抗がん剤の3クール目が精神的にとても辛かった話
抗がん剤を6クール予定していた。
3,4クール目あたりでメンタルが低空飛行する人が多いらしい、という情報をSNSで見たが、自分は大丈夫だろうと思っていた。
3クール目が終わって、少し気分が落ち込んだけれど、気がつかないふりをした。
4クール目の直前になり、どこにもぶつけようのない感情が爆発して母に電話をかけてポロポロ泣いた。
6回。
1クールずつ粛々とこなしてきた。
毎回嫌だけれど、辛い思いをしたら確実に1クールずつ終わっていく。
そんな、夏休みの課題が終わるごとにチェックをしていくような作業は嫌いではなかった。
ただ、抗がん剤自体はとても嫌だった。
追加治療はなしか抗がん剤をするか選べたけれど、再発の可能性を少しでも低くしたかったから、やると即答した。
子どもといられる時間を少しでも長くできるなら、苦しみも耐えてみせる。
毎回副作用がひどい間は倦怠感と吐き気で一日中寝込んでいて、ただ時計の針が進むのをひたすらじっと待つ。
味覚障害があって口の中が常にまずいし、水やお茶が甘かったり苦かったり変な味がして飲めないからとても辛かった。
でも、抗がん剤が嫌だと駄々をこねたところで回数が少なくなるわけでもないし、家族は泣かれても困るだけだ。
それに、これは私の中の癌細胞をたたくための試練なのだ。
誰かのせいで私が嫌な目にあっているのならまだしも、私の体の細胞が癌細胞になってしまったのだから仕方ない。
もちろん私も悪くないけれど、自分の体の細胞が原因なのだから、少し責任を感じるような気もする。
1番の被害者なのに、全くおかしな話である。
辛い、やりたくない、まだ半分もある。
そういう気持ちを押し殺していたけれど、限界だった。
少し暗い表情をしていようものなら、「あと半分じゃん、頑張ろう」と励まされた。
無理に笑顔を作って、「そうだよね、頑張る。」と自分の心に反した言葉を返した。善意に励まされたフリをするのも疲れた。「もう嫌なんだよ」と言ってしまえば空気が凍る。弱音を吐いてはいけない気がした。
数多くの癌患者と接して何人もの心を救ってきたであろう緩和ケアの看護師でさえそう励ますのだから、心の中で苦笑した。
ちゃんと言葉に出して、辛いと言うことが大事なんだと思った。
泣いて話を聞いてもらったら、いくらか楽になった。
数日後、父と話した。
父は40歳ごろから健康のために毎日5-10キロのランニングをしている。数年前からはフルマラソンにも何度も挑戦し完走している。
「もう2/3終わったね」と父。
「うーん、まだあと2回もある、っていう感情のほうが大きいかな。正直に答えた。
「わかるよ、そういう気持ちになるよね。」
予想外の返答に、涙が止まらなくなった。
応援が力になることは大前提で、フルマラソンを走る父は30km(およそ2/3)近辺で、沿道の人に「あと10kmだよ!がんばれ!」と言われると少しげんなりするらしい。
まだ10kmもあるのか、と。
「2/3終わった、というよりもまだあと1/3もある、という気持ちのほうが強い。2/3ってしんどいところだよね。」
びっくりした。
あと少しだから、頑張ろう、と励まされることが多かったから、辛く感じてもいいんだと、気持ちを肯定してくれたことで救われた。
6回終えた今、振り返って考えると、1-2回目は抗がん剤というものに慣れる時期でよくわからないまま進む、5-6回目までいけば終わりが見えている。3-4回目はなんとなく抗がん剤の副作用のしんどさもわかってきて、でもまだ終わりは近くないというフェーズだから、とてもしんどかった。
そして副作用も蓄積してきて、脱毛で髪の毛はなくなるし、白血球も低くなってきて抗がん剤が延期になるのもこの時期に多い。
なのに(術後補助療法の場合特に)肝心の癌がみえないから効果があるのかがわからない。
これも不安になりモチベーションが下がるひとつの要因だった。
もちろん、癌細胞が画像で確認できない状態がいいに越したことがないのはわかっているが。
とにかく割とポジティブが取り柄の私でも、抗がん剤の3,4クール目は鬼門だったという話。
抗がん剤をしている人は、毎回本当によく頑張っているし、弱音を吐いてもいい。泣いてもいい。
それくらい辛い思いをしているのだから。
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