誰にでもできる仕事を、誰でもできない質に仕上げたい
新卒で入社した会社では、営業部に配属され営業事務になった。
小さめの中小企業だったので、マニュアルなどはなく、営業担当について実地で仕事を一から覚えた。
顧客ごとに異なる対応をするのは当たり前で、営業ごとにも違うやり方を指定されるなど、なぜ? と思うことだらけだった。
それでも一年も経つ頃には、それなりに仕事を覚えて、日々なにかしら起こるトラブルのほとんどは、ひとりで対応できるくらいにはなっていた。
そして、後輩が入社し、教える立場になった。当時流行り始めていたOJTがしれっと採用されて、なぜか指導担当になった。
指導者研修などあるわけもなく、これまた実地指導となったが、社内システムの使い方や基本の事務処理については、丁寧に伝えた。
そして顧客、営業ごとの個別対応が必要な業務については、とにかくメモをとって欲しいとお願いした。
私が担当した新入社員は三人いたのだが、そのうちの二人は営業職になることが決まっており、一通りの業務を覚えたら営業事務からは外れた。残るひとりは営業事務のままなので、結果として一対一で業務を行うようになった。
私が担当していたお客さんの中から、小口の顧客を彼女に担当替えして少しずつ覚えていってもらうことになった。
小口のお客さんのほとんどは、社長自ら営業しているような少人数の忙しい会社で、ちょっとした無理を言われることが多かった。
一週間かかる取り寄せ品をなんとか明後日までに入れてほしい。ケースでしか仕入れられないものを、一個だけ売ってくれ。
社長や部長という立場で、しかも何十年も仕事をしている人たちが、私のような小娘に「どうにかお願いできないかな」と頼んでくる。普段よくしてもらっていることもあり、可能な限り対応した。もちろん、「ごめんなさい」となったことも多かったけれど。
そんなお客さんの担当を替わるのは残念だったが、いきなり大口の注文を任せるわけにもいかなかったし、ここの注文なら大丈夫だろう、という思いもあった。
しかしとても残念なことに、彼女は事務職に向いていなかった。その上、自信家であった。
自らのミスでトラブルを増やし、焦っていっぱいいっぱいになっているときに、声をかけて指示を出すと必ず、「わかってます!」と返ってきた。
そうか、わかっているのか、と見守っていると、お客さんから私宛に電話がかかってくる、ということが何度もあった。
その一年が終わりに近づいてきたころ、彼女がインフルエンザにかかって欠勤した。顧客対応がわかっているとはいえ、直近の注文内容や依頼はわからない。営業担当と一緒にデスクの引き出しを開けて、書類を確認しようとした。
出てきたのは、細かい字が書き殴られたメモ用紙の山だった。そのメモに書かれているのは、どうやら私が説明したものらしかったが、その多くの内容は間違っていた。
そのとき一緒にいた営業担当は私の同期だったのだが、日ごろの彼女の仕事にかなり含むところのあった彼もため息を吐いた。
「わかってます!」って言うんだよねえ、とつぶやいた私に同期は言った。
「わかっていてできないのは、わからないより質が悪いよね」
妙に納得して「本当にね」と言ってしまった。
出社した彼女には、休んだ間に私が処理した内容を淡々と伝えた。多少は察してくれたのか、それとも同期がなにか言ってくれたのか、その後はときどき質問をしてくるようになった。四月に教えたよ、と言いたくなるのをぐっと我慢した。
私は彼女が先輩になって少しした頃に、転職した。仕事量に押しつぶされてしまったのが理由だった。
営業事務が複数人いるのに、部署の予算の半分近くの処理を私が担当していたと気づいたのは、退職した後のことだった。上司が営業担当の目標管理はするのに、営業事務の作業量はまったく管理しないのは、この会社に限ったことではなかったけれど。
同期というのは本当に有り難いもので、まっさきに辞めた私にも定期的に連絡をくれて食事に誘ってくれたりする。
そうした機会に、彼女も退職したという話を聞いた。
「誰にでもできる仕事はやりたくない、って言ってたんだって」
同期たちはほぼ全員、彼女から迷惑をかけられたことがあったので、目が点になった私に皆、うんうんと頷きながら笑っていた。
どんなに有能で、唯一無二の存在に見える人であっても、働けなくなることはある。そのときにはほかの誰かが、形が違っても、時間がかかっても、代わりを務める。そして社会は動き続けていく。
逆に、誰にでもできる仕事でも、ほかの人にはそう簡単に代わりは務まらない、ということもあると思う。
今の私の仕事も、代わりはいくらでもいるだろう。経験、あるいは勉強すれば誰にでもできる、といえるものかもしれない。
でも、誰にでもできる仕事でも、「あなたに頼んでよかった」と言われるのは、結構いい気分になれるものなのだ。
そうありたいと考えるようになったのは、彼女のおかげかもしれない。