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【京都寺町通を歩く】①千年続く名水「染井の水」梨木神社、境内にマンションが建つ理由
寺町通の概要
寺町通は、京都市街碁盤の目の南北に伸びる通りです。
北は鞍馬口通から、南は五条大橋西詰までの、全長4.6km。平安京における東京極大路にあたります。平安京のメインストリート朱雀大路(現千本通)からみると東端の通りでしたが、平安時代の終わりころ、さまざまな事情により右京が衰退し、内裏(御所)が当初の位置からずっと東の現在地に移動したため、御所のすぐ東側が東京極大路(現寺町通)になりました。
時代が下って、豊臣秀吉が京都大改造を行い、諸寺院をこの通りの東側に強制移転させたため「寺町通」と呼ばれるようになります。本能寺・蘆山寺・革堂・錦天満宮などがこのとき移転してきました。
丸太町通(京都御苑)から四条通までの寺町通は見どころが多く、散策コースとしておすすめです。京都御苑から下る(南下)か四条から上る(北上)、徒歩でも40分くらいです。
京都御苑に隣接する梨木神社から南下します。
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梨木神社「染井の水」
梨木神社は、1885年創建の比較的新しい神社です。
ここは何といっても「染井の水」が有名。
京都三名水『染井・佐女牛井・縣井』のひとつで、この中で唯一涸れていない井戸です。梨木神社の公式ウェブサイトには「千年以上前からこの水が使われていたと考えられている」とあります。
井戸水は一般に開放されています。昔はポリタンクなどで大量に汲む人もいて、いつも行列ができていました。
現在も水を汲むことができますが、5㍑まで、浄財百円のお願いが掲出されています。公式ウェブサイトには決まり事が書かれています。
御神水をお汲みになる際は、手水舎にある蛇口をご利用ください。
蛇口の開栓時間は午前6時~午後6時半頃までです。(中略)神社駐車場はご参拝の為の場所なので、お水汲みの方のご利用はお断りいたします。
以前働いていた会社が寺町通にあり、よくここに水を汲みに行きました。わたしはコーヒー好きでないのでわからないのですが、周囲の人が言うには「この水で入れたコーヒーは美味い」らしいです。ちなみに京都でコーヒー豆といえば、河原町今出川にある出町輸入食品が人気です。
境内の茶室だった建物に、コーヒーの専門店「Coffee Base NASHINOKI」が2022年に開店。染井の水を使っているとのこと。
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京都盆地の地下は巨大な水がめ
京都は古来より地下水を利用してきました。
関西大学の楠見教授の研究によれば、京都盆地の地下には琵琶湖に匹敵する量の地下水があるそうです。
京都市南部の城陽市では上水道の水源の8割が地下水。(城陽市のウェブサイトより)ほか、京田辺市や八幡市でも水源の半分以上が地下水です。
平安京の右京(西側)が衰退し、御所が左京(東側)に移った原因のひとつは、地下水が関係しているといわれています。
左京は掘ればすぐ良質の水が出たのに対し、右京は地質の問題で、掘ってもなかなか水が出なかったようです。
染井だけでなく、寺町通の下御霊神社や護浄院、錦天満宮でも井戸があります。染井同様一般に開放されていて、近所の方が水を汲んでいるのを見かけます。
錦市場が発展したのは、質の良い地下水に恵まれたことで、生鮮品の保存が可能だったことが大きな理由です。
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梨木神社の概要
所在地:上京区広小路上ル染殿町680 境内は、平安時代に摂関政治の礎を築いた藤原良房(804-872)の邸「染殿第」があった場所といわれ、染殿第は良房の娘明子(清和天皇の生母)の御所としても使われた。「染井」の名は、染殿第に因む説や、宮中の染所で用いられていたことに由来する説など諸説。
創建:明治18(1885)年
御祭神:三條實萬(1802-1859)・實美(1837-1891)父子 三條實萬は、明治維新の功労者とされる。
三條家は五摂家に次ぐ公卿最高の名家。公家としての家格は清華家旧別格官幣社
▼梨木という社名は旧地名の梨木町に由来し、転法輪殿(三條家嫡流の邸)は梨木町西側に位置していた。
梨木神社の神紋は三條家の家紋、三条唐花。
京の萩の名所
梨木神社は別名「萩の宮」とよばれ、秋の七草のひとつ、ハギ(マメ科)の名所として知られます。境内には500 株以上のハギが植えられていて、花が見ごろになる毎年9月に「萩まつり」が行われます。
※「春の七草」は七草粥にして食すが、「秋の七草」は食すのではなく、お月見に供えるなどして鑑賞する。
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湯川秀樹の歌碑
『千年の昔の園も かくやありし 木の下かげに 乱れさく萩』
ノーベル賞受賞の理論物理学者である湯川秀樹(1907-1981)は、生涯の殆どを京都で過ごした。京都市名誉市民、学士院恩賜賞受賞、最年少で文化勲章を受章。梨木神社「萩の会」初代会長。
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境内にマンション建設なぜ
京都御苑東側にある清和院御門を出ると、すぐ左手に梨木神社の一の鳥居がありますが、鳥居をくぐると参道上に、三階建てのマンション※があるという、ちょっと異様な光景に驚かされます。社殿に行くには、マンションを迂回しなくてはなりません。
※「イーグルコート京都御所梨木の杜」2015年竣工
なぜこんなことになったのかというと、2013(平成25)年、社殿の修復等の資金調達のため、境内の土地をマンション開発業者に60年の定期借地権(借地満了後に更地返還が条件)で貸し、その賃貸料を修復費用に充てることにになりました。しかしその計画が神社本庁の承認を得られず、そのため梨木神社は神社本庁から離脱して単立神社となりました。
住宅情報を見たら、7000万円くらいで売りに出ている部屋がありますね。
2017年には下鴨神社にも同様の理由で、駐車場だったところにマンションが建てられました。どちらも反対の声は大きかったと記憶しています。
神社は一般に拝観料を取らないため財政難になりやすく、祈祷料やおみくじ等の収入だけでは維持が難しいといわれています。
とくに社殿修復にかかる費用が大きいため、国の補助や寄附だけでは足りず、苦肉の策だったようです。
小さい神社の宮司さんは、複数の神社を兼務していることが多いし、それでも収入が足りず副業をしている人もいると聞きます。
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神社本庁から離脱した有名神社
神社本庁は、1946年設立の神道系宗教団体。伊勢神宮を本宗とする。神社本庁公式ウェブサイトによれば、全国十数万あるという神社の約8万が加盟している(神社本庁が包括している)。加盟各社で販売される伊勢神宮のお札「神宮大麻」の売り上げは年10億円近いとされ、会費とともに神社本庁の資金源になっているそうだ。
本庁に属さない=「被包括関係に属さない神社」=単立神社で、2000 社以上あるという。
上納金や人事の問題などで、有名神社の離脱が増えている。
離脱した主な神社を調べてみた。
1946年 靖国神社(東京)
1985年 日光東照宮(栃木)
2004年 明治神宮(2010 再び被包括関係になる)
2010年 気多大社(石川)離脱をめぐり最高裁まで争った
2013年 梨木神社
2017年 富岡八幡宮(東京)
2019年 建勲神社(京都)
2020年 金刀比羅宮(香川)
2024年 鶴岡八幡宮(鎌倉)この記事を書いている6月に離脱のニュースがあった。理由は「人事をめぐる本庁執行部への不満(読売新聞オンライン 6/20)」宮司のお話:離脱により本庁に対する負担金が無くなり、独自の運営ができる。
京都では、ほかに伏見稲荷大社・新日吉神宮・京都ゑびす神社・下御霊神社・車折神社なども単立神社。
神社本教という組織
京都では、1946年に市内の有力な神社が中心となって神社本庁とは別の包括宗教法人神社本教が組織された。
所属神社は今宮神社・地主神社・野宮神社・錦天満宮など2015年時点で76社(Wikipediaより)
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【京都寺町通を歩く】②につづく