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ゴールドコーストと、ライオンキングの夕日
オーストラリアに住んでいる友達に誘われて、昨年9月にオーストラリアへ行ってきた。
オーストラリア東部、サーファーの聖地として有名なゴールドコーストという場所だ。
もちろん行くのははじめて。
9月といえば南半球は冬で寒いはずだが、ゴールドコーストは1年中暖かい気候で、半袖に夜だけパーカーを羽織るくらいで十分だった。
渡豪の目的はもちろん友達に会うこと。
もともと知らない街なら歩いているだけで楽しくなる性格だから、オペラハウスに行きたい!とかシドニー行きたい!とか、そんな感情も芽生える暇なく3泊4日の滞在は過ぎていった。
何をしたかといえば、何もしてないと答えるのが正しいだろうか。
したことは日本にいるときと何ら変わりない。
友達のバイト先の焼肉店へ行ったり、友達が住んでいるシェアハウスのみなさんとご飯を食べたり、近くの丘までハイキングに出かけり、ホームセンターに行ったり。
一番心奪われたのは、日本では見たことのない夕日。
圧倒的な光の量。明るさ。
地元のオージーたちはライオンキングの歌を大声で歌っていた。
それ以外は、いつもとそう変わらない通常の生活をオーストラリアという土地で送った。
3泊の滞在中、友達がどうしてもバイトを休めなくて一人になる時間があった。
一人で街を歩こうかと思ったが、出掛ける気にもならなかったので、シェアハウスに入っていたNetflixでひたすら映画を観ていた。
その数、3泊4日で5本。
ほとんどがディズニー映画だ。
もちろん、日本語字幕なんてないしすべて英語。
たまに意味が分からないときには、シェアハウスのみんなが教えてくれた。
まぁ、シェアハウスのみんなも日本人ではないから英語だけれど。
そんなこんなで、3泊4日はあっという間に終わりを迎えた。
オーストラリアから帰ってきた一番思ったのは、日本人って、働きすぎなんだなということ。
オーストラリアでは仕事中でもお客さんと自由に話し、声をかけてくれた。
18時には仕事を終える奥さんを迎えに行く。
仕事を義務だと思っていないんだろう。
楽しみながらやっていることが伝わってきた。
日本では、疲れたスーツ姿の人々が満員電車にいらだち、仕事中は私語禁止、道行く人に声をかければ変質者だと思われる。
この差は何なのか。
わたしは社会学者でもないしオーストラリアのこともあまり知らない。
だから歴史的な、とか人種が違う、とか言うつもりは全くないのだけれど、仕事に対する認識が違うことだけは分かった。
仕事って、そんなに一生懸命、汗水垂らしてやらなければならないことだろうか。
もちろん、そういう時期も必要かもしれない。
でも、定年までそんな姿勢でやっていくものなのか。
たまには、力抜いてやったっていいのでは?
そんなことを思いながら、今でも疲れたときにはあの夕日を思い出す。
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