【うんこ味のうんこ】
こんなに可愛い生き物だったんだ。赤ちゃんって。
目に入れても痛くない。確かにそうだ。この子のためなら思いつくかぎりの残虐なことをされてもいいと思える。そしてこの子の身に何かあれば、私はどんな手を使ってもいいと思う。それが我が子という存在だ。2月冬な寒い日に入院し、穏やかな温かい白く眩しい日に退院した。古いかもしれないが、こはると名付けた。2月26日の日曜日に生まれた。名前はこはるか、せいなの二択まで絞っていた。私的には最初からこはる一択だった。だからパパが賛成してくれてほんとによかった。寒い冬を乗り切り、小春日和のように、こはるの周りは暖かく、のんびりしていて、笑顔や笑い声、愛に溢れますように。と願いを込めた。はるちゃんと呼ぼうと思っていたが、こはちゃんと読んでいる。
愛は底がないのかもしれない。日々成長していくこはるを見て、幸せを噛み締めながらそう思う。こはるのうんこ味のうんこも食べれるなぁ。とか、不意に思うこともある。
私の細胞から作られたこはる。こはるが飲んでいる母乳も私の母乳ということは、うんこも私の一部なので、汚くないのではないか?
最初はそういう思考の元に食べられると思った。今は、可愛いものから出てきた可愛いもの。もう、うんこさえも愛おしい。こはるもうんこも丸ごと食べちゃいたい💕
言っとくが、元々は子供は嫌いではないがうるさい子供は苦手。汚いものや臭いもの、不衛生な環境や心地の悪いものなどは嫌い。そういう人間だった。うんこが好きな人間ではない。
そして、母になったことで今まで31年間生きてきた彼女は死んだ。あーもう、本当に死んだ。不可逆的にさようならということだ。戻れない、何もかも。大きなことも些細な事も。感覚も何もかも。
産むまでの私は一人の時間がないと、ストレスでおかしくなりそうだった。
産んで2か月くらいはまだ、ああ一人の時間欲しいなと思っていたが、今は子供の存在がちゃんと自分の中に入ってきた。私という認識の中の一部に子供がいるような感覚だ。
なんて言ったらいいんだろう。出産の時、臍の緒を切ったのに、まだ繋がっているような感覚がある。
お母さんはそうなのか、私だけなのか、お父さんもそうなのか。とても知りたい。
こはるは私に新しい世界を見せてくれた。どんなに努力しても、見れない世界だ。感謝しかない。これから、どんな世界を歩いていくのか、見せてくれるのか。いいことより大変なことが多いと聞いているが、それさえも楽しみで仕方がない。
こはるが大きな病気や大きなショック、大きな怪我なく楽しく健康に、元気いっぱい生きていけるよう、母親として環境を整えていきたい。仕事が好きで、産んで3か月で復帰したいと言っていた私が、もちろん育休はフルで取得。仕事だってこはるのためのお金を稼ぐためのもの。生きがいというものができるのは人生に充実を生むのかもしれない。