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「先生」という「呼び名」
世の中いろんな「先生」がありますね。学校の先生、病院の先生、ピアノの先生、議員先生、士業の先生、などなど。
大学在学中にお世話になった先生(私の母校では教授も講師も先生と呼んでいました)は、「大学の先生って免許いらないんだよ。一番簡単になれる先生だよ」とおっしゃってましたね。なれないよ、と心の中でつっこみました。いえ、直につっこんでも笑ってくださるであろう、気さくないい先生でした。とてもお世話になりました。先生の持ちネタです。
大阪府議会で、議員を府庁内で「先生」と呼ばないことが決まったそうですね。議員になるためには、選挙で当選しなければならず、有権者に選ばれるという、難関を突破した人たちです。ちゃんと議員の仕事をしてくれるなら、「先生」でもいいのでは、と私は思います。
このニュースで「特別だという勘違いの助長につながりかねないという指摘があった」と報じられていたことから、二つほど思い出したことありました。
一つは、友人の職場に、国会議員が視察に来た時のお話。
誰?ではなく、ああ、あの人!となるくらいには知られている議員さん。ちょっとした連携ミスで、少々お待ちくださいとなったとき、怒ったそうです。秘書が。「『先生』をお待たせするなんて!」と。「先生」ご本人は特に怒ったり、不機嫌な様子だったりはしなかったそうですが、秘書をたしなめることもなかったそうです。
うん、勘違いしちゃう人もいるかもしれないですね。ただ、秘書は上司と部下の関係ではあるので、対等にはなれないのはわかります。でも有権者は部下ではないですよ、と。
もう一つは、かなり前に私のブログで、「先生と呼ばれること」について書いたとき。
特に小学生くらいの子どもだと「先生」は「先生」だから偉い、と思っている。大人であれば、素晴らしい先生、尊敬できる先生もいれば、そうではない人が先生になっていることも知っている。でも、子どもは先生は偉いから、言うことをきかないといけないと思っている(反抗するにしても、そう思った上で反抗している)。だから、先生になる人はそれを知っておいてほしい。
というようなことを書きました(ブログがなくなったので、うろ覚え)。そこに、現役小学校教員です、という方からコメントが届きました。曰く、「そんなことないですよ〜。子どもたちはちゃんとわかってますし、私も目線を合わせて指導してます!」(こちらもうろ覚えですが、大体こんな感じでした)
うん、私は教員だったことはないけど、子どもだったことはあるんですよ。と思いましたが、見ず知らずの人と喧嘩はしたくなかったから、返信はしませんでした。そして、私のブログを読んだ上で、このコメントを送ってくる人が「先生」なのか、はあ。と思いました。私の文章力の問題かも知れませんが。
ちなみに、実は教員免許を持っています。私には無理だと思ったので、目指しませんでした。
私が思う「先生」は呼ぶ側が決める呼称です。
なにかを教わっている、助けてもらっている、私にはできないことで世の中に貢献している、そういう人たちは「先生」です。逆に、世間では「大先生」と呼ばれていても、私にとって気の置けない友人であるなら、呼び捨てやニックネームのままです。そういう友人はいませんが。
さて、結局「先生」とは?
「後生畏るべし」
小さな子どもたちに学ぶことが多いなあ、とも思う今日この頃です。
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