.けしからんBefore・After
さて、それから数年の時が経ちます。社会人になって数年経った私は一人暮らし。テレビの前で、憤っています。経営の苦しい飲食店を、飲食業界のビッグネームがテコ入れして、売れる店に改造する番組、といえば、「あれね」とお分かりの方もいらっしゃるかと思いますが。
優しそうなお年を召した店主、年月を経ていい感じの色合いになったカウンターに、これまたいい感じに角のとれた椅子。こだわったどっしり重い器に盛られたのは、実家で食べるようなどこか懐かしい料理。それを慕って、馴染みの客はいつも来てくれるが、それだけだと経営は追い付かないようで……
……なんということでしょう!
匠の手により、店内は動線を考え抜いたスペースを無駄にしない配置、新しい木の匂いもするオシャレ空間に早変わり! オーダーを早く捌くため、器もこれなら軽いし使いまわしがきくよね! 料理? そんなにいっぱい種類揃えたら大変でしょ、メニューはコレとコレだけ! インスタ映えもするね!
……けしからん!
昔ながらのいいお店だったのに、なんてことするんだ! こんなその辺のチェーン店みたいなの、ありきたりもいいとこだ! 新規客は呼び込めるかもしれないけど、お得意さんはがっかりするに違いない! 店主、あんたこれでいいんか!
私はこの大改造を誉めちぎる芸能人たちを見ながらイライラとスマホをいじり、Twitterのなかで自分と同意見の面々を見つけ安心しているのでした。
3.ビバ地域密着型子育て
さらにさらに、年月は経ちます。時は2020年。私は我が子の入園に向けて、保育園の見学に来ています。対応してくれているのは、いかにも子どもに好かれそうな、柔和な雰囲気の保母さん。
「当園には園庭がないので、お天気のいい日はお散歩に行くんですよ」
「あ、近くに公園ありますものね」
「公園にもよく行かせてもらってますが、裏通りに商店街があるのご存知ですか? そちらもいいお散歩コースですよ」
「へぇ、商店街ですか? それはいいですねぇ!」
思いがけず弾んだ声が自分から出ました。商店街をお散歩する園児たち、という言葉で脳裏に浮かんだイメージは……
チョロチョロ歩く園児たちを、我が子のようにニコニコ見守る商店街の優しい人々。
買い物に行くと、○○ちゃんよく来たねと名前を呼びながら、1つおまけしてくれるお店の優しいおいちゃん。
「もう歩いたの?」「もうお話しでるの? 」 「へえ、もうすぐ小学生かぁ」と、買い物の度に交わされる顔見知り店主やお客仲間との会話。
子を育てるのは親だけにあらず。子の成長を街全体が見守り、喜ぶ。嗚呼素晴らしき哉、美しい子育てがここにある。
……想像力逞しすぎです。
まあ、そんな想像通りにはいかないとは勿論分かりつつも、商店街を散歩コースにする保育園に、昔のヒューマン映画のようなイメージが上乗せされ、かなりの好感を持ったのでした。
4.世界って難しい
さて、この三つの場面。どの私も、その時は核心をついた意見をもっているつもりでした。しかし、並べてみると……あれ、なんかおかしいぞ。各場面の間に時間的な隔たりがあるとはいえ、一貫性がなさすぎる。
この記事の主旨は、私がその場ではしたり顔でそれっぽいこと言いつつコロコロ意見を変えるダブスタ野郎だ、ということをお伝えすることではありません(実際そうなんだけども)。
世界って難しい。少なくとも、私みたいなちっぽけな人間が、その場の勢いで考えて、正しい答えなんて見つけられる訳がないほどには。
そして、難しい世界の方が、豊かで、発見があって、生きるのが面白いと思うのです。
皆が皆便利という、異をとなえる方が難しいようなもの。最大公約数が数を増やしていくのは悪いことではないけれど、そればかりの世界は、きっとつまらない。つまらないということに、気づくことも出来ないでしょう。
品物を路面に直置きするようなお店が並ぶ商店街が、どこかにあって欲しい。息子が歩くようになったら、きっと休日は、大型ショッピングモールのなかで遊ばせることも多くなるでしょう。でも裏の商店街のなかでも、ママチャリを停めて買い物したい。いつか息子が自立した後も、そんな商店街が残っている世界であって欲しいし、そのなかで、色んなことを息子は考えて、面白がって、発見して欲しい。息子の名付けにこめた、広い見識をもって、豊かに楽しく生きて欲しいという願いのとおりに。
さて、この記事にオチをつけようと、今日、件の果物屋でミカンを一山買ったのです。路上のものを敢えて選ぶ勇気はなく、棚の上のものを指差す私はこの街に越してきて日も浅いヨソモノですが、「ありがとねー!」とこんなに気持ちいい笑顔見たのいつぶり? というくらいの0円スマイルもつけてくれたおばちゃん。こっちの方がいいよ、と根拠はよく分からないけど隣のカゴのものを薦められるまま購入しました。
自宅に帰って試食。
えっ皮、分厚! 水気少なっ!
でも、甘いなぁ。
……ほら、やっぱり面白い。