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悲しみは私だけのもの

27歳で結婚し、29歳で1人目を、30歳で2人目を出産した。
そして、31歳で子宮と卵巣を失った。

私は3人兄弟で、子どもも3人ほしかった。
夫も3人兄弟だが、夫は子どもは2人が限界じゃないかとこぼしていたから3人目をどうするかはまだ議論の途中だった。
どうするか、は夫との話し合いではなく、ある日突然癌の告知によって決定した。

もう絶対に不可能だと、そう言われてはじめて、3人目がほしい気持ちが強かったことに気がついた。
悲しむ私に夫は、「子どもが"いない"と"いる"はすごく違うし、"1人"か"2人"かもかなり違う。でも2と3はそこまで違わないよ。もともと僕たちのキャパ的にもう1人は難しかったと思う。」と言った。

授かりものだから、もしかしたらできなかったかもしれないし、仕事のキャリアや経済面、3人育児のハードさを考えると2人でおしまいにする可能性もあった。
けれど、自分に選択肢があって子どもは2人と決めることと選択肢が奪われて2人になったことは、全く意味合いが異なる。

この悲しみについて深く考える出来事があった。

「2人いるんだからもういいじゃない!」
3人目も考えてたんですけどね、とこぼした私に義母が返した一言だ。

義母はとてもいい人で、料理も上手、綺麗好き、整理整頓が得意、穏やかと母の鏡のような人だ。心から尊敬しているし関係もよい(と思っている)。
抗がん剤治療中も片道4時間かかる距離を何度も往復し、半年間のうち120日は同居してくれるくらいヘビーに手伝ってくれた。


ポジティブに励ますつもりだったんだと思う。
その場では「そうですよね!」とつい反射のように口にしてしまったけれど、後悔している。

私の悲しいという気持ちは間違っている、とそう言われた気がした。
そんなふうに言っちゃいけない、もっと辛い人もいるんだからって言われている気がした。

子どもがいない人と比べたら、いるだけいいじゃない。

それはそう。
同じ病気で子どもがいない人もたくさんいて、(もし子どもがほしかったのなら)その人たちの苦しみや悲しみはとてつもないと思う。

でも、その人たちより、私の悲しみは軽いの?

違うよね。
私の悲しみは私だけのもの。
他人と比べてどうこうじゃない。
本来あるはずだった自分の未来と比べて悲しいんだよ。

子どもがもう高校生とか社会人の人を見て、そんな大きくなったところまで見られたんだからいいじゃん(なにもよくない)ってドス黒い感情の私が思うのと一緒で、子どもがいない人は私を見て子どもいるんだからいいじゃんって思うと思う。
その気持ちはもちろん否定しない。

こういうふうに書いたけど、人間って比較しちゃう生き物だからな。
私も毎日比べて生きてる。
難しい。
まとまらなくなってきた。

なにかと比べて、それよりマシだから!っていう(癌じゃない人からの)励ましは結構しんどいなって思った話。

相手が自分を励まそうと言ってくれているのがわかるからこそ「そうですよね!」としか言えなくて、自分の悲しみに蓋をするようで心が傷つく。

私の悲しみは私だけのもの。
そうだよね、辛いよね、で十分なのです。


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